「尖塔の街」の皇軍
「尖塔の街」で、皇軍は三日間の休暇を与えられた。ティードリーアはアチェと共に、ラクロウ河のほとりまで行って、ドドゥの遺灰を流すことになっていた。
初めて見る「尖塔の街」の繁栄ぶりに、ティードリーアは驚きを隠せない。空を突き上げる尖塔の一つ一つを見上げては感嘆の吐息を洩らし、市に差し掛かるたびに、いちいち露店の前で立ち止まろうとする。そんなティードリーアをアチェは何度も急かした。
「ティード、急がないと日が暮れちまうよ。遺灰は日没までに河に還すものと決まってるんだ」
それに――。アチェは心底呆れたように言う。
「ティード、さっきからアンタのやってることときたら、田舎出の“おのぼりさん”そのものだよ」
「実際ここじゃ私は“おのぼりさん”なのだから仕方ないじゃないか。そう言うアチェはこの街に詳しいのか?」
「詳しいも何も、アタシは『土の国』の『煉瓦の街』で働いた後、軍に入るまでここで商売していたんだよ」
ティードリーアはアチェの「商売」のことを思うと、気まずそうな顔で黙ってしまった。アチェの方は、ティードリーアの反応など気にもとめず、話し続ける。
「ドドゥとはここの娼館で知り合ってね。まあ、ドドゥの場合売り物にはならなくてね。下働きをしてたんだ。あんな性質だから、荒んだ娼婦たちの苛めの格好の餌食になってたよ」
「それをアチェが庇ってやって、二人は仲良くなったんだな」
アチェは決まりが悪そうな顔をする。この照れ屋を褒めるのはなかなかに難しい。
「あたしはね……」
普段は舌鋒鋭い毒舌家が口ごもりながら抗弁する。
「単に物事のスジが通らないのが嫌なんだよ。イジメなんて、ドドゥにしてみりゃこんな理不尽な仕打ちはないよ。あの子は何にも悪いことをしていない……そう、悪いことなんて出来ない子なんだから」
ここまで言ってアチェはしばらく黙り込んだ。暫しの無言の後、ティードリーアの顔をちらりと窺い見ると、次に自分たちが歩いている石畳に視線を落としながら話し始めた。
「アンタ、気が付いているんだろう?」
「何に?」
「アンタが軍に入ってきて初めての夜のことさ。国の無い王女サマとか何とか、聞こえよがしに嫌なことを言った女達がいただろう?」
「え? あ、ああ。そう言えば……」
「アレの口火を切ったのがあたしなんだよ。……悪かったと思ってる。アンタ自身が何かしたわけでもないのにさ。あの娼館の娼婦達のイジメと、あたしのやったことは変わんないね……」
ここでアチェはティードリーアに顔を向けた。眉間に力のこもった、真剣な表情だった。そして、アチェのその目には言うべきことを言わねば、という決意が浮かんでいた。
「悪かったよ。あたしに人を見る目がなかった。ごめんよ」
ティードリーアは軽く目を見開いたが、すぐに苦笑しながら首を横に振った。
「いや、構わない。その晩は少し悲しかったけれど……今はなんとも思っていない」
「本当かい?」
「本当だとも。あれから私に何が起こったと思っているんだ、アチェ? 私は明確な殺意を持った敵に追い回されたんだぞ。それに比べたら、仲間が少々親切じゃなかったくらい、どうとも思わなくもなるさ」
「……そりゃ、まあ、そうだろうね」
「ただ……聞いてもいいかな? 私の入隊の何がそんなに気に障ったのだろう?」
うーん、とアチェは暫く考え込んでいた。二人は黙って河岸に向かって歩き続ける。
そのうち、向こうから歩いてきたこの街の者がすれ違いざまにアチェの姿を一瞥し、さも不快そうな顔でプイっと横を向いた。
ティードリーアは溜息をつく。これでもまだマシな方なのだ。アチェと街を歩いていると、露骨に嫌悪を浮かべる者、なにやら猥褻な言葉を投げつけてくる者、更には石を投げてくる者までいた。「浜辺の者」に対する差別を隣で見ていると、ティードリーアの胸も痛むのだった。
「あたしはさ」
