ゴブリンの逆襲
飛ぶが如く山道を駆け下りてきた俺は、村の広場に出来ている人だかりを見つけ、駆け寄った。
「ミル……!」
大して厚くもない人ごみを掻き分けると、そこには、ミルの父親であるランドさんが倒れていた。
「ランドさん!」
「タイト……さん」
見れば彼は、額から血を流していた。
「ゴブリンが……ゴブリンが、ミルを──」
「喋らないで。直ぐに治します」
そういって俺は彼の頭に手をかざす。
「……?」
だが、どういうことだろうか。これまで治療してきた時と比べて、治りが遅い。何かに阻害されているような感覚を覚えた。
「何だ……何故治らない?」
「ゴ、ゴブリンは……武器に毒を塗ると聞きます。その毒は止血や傷の治りを遅らせるとか……!」
俺が逡巡していると、村人がそう教えてくれた。
「毒……だって?」
しかも血が止まらなくなるって……最悪だ。回復魔法では失った血は取り戻せないと言うのに……!
状況から予想するに、ミルはゴブリンに攫われたのだろう。今も俺のブレスレットに灯っては消える光が、少しずつ弱まってきているのが何よりの証拠だ。
「ゴブリンが来て、ミルを攫っていったんですね? それを止めようとしたランドさんを殴り倒していった」
俺の問いに村人が頷く。
分からないのは──
「──何故、ゴブリンがミルを攫うんです?」
俺がそう問うと、村人は知らなかったのかと言いたげに一瞬驚く素振りを見せ、言い辛そうに口を開いた。
「ゴブリンは、繁殖に人間の女を使います」
「……は?」
つまり、連中は、ミルを……!
怒りで頭の中が一気に熱くなってきた。
……ついさっきまで、ここには平和な日常があったはずだ。それを連中は自分達の都合で踏みにじったのだ。許せるワケがない。
「タイト……さん。私に、構わず、ミルを……」
ランドさんが血みどろになった手で、俺の手を握る。
「今から大急ぎで街に行って、騎士団を連れてくるのに、どれくらいかかりますか?」
「一時間は……かかります」
俺の問いに答える村人のその声は、もうランドさんもミルも間に合わない、助からないと言っているように感じた。
どうする? 怪我の悪化を防ぐことは出来ても、俺には毒は取り除けない。せめて何の毒か成分が分かればどうにか出来るかもしれないが、見当もつかない。
ここに留まり、ランドさんの傷に魔法をかけ続ける? そうすれば騎士団が到着するまで持ち堪えれば、彼らが解毒法を持っているかもしれない。
しかしそれをすればミルが……間に合わなくなる。今この瞬間にも、彼女がどんな目に遭うかも知れない状況で、その選択は正しいのか?
それとも、ランドさんの望み通り、彼を村人と騎士団に託して、すぐにゴブリンの後を追いかける?
これならミルは助けられるかもしれない。しかし、おそらく……いや、確実に、ランドさんは死ぬ。
どうする? どうすればいい? こうやって迷っている間にも、少しずつ二人の命運が脅かされているというのに……!
俺は震える自分の手をじっと見つめる。ランドさんの血が付いた手を。
「…………」
一つ、思いついた。
もしかしたら、何とかなるかもしれない。
これは、賭けだ。いや、下手したらただの願望であり、妄想なのかも。
だがしかし、俺はランドさんとミル、どちらも救いたい。
なら、やるしかないじゃないか。
「俺は……千年に一人の、英雄なんだよな? なら、出来るよな? 信じるぞ、クソ女神!」
そう言って、俺は自分の手に付着した血を、ゴブリンから受けた毒が混じるそれを、口に含んだ。
瞬間、目の前の景色が歪む。眩暈がし、吐き気がする。
「直ちに……毒素を解析、抗体を……構築……!」
ハッキリ言って『そうなれ』レベルの賭けだったが、どうやら俺は勝ったらしい。
すぐに情報が頭の中に入ってくる。
これは……くそったれ。ゴブリン共の糞尿だ。
何てものを口に含ませるんだ。絶対許さんぞあいつら。
「……治れ」
今一度、俺がランドさんの傷口に手をかざすと、これまでの魔法陣の上に重なるように、新たな白い術式が吸い込まれていった。見る見る内に傷が塞がっていく。
「……タイトさん」
「これで、もう大丈夫です」
「ミルが……ミルが……」
「ゴブリンに攫われたんですよね? 大丈夫です。必ず俺が助け出します」
俺がそう言って微笑むんで見せると、ランドさんは頷き、気を失った。
「お、おい! 一体何があったんだよ……これは!?」
ようやく追いついてきたテウマが、息を切らしながら狼狽える。
「テウマ! ミルがゴブリンに攫われた。俺はすぐに後を追う。お前は全速力で街に行き、応援を呼んできてくれ」
「へ? ゴブ……ミルが?」
「急げよ! 頼んだぞ!」
そう言って俺は走り出した。
靴に仕込んであった、風の術式に魔力を込める。瞬間、俺の身体が前方に弾け飛ぶ。
「……ぐっ!」
一足で三十メートル程の幅跳びをしながら、俺はブレスレットの光が強くなるのを確認する。
待っていてくれ……ミル……! すぐに助けに行く……!
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