皇族か廷臣か
皇都の自邸に着いたゲルガンドを待ち受けていたのは、意外な展開であった。皇帝の使者が出迎え、そして「直ちに皇宮の皇帝の部屋までお越し下さい」と言うのだった。
「ごく私的な会見ゆえ、堅苦しい準備は不要。旅の疲れも取らせず、この点は詫びるが、すぐに会いに来て欲しい」
使者の差し出す書面には簡潔にそう書かれていた。
実際彼が皇宮に着いて通された部屋は、普段皇帝と謁見する部屋ではなかった。あの古の巨木と麗々しい装飾で人を威圧する謁見室とは違う皇帝の私室。こちらも適度に木材が壁や家具に用いられてはいたが、全体としては控えめな優しい趣の内装だった。
――皇妃のお好みだったのかな。
柔らかい雰囲気の部屋を見渡しながら、ゲルガンドは思った。あの女性らしい優しく穏やかな空間だった。
ゲルガンドは何日か前に部下たちに言った。皇帝と皇妃の恋愛結婚は帝国にとってあまり良い結果をもたらなさなかった、と。
――決して貴女がお悪いわけではないのだが……。
ゲルガンドは息を吐いた。この部屋から偲ばれるように、后妃は柔和という美質を十分に持ち合わせていた。それに心惹かれたスヘイド帝を一体誰が責められよう。皇帝位、そしてそれにまつわる政治的な思惑さえなければ、美しい愛に満たされた幸福な夫婦として生きておられただろうに。
ばたん、と音を立てて扉が開いた。何の先触れもなく皇帝自身が入ってきたのだ。スヘイドの表情は、これまでゲルガンドが目にしてきたものとはかなり違っていた。いつも彼は自分に威厳を持たせよう持たせようと構えたところがあるし、ゲルガンドに対して腹に一物あるのが伺える態度を隠さない。
しかし、今のスヘイドにはそのどちらもない。とはいえ、表情にはなにか緊張したものがあり、ゲルガンドはこのスヘイドの表情を何と受け止めればいいのかわからなかった。
「堅苦しい挨拶は無しとしよう。そこに座ってくれ、ゲルガンド」
スヘイドには全く珍しい言いようだった。ゲルガンドは勧められたとおり、卓を挟んでスヘイドの向かいに座る。
「ホイガよりとんでもない話を聞かされた。何のことかわかるな? ゲルガンド」
ゲルガンドは一瞬スヘイドの言葉と表情を吟味し、慎重に問うた。
「『今』『聞かされた』と仰る……。それでは事前にはご存知ではなかったのですね」
「もちろんだ。あんな愚行、知っておったら即座に止めさせておる。一体ホイガは何ということを考えたのか」
憤懣を込めてスヘイドは続けた。
「ホイガは決して悪い男ではない。姉を思う優しい弟だ。あの男以外に私の皇妃を偲んでくれる者はいない。しかし、彼は所詮廷臣であって、皇位の重みを理解していない。彼自身は皇族でも何でもないのだから想像も出来ないことなのかもしれんが」
「皇位の重み……」
ゲルガンドの呟きにスヘイドは大きく首を振って頷いた。
「そうだ。『命の滴』を受け止める聖なる泉。その傍に住む皇帝には、重大な責任がある。その滴りが人の形となったものが帝国臣民だ。皇帝は彼らの命を守ってやらねばならぬ。皇帝の行う儀礼も政も、なにもかもその責任のために在るのだ。宮廷の事情のために、臣民たる皇軍を危険に晒すなど言語道断。ホイガは何も分かっていない。いや、これが分かるのは我ら三人の皇族しかおらぬのかもしれない」
ゲルガンドは事態を飲み込んだ。スヘイドは決して暗愚な皇帝ではない。彼は十二分に彼の人生に課せられた責任を認識している。その責任を果たすため根本的に大事なことの順番も理解している。
――三人の皇族。
ゲルガンドはスヘイドが彼に見せる表情がいつもと違う理由が分かったような気がした。
――我々は皇位の重みを理解しあえる血族なのだ。
スヘイドはゲルガンドがいつか帝位を簒奪するのではないかと疑心を抱いているが、今、それはひとまず関係のないことだった。皇帝の当然の責務すら、皇族外の者に踏みにじられそうになり、スヘイドは同じ血を分け合うゲルガンドとこうして相対している。緊迫したスヘイドの表情の下にあるのは、同じ血族ならば分かり合えるという信頼だった。