すれ違った男の姿を消えてから、アチェは口を開いた。
「皇帝皇女とか王や王女とか、そういうご身分のある人間ってのが、まず気に入らないんだよ。生まれたときから『尊い』ってことになってる人間が、さ。多分生まれながらに尊い人間がいるっていう信念と、生まれながらに賤しい人間がいるっていう信念は、同じ思考の裏表なんじゃないかと思うんでね」
「…………」
「『海の源流』に居る方がやんごとないと思うから、河の下流つまり海辺に暮らすものは賤しく穢れていると思うもんじゃないか? 連想が対になっている、って言うか」
「……それは、単純すぎないかな?」
「最初はそんな単純なものだったんだろうよ。今はそれにいろいろ複雑な感情が絡んでる。河の最上流の『森の国』が帝国となって自分達は他の国の者と違うって威張れば威張るほど、他の国のものは面白くない。で、自分より身分が下の存在を見つけて、アレよりマシと思うのさ」
「……それはあるのかもしれないが……」
「その中で『王女』っていうのも微妙なんだよ。……あんた、何しに軍に入ってきたんだい?」
「それは……ゲルガンド将軍のような軍人になりたくて……」
「という名目で、惚れた男の後を追ってきたんだろう?」
「…………」
「こう言っちゃなんだけどね。傍から見てるとちょっと変な気がするんだよ」
「何が?」
「『土の国』は昔から帝国の支配下にある。その国生まれのアタシからすると、アンタの国ってほんのつい最近帝国に入ったばかりで、悪いけど他の蛮族とどこが違うんだ、って気がするんだよ」
「…………」
「ちょっと前まで『蛮族』だったお嬢ちゃんが、上から命令されて他の『蛮族』を殺しに行くっていうのがね。なんだか奇妙に思えてね。で、本人が軍に入ってきたのを見てみたら、まだまだ子供でさ。それなのに、惚れた男についてくるなんてマセた動機がある。そのくせ、蛮族が蛮族を殺すという矛盾には全然興味なさそうだし。なんか甘っちょろいガキが入ってきたもんだ、と思ったんだよ」
「…………」
ティードリーアは顔を強張らせて黙るより仕方なかった。アチェは何かを試すように彼女を見つめている。ややあってから、ティードリーアはふうっと大きく息を吐き、そして苦笑を浮かべて言った。
「辛辣だな。アチェは」
ふふん、とアチェも笑う。その顔には何かに満足した表情が浮かんでいた。
「ここまで手厳しいことを言われて、そう平静に返してこられるのはさすがだね。アンタはなかなかの人物だよ」
ティードリーアは更に苦笑を深めて尋ねた。
「今は、どう思われているんだろう?」
「アンタは、自分で自分の評価を作ったさ。命がけでね」
「ドドゥを助けようとした事を褒めてくれるのか? けれど私は結局ドドゥを救ってやることが出来なかった。それに、そもそも私が居たせいでドドゥはあんな目に……」
「話が戻ってるよ。悪いのはホイガの野郎だ」
「あ? ああ……」
「私は遠くからしか見てなかったけど、アンタ一つ間違ったら蛮族に殺されちまうとこだったよ。危ないところが何箇所もあった」
「ああ、私もまだまだだな」
「そんな目にあってもさ、アンタ一度もドドゥを責めないね」
「それはそうだろう」
「でもさ、ドドゥが、アンタや私が輜重に近付くのを止めるのに従ってりゃ、誰もを危険な目にあわなかったんだよ。その上、あんたが敵の背後に回って飛び掛ろうとしてんのに、ドドゥがアンタに声を掛けたせいで、その後一気に不利になっちまったじゃないか」
「アチェ。ワレギアでは王族は、自ら剣を振るって、民と羊を狼から守るんだ。私だって今までそうしてきたし、民の中にはドドゥより幼い子だっていたんだ。どんな民でも守るのが王族の使命なんだよ」
ふうっと、今度はアチェが嘆息する番だった。
「……そういや、ワレギアも羊を飼って暮らすんだよね」
アチェが、それまでの話とは関係無さそうなことを呟く。
「ワレギア『も』?」