「皇帝陛下。陛下は今までも皇位の重みを十分に意識しておいででした。ですから、私も陛下がホイガの陰謀に事前に加わっている可能性は低いと思っておりました」
「そうか。わかってくれていたか」
スヘイドはほっと安堵した表情で肩の力を抜いた。同じ責務を知るものに理解されたことに、本当に安心した様子だった。ここでスヘイドは従者を呼んで茶を運ばせた。二人の従兄弟同士の間に、この部屋の内装にふさわしいあたたかな空気がしばし漂う。
しかし、従兄弟同士は互いに理解していた。この先が問題なのだ、と。
「この一件の処分だが……」
それまでの柔らかな時間を明らかに惜しむ風をゲルガンドに見せながら、それでもスヘイドは話を前に進めざるを得ない。
「ホイガの陰謀は無かったもの、としてもらいたい」
「陛下……。陛下の臣民がその為に命を落としました。そのことをいかがお考えですか」
「幸い、死傷者に身分の高いものは居なかったと聞いている」
「……幸い……」
ティードリーアがここにいればどれだけ怒り狂うだろうかとゲルガンドは考えた。
「身分の低い者とて、『海の源流』に滴り落ちてきたことに変わりはないでしょう?」
「ゲルガンド将軍。ここは、単に皇族であるそなたと実際に皇位を戴く者との間の違いだな。全ての『命の滴』を守り通すなど現実的ではない。古来代々の皇帝の苦慮するところであり、神官達がこの難問に伝統的に一つの解を与えてきている」
「尊き滴は上流に産まれ、賤しきは下流に産まれる――というものですか」
「そうだ。海の源流の側で生まれれば生まれるほどその者は価値あるもの。『浜辺の者』とて臣民ではあるが、大局を守るためなら、その命が少々軽く扱われても止むを得ない」
ゲルガンドは何か言い返したい気もしたが、何もいえなかった。歴代の皇帝の苦衷もよくわかるし、自分自身も軍隊に『矢避け』という存在を抱えているのだ。どの命も等しく尊い、という理想論を振りかざす気にはなれなかったし、その資格もないと思っていた。
「それに引き換え、ホイガは他に取り返しのつかぬ貴重な人間だ」
皇帝の言葉にゲルガンドは眉を顰める。
「あの男はペイリンの善良さを知り、今でも慕っていてくれる。私にもリザにも貴重な存在だ。彼自身には何の私心もない。ただ姉の残した一人娘が可愛くてたまらない、という感情で身も心も捧げて仕えている。今回の件についても、本人に私心はないのだ。彼は単にリザの願いを強固なものにしてやろうと思ったのだ。視野が狭いが故に今回は皇位に傷をつけかねないことをしでかしかけていたが」
「……。ホイガ殿が忠臣であることに異論はありません。が、しかし。帝位の重みよりリザ皇女の利害のみを考えて動く人材というのも考えもの……」
「廷臣出身ゆえの限界かもしれん。だが、ホイガは多くの時間をゲルガンド将軍と過ごしている。元帥号まで与えたそなたの側にいれは、ホイガの学ぶところが多く、視野の広さも備わるようになるだろう」
虫のいい話だ。ゲルガンドは内心呆れる。そもそもホイガは自分の動静を探るための間諜であろうに。皇帝は、今度は、ゲルガンドに彼に皇帝の臣下としての見識を深めるよう指導して欲しいというのだ。
ゲルガンドは慇懃に答えた。
「ホイガ殿の件については、私も今後とも我が軍で見聞を積んで頂きたく思っていたところ」
ティルバあたりが聞いたら「大嘘つき!」と叫びかねないな、とゲルガンド自身も思う、心にもない返答だった。しかしながら、今、この話の流れで、もうあの鬱陶しい間諜など要らないとは言い出せない。
ゲルガンドは深く深く息をついだ。そして最後に重要なことを皇帝に確認しておこうと思った。
「ホイガの陰謀に皇帝が関わっておられなかった、これはよく分かりました。では、当然かと思いますがリザ皇女におかれてもそうだと考えて宜しいでしょうか?」
当然「そうだ」という返事をゲルガンドは期待していた。しかし、皇帝は一瞬言葉に詰まる。まさか、とゲルガンドが驚こうとする直前に、スヘイドは慌ててゲルガンドの疑念を否定した。
「いや。事前に関わっていたということはない。絶対にない。リザはそのような卑しいことを考え付きはしない」
「…………」
「ただ、ホイガに懐いているせいなのか……。皇位の重みについての認識が少々未熟なのだろうかと、今回の一件で思った面もある。いや、これは父親である私の責任だ。今までもそうしてきたが、これからも説いて聞かせていかなければ。そうすれば必ずいつかは理解できよう。そしてゆくゆくは立派に成熟した皇帝となって、夫君にそなたを迎えるようにしておこう」
「……ありがとう存じます」
ゲルガンドは決してリザとの結婚が嫌ではなかったはずなのに、今この話題に触れるのは、なにやら気が重かった。
「さあ、旅装を解く間もなく呼び出してすまなかった。落ち着いたら早速、そなたのフィアンセの下に顔を出してやれ。待ちわびておる」
「御意」
ゲルガンドは短く答えて席を立った。スヘイドも立ち上がり、わざわざ部屋の出口まで見送ってくれた。従兄弟の好意に感謝しつつ、それでもゲルガンドは何か重苦しいものを抱えたような気持ちを拭い去ることが出来なかった。
「ご機嫌でいらっしゃいますのね」
女官が愛想笑いを浮かべながら皇女に語りかけた。皇女を世話する女官は皇女のご機嫌を損ねては、短期間で頻繁に交代する。この女官もこの役目についてようやく一年経つだけだった。
「だって、恋人が来るのよ」
皇女は部屋の中心の豪奢な椅子に座ったまま、ゆったりとお茶を飲んでいる。そのまま口と指先で、十数人もの女官たちにあれこれ指示をだしているのだ。
「そのお花、とても綺麗なのだから、ゲルガンド様から良く見える位置に置いておいて頂戴」
「ティーカップはこれじゃないわ。もっと華やかなのがあるはずよ」
女官は別に皇女が嫌いではなかった。こうやって命令を下し下される関係であるのは当然だし、こうしていられるのは自分の発案が受け入れられたためでもあったからだ。
ゲルガンドが皇都に還ってくる。皇女は本当に嬉しそうにその知らせを聞いた。そして素直に女官に尋ねたのだった、「どうお迎えすれば良いかしら?」と。
微笑ましい問いに女官たちは口々に答えた。
「ずっと殺伐とした軍隊でお過ごしなんですもの。お花を一杯に飾ってみてはどうでしょう」「今は特に、甘い香りのビスカナの花が満開ですわ。それを部屋のあちこちに置いて部屋全体をその香りで満たしましょう」「普段お使いのお道具も質素でいらっしゃるでしょうから、華やかなのを取り揃えましょうねえ」
女官の誰も軍人に知り合いがいなかったし、このように提案しておけば皇女の機嫌がよくなることも分かっていた。皆、ゲルガンド自身の趣味や人柄などまるっきり無視したまま、自分達の楽しみで部屋を飾り立てていたのだった。
ゲルガンドは部屋に入ってきて溜息をついた。皇女はそれを感嘆の息と捉え満足そうに頷いた。
「お帰りなさいませ。我が婚約者殿。旅はお疲れでしたでしょう?」
「リザ皇女にはお変わりなく……お喜び申し上げます」
うんざりするような少女趣味から変わっていて欲しかったのだが……そんな苦い思いを飲み込んでゲルガンドは勧められた卓につく。先日皇帝の私室でごく自然に振舞ったようには座れない。まず皇女が威儀を整えて着座するのを見守ってから、彼も丁寧な会釈と共に椅子を引いて座る。
本当はゲルガンドには単刀直入にホイガの件を聞きたかった。しかしとうていそんな話題に入るわけにも行きそうにない。まずは、自分の土産を近侍に命じて拡げさせる。
ゲルガンド自身土産物を持って還ることなど思いつきもしなかった。万事頭の回るティルバの入れ知恵だった。女性ならば布地が好きだろうと思い、ルードウ王の王宮出入り商人から買い入れた。
「これはなんですの?」
「ああ。これは土産です」
皇女の顔に、本当に嬉しそうな笑みが浮かんだ。彼女は恋人が自分に土産物を持ってきてくれた、という状況が嬉しかった。
――ほう、こんな可愛らしい笑顔をお持ちだったのだ。
ゲルガンドも婚約者の意外な一面を垣間見て嬉しく思った。このような面があるのなら、自分はこの少女に愛情を持つことが出来るかもしれない。