「そう。ワレギアだけじゃなくて、私の故郷の『砂浜の村』でも羊や牛を飼って暮らしていたよ。もっともワレギア羊毛ほど高級品じゃなくてね。だから大した値にならず、『浜辺の者』はみんな貧しいんだけどね」
私も子供の頃、自分の身体が金銭に代わると知るまでは、羊の群れの世話に明け暮れてたよ。そう言った後、アチェはティードリーアの方に顔を向けていった。
「人間もさ、何だかんだ言って群れてないと生きられないのかもね。羊と一緒で」
「……?」
「で、ちゃんとした羊飼いに守ってもらう。いや、私の言いたいのはさ、世の中にはちゃんとした羊飼いってのがいるもんだなあ、ってことだよ。あんたは立派な王女様だ。生まれが王女だからってだけではあんたみたいになれない。よっぽどあんたを育てた両親が立派だったんだね」
「……私はともかく、両親を褒めてくれるのは嬉しいな。有難う」
ティードリーアはアチェに心の底から礼を言った。この帝国では「蛮族の王」、「邪教の巫女」と呼ばれるだけの両親だった。それにも関わらず、しかも自分を見て立派な両親だと断言してくれたのがティードリーアは本当に嬉しかったのだ。
もっともアチェは「いや……」照れてしまい、しばらく会話が途切れた。しばらくの間、石畳の上を二人がツンカツンと歩く足音だけが響いていた。道の両側には、重厚な石造りの何階もある大きな建造物群が並んで、人間を威嚇するかのように聳え立っており、それでもまだ足りないのか何本もの尖塔が空に挑んでいる。
道は馬車がすれ違える程度の広さはあるのだが、巨大な建物が並ぶ谷間となっている所為か実際より狭く感じられる。まるで峻厳な峰の合間の狭隘な谷底を歩いているようだ、とティードリーアは思った。
しかし、アチェの指示にしたがってある建物の角を曲がった途端、風景は一変した。目の前を遮るものが無くなり、一気に視界が開けたのだ。ティードリーアは一瞬自分が故郷、ワレギアに帰ってきたのかと思った。目の前に、風が吹けば緑の海原が大きく波立つ、懐かしいあの草原の幻が一瞬眼前に拡がったからだった。
「これが河だよ」
足を止めたままやや呆然としたティードリーアに、アチェが側まできて教えてくれた。
――これが、河。
ティードリーアも「森の国」の中で「海の源流」から流れ出ている小川を見たことがある。けでども、下流のここ「石の国」では、その流れは、対岸の建物群も霞んでしか見えないほどの大河となっている。
ぱちゃん。ぱちゃん。
アチェが河の中に入っていく。
「アチェ、いいのか? 河の中に入っても?」
「ある程度河に入らなきゃ、上手く散骨できないよ」
それもそうだと思いながらティードリーアも脚を踏み入れた。ワレギアでは水は井戸からくみ上げて大切に使うものだった。多めに汲み上げて、多少の水遊びはしたものの、これほど大量の水に触れるのは彼女にとって初めての体験だった。ティードリーアは、人力で汲み取らなくても自然に寄せては返す波間や、足先の砂が流れていく感触に少なからず戸惑いながら、先に随分中に入ってしまったアチェに並ぶ。
そして河の中から、ティードリーアは今度は街の方に目を向けた。
帝国随一の商業都市「尖塔の街」。
この街には、どこか猛々しさがあるような気が彼女にはしていた。この街には、地面を、地上を、そして空までを、人の手になる石材とその装飾で侵食してやろうという勢いがある。しかし、河のから振り返って見ると、その勢いは何か冒し難いものに阻まれているかのように、街は河辺できっちりと終わっていた。まるで、街の勢いが、そこで膝を屈し、頭を垂れているかのように。
アチェもドドゥの遺骨を胸に抱きしめながら、河の水面に向かって俯いていた。
「ティード、アンタもドドゥのことを祈っておくれ。海にちゃんと還って元気な魚になるように、って」
「ああ……」