ゲルガンドはほっとした気持ちで、その土産の説明を始めた。
「ルードウ王国は鉄分を含んだ赤い岩山の続く国です。その中で、青い色のものというのは大変珍重されるのです。今回お持ちしたこの青い絹布は、もっとも贅沢なものとされています。青を作るための染料も生えない荒地ですから。この布は王族にしか許されない……」
ゲルガンドが説明している間に、リザの顔は曇っていく。
「何もない土地でも、その分空の蒼さの引き立つ国です。青という色に対する憧憬もよくわかるような気がします。ただ、ルードウの国に現在富をもたらしているのが、赤い大地から取れる鉄です。ルードウは、帝国の保護の下この鉄を他の諸王国などに売り、富を得ているのです。ルードウ王は帝国にとても感謝しているのですよ。彼の人柄は……」
「もう結構よ。有難う、ゲルガンド将軍」
リザの不満そうな声が、ゲルガンドの説明を遮った。リザはゲルガンドの土産が嬉しかった。ただそれは恋人同士らしいゲルガンドの振る舞いが嬉しかったのだった。
恋人らしく――。そう、恋人なら土産の説明よりも先に言って欲しい言葉があった。「離れている間、ずっと貴女を想っていました」とか「お会いしたかった。寂しかった」とか。リザは土産の次に、こういう甘やかな台詞を待っていたのだ。それなのに……。
――それをどうしてこの方は、大学府の帝国地理の教授のような話ばかりするのかしら?
一方ゲルガンドの方も、皇女に良かれと考えたから、少々くどいのは承知で説明をしていたのだ。彼は未来の皇帝に、ルードウという小国に親近感を覚えて欲しかった。そしてその風土や国民性、少なくとも王の人為にも、もっと関心を持って欲しかった。
しかし、実を言うと、無地の布地というのも皇女をがっかりさせていたのである。贅沢で派手な、そして華やかな模様を好むリザは、こんな無地の布地が贈り物だと思えなかったのだ。この布は何かを包んでいるのであって、中には別の「本当」の土産が入っているのではないか。リザは、ゲルガンドの退屈な説明を聞きながら、布地を眺め、本当に布地だけが土産であることにがっかりしていたのだった。
「それよりも……。そうね……。ゲルガンド将軍、今このお部屋に入ってお気づきのことはございませんの?」
「……さあ……?」
質問の意図を測りかねてゲルガンドは困惑する。リザはこれでも我が侭を押さえたつもりだとは全く気付かなかった。リザはもう少しで「こんなお土産なんか要らぬ」と不快な顔で言い放ちそうになる自分を抑えていたのである。そして、そっと目配せして女官にその布地を片付けさせ、自分の好みの話題に話の流れを持っていこうとしたのだった。
「あら。このお部屋には、軍でお出かけの暮らしにないものが一杯ございますでしょう?」
「……ええ、それはまあ」
この部屋には、軍生活に必要だとも、ゲルガンドが自分の好みで持ち歩きたいと思う物も何も無かった。
「特に香り……。いい香りがすると思われませんこと?」
確かに血の匂いもモノが焦げるような匂いもしない。花の匂いはするようだが、ゲルガンドは危険でさえなければ花の香りなど興味がなかった。
「ビスカナという花ですわ。この季節大振りの花を咲かせて甘い香りを放ちますの。それを女官に飾らせておりますのよ」
「そうですか」
それから……皇女は、自分の部屋の話を次から次へとし始めた。自分の婚約者を喜ばせようとした成果を誇る気持ちで。もちろん、少女と侍女たちの趣味とゲルガンドの好みと一致するところは極めて乏しい。彼は自分の苛立ちをどこまで抑えることができるだろうか、と危ぶむ気にさえなってきた。
「ところで」
長々と続く皇女の口上の、ほんの少し途切れたところに、ゲルガンドは少々無理を押して割り込んだ。
「皇女殿下は私に話すべきことがおありではありませんか? あるいは父君が何か仰っていませんでしたか?」
「……?」
心底わからない、という表情をリザ皇女は浮かべた。ゲルガンドは忍耐強く待った。この重要な案件は、自分が切り出すのではなく、皇女が自分から口に出すことに意味がある。