河の信仰に馴染みきれないティードリーアだったが、ドドゥには休息を楽しんで欲しかった。その後生まれ変わるというのなら、次は喜びの多い人生こそが彼女には相応しい。彼女もアチェに倣って心から祈りを捧げた。
二人の女は腰を屈めてドドゥの粉状になった骨を流す。傾き始めた夕陽を受けてキラキラと輝く水面のなかに、粉は一瞬身を潜らせ、やがてそのまま河の流れにのって、姿を消した。
これで本当にドドゥという一人の女が消滅しきってしまったように思えたのか、アチェが顔を覆って泣き出してしまった。
「アチェ……」
ティードリーアが肩を抱いてやると、しゃくりあげながらアチェが呟いた。
「大丈夫だよね。きっとあの子は魚になって、海でしばらく楽しく暮らすことだろうね」
「ああ、きっとそうだよ。大丈夫だとも、アチェ」
二人は肩を寄せ合って、二人の友人を残して海へ還っていくドドゥを見送っていた。
「ティードリーアが友人と外出許可を取った?」
ゲルガンドは、ジガリの報告に意外そうな顔を向けた。
今日は休暇であるし、何かと煩いホイガは隊列を離れて一人でいち早く皇都に向かって不在だった。だからゲルガンドは、私人としてティードリーアを夕食に招き、義理の娘の軍生活の様子でも聞こうと思っていたのだった。
「ツイてないなあ、ジガリ殿」
ティルバが声を掛ける。横にはトゥームも腰掛けていた。ゲルガンドは彼らも私的に招いていた。こうした場でティードリーアと誼を結ばせて起きたかったからである。
「残念でしたな。ジガリ殿にはティードリーア姫に、今日を機に誤解を解いて欲しかったでしょうに」
とトゥームが慰めるように言った。
「ええ、それはまあ……」
そう答えるジガリに、ゲルガンドも声を掛けた。
「なんだ、ジガリ。君は、『矢避け』という言葉を使ったことをティードにまだ軽蔑されていると気にしているのか?」
「え、ええ、まあ……」
ジガリの歯切れは悪い。彼には珍しいことだと思いつつゲルガンドは、彼を励まそうとした。
「ティードリーアは聡明だ。『矢避け』という存在の不条理に思い悩むことはあっても、偶々その言葉を発した君個人にいつまでも悪意を持つようなことはすまい」
それでも浮かぬ顔のジガリに代わって、ティルバが口を挟んだ。
「ジガリ殿。貴方は別の意味でがっかりされているのでしょう? 話題はともかくティードリーア姫の姿を見たい、声を聞きたい、そんな心境でおられるでしょうから」
「ティ、ティルバ殿!」
顔を真っ赤に染めるジガリから、ティルバはゲルガンドに視線を移す。
「聞いてくださいよ、ゲルガンド将軍。ジガリ殿ときたら、『軍をやめようかな』などと私に漏らしたのですよ」
「軍を? 確か君は『石の国』の豊かな商家の、三男坊か四男坊ではなかったか? 商いは長男が継ぎ、実家にいても居場所がないので軍に入ったと聞いているが……」
「四男坊です。いや、実は実家が商いを拡げまして。誰か信頼できるものに支店を任せたいなどと言ってくるようになりまして……」
「君は有能な軍人だ。私はそう評価している。次は下級将軍を是非君に勤めてもらいたいと思っているのだが……。君は軍を辞めたいのか?」
「いえっ、あの、そういうわけでは。そうではなく……」
ジガリに代わって、ティルバが面白そうに答えた。
「ゲルガンド将軍、この堅物のジガリ殿にようやく恋の季節が到来したというわけですよ」
「ほう?」
トゥームは今夜の酒の肴にされてしまうジガリを少々気の毒そうに見つめている。
「わ、私はただ、ティード、いやティードリーア姫がおいたわしいものだと、ティルバ殿に非公式な酒席で零しただけです」
ジガリはゲルガンドに慌てた様子で弁明した。そこにティルバがまた口を挟む。
「そうそう、その前に『ティードは身も心も美しい、素晴らしい女性だ』なんて頬を緩めてティードリーア姫を褒めちぎっておいででしたな」
「ティルバ殿!」