「……父上が何か……? ああ、ホイガが何かしたという件かしら……?」
「さようです」
「ああ、貴方の義理の娘を暗殺しようとした件ね。でもホイガには悪気は無かったのよ。だからホイガには何も処分は下されないということになったのよね? それがどうかなさったの?」
「……リザ皇女……」
ゲルガンドは半ば絶句していた。この皇女は――。
「ホイガの処分云々以前に……。貴女は如何お考えなのです、リザ皇女。貴女の臣民が、身内の裏切りで命を危険にさらすことになったのですよ」
「でもホイガは言っていたわ。その中に特に身分の高いものは居なかった、と」
「リザ皇女。身分の高低にも関わらず、皇帝は『命の滴』に責任を持つべきです」
「現実的ではないわ。ゲルガンド将軍。『標準神官解釈集』をお読みになったことがおありでないの? 武芸も結構ですけれど皇女の夫になる方なら、政や『河の信仰』の真髄についてお勉強もなさるべきでしてよ」
「それは尊きものは上流に――という神官達の解釈ですか。皇女は誠に勉強熱心でいらっしゃる」
リザはゲルガンドの皮肉に気付かず、済ました顔で頷く。
「では、私の義理の娘を殺そうとしたことについて如何お思いなのです」
「……ゲルガンド将軍。貴方、その娘がそんなに大事なの?」
ゲルガンドは怒りに変わりつつある苛立たしさを宥めながら言った。
「ええ。親が子の心配をするのは当然でしょう」
「そう。あくまで親として大事になさっている、ということね」
「そのとおり」
「では、その心がけを大切になさってね、ゲルガンド将軍。でないとまたホイガが私を心配して、その娘に何かするかもしれなくてよ」
「皇女……」
「それに、その娘は、貴方と私の住む世界とは全く違う世界の者です。あの娘はだって、今回人を殺したのでしょう? 自分の手で」
口にするのも汚らわしいといった様子でリザは言う。
「しかし、それはホイガの刺客に対してのことで……」
「血に穢れた者なんて……。それ以上その娘の話を私の前でしないで頂戴。私にまで穢れが移ってしまいそう。気持ちが悪いわ」
事実、心理的なものが身体にも響くようで、皇女の顔色は悪く片手で胸元を押さえている。侍女の一人が慌てて冷たい水を水差しからコップに注ぎ皇女に手渡す。その様子に怒りの矛先を鈍らされたものの、ゲルガンドは尋ねずにいられなかった。
「では、私はどうなるのです? 私は少年の頃からの軍人です。血の穢れは娘の何倍も浴びておりますのに」
リザ皇女はコップを口元に運ぶ手を休めた。
「あら、貴方はいいのよ。ゲルガンド将軍。貴方は私に選ばれたのですもの。未来の皇帝の私が、貴方を望んだのです。神官とも協議の末認められました。だから貴方は何も気に病まなくて結構なのよ」
「しかし……」
「ゲルガンド将軍、退出なさって。私本当に気持ちが悪くて……」
リザ皇女はコップを差し出す侍女の腕にすがり付いている。別に演技ではないだろう。彼女には演技する必要はなく、ただ「さがれ」とだけ言えばいいのだから。本当に気分が悪くなったのなら、これ以上長居すべきではない。
――それにもう、皇女の答えは明らかだ。
「それでは私はここで失礼致します。お体おいとい下さい」
そう言ってゲルガンドは皇女の部屋を辞した。ある意味、ゲルガンドの本当に聞きたかったことに、皇女は雄弁に答えたのだと言えた。
――「リザ皇女、貴女は『帝位の重み』を何だと思っているのか。
リザ皇女は「帝位の重み」については何も触れなかった。「帝位の重み」をどう考えているか。「全く関心が無い」のがその答えだと、ゲルガンドは悟った。そして胸に広がる暗然としたものを押さえることができなかった。
皇帝の娘か、廷臣の娘か。この少女の生まれたとき、宮廷でそんな囁きが交わされていた。この少女は結局、皇女としての気位と穢れなさを持ちながら、廷臣の娘程度の視野しか持たないのではないだろうか。ゲルガンドは目を瞑り深々と息を吐いた。
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