「で、ジガリ殿は仰った。『もし自分のような者が相手でも、人妻におなりなら、皇帝皇女の不興もとけるだろう……』と」
ジガリは赤面するばかりで何も言えない。
「で、私が『部下を妻にすると、帝国軍内での栄達は微妙になるぞ。君自身の出世はどうするつもりだ?』と尋ねましたら、『いっそ軍を辞めて家業を手伝っても……』などとジガリ殿は仰る!」
若干興奮気味に喋るティルバを、それまで黙っていたトゥームがたしなめた。
「ティルバ、その辺にしておいたらどうだ。ジガリ殿がそんな話をするようになるまで、貴官は相当ジガリ殿に酒を勧めて酔わせていたそうではないか。ジガリ殿を弄ぶもんじゃない。ジガリ殿は、物堅い。女性を好ましく思うと同時に、結婚という責任の取り方まで一気に考えを進めてしまう。ジガリ殿も生真面目すぎるが、ティルバ殿もからかうのはそこまでにしておいた方がよかろう」
トゥームの助け舟に、ジガリはふうっと大きく息を吐いた。もっともゲルガンドに再び慌てさせられることになるのだが。
「ふむ……。ジガリのような真面目な男なら、ティードリーアを託しても良いのかもしれん……」
真顔でゲルガンドが呟くのに、ジガリは顔一杯に苦笑を浮かべて見せた。
「とんでもない。私は所詮商人の家の出です。王女であった彼女とは生まれ育ちが違います。それに……」
ジガリはここで周りの面々を見回した。
「一体誰が、ティードリーア姫の初恋の男性にかなうというのです? 彼女がゲルガンド将軍と会うときの顔の輝きといったら。本当に、私など全く眼中にないのだとしみじみ思い至りましたよ」
「それでは困るのだが……」
とゲルガンドは言いつつ、少しばかりほっとした表情を浮かべた。
「ゲルガンド将軍を凌ぐ理想の男性など、そうやすやすとティードリーア姫の前に現れることなどありますまい。ジガリ殿には残念なことですが」
トゥームの言葉に、ジガリは「いやいや」と首を振って答えた。
「トゥーム殿の仰るとおりです」
それから、話を少し真剣なものに変えた。
「軍に入り、そしてこれからも皇帝皇女の警戒心を浴びながら過ごすのであれば、この先ゲルガンド将軍のようなやり方で自分の身を守らなければなりますまい」
「私のようなやり方?」
「ええ、武芸を磨き、ご自分でご自分の身を守る術を身に着けていかれるべきです」
「……そうだろうな。それでジガリはティードリーアにもきちんと訓練を積ませてきてくれたのか」
話題からあぶれかけたティルバがまたまたジガリの横から返事を奪った。
「単にジガリ殿が生真面目だから。公平に取り扱ったということですよ」
そして今度は全く別方向に話を持っていく。
「で。そのティードリーア姫の初恋の君、すなわちゲルガンド将軍。貴方はこのままあの我が侭皇女とご結婚なさるおつもりなのですか?」
和やかだった席の雰囲気が、ティルバのこの一言で一変した。ティルバは失言したわけではない。彼は事の本質を突くのに大胆なのだ。その大胆さに戸惑いながらも、トゥームもジガリも黙ってゲルガンドの答えを待った。
「……私は……」
ゲルガンドはゆっくりと話し始めた。
「私は皇族に生まれた。皇族や王族の結婚は政治的なものだ。皇帝や親の意向、自分自身の政治的判断から相手は決まるべきもの」
実際この時のゲルガンドは心の底からそう思っていた。
「スヘイド帝のご結婚は、確かに大層美しい恋物語だったとは思うが……。皇帝の結婚は政の大きな問題だということを、もう少し慎重にお考え頂いていれば……。帝国と諸王国とはもっと安定した絆で結ばれ、なにより皇妃ご自身もあのような悲劇に見舞われることはなかったのではないかと思う。そう……スヘイド帝はご自身の気持ちを通されたが、その結果は誰にとってもあまり幸せなものにならなかった。私の結婚相手も安々と選ぶべきではないだろう。」
ジガリが気の毒そうな顔をするのに、ゲルガンドは軽く首を振った。
「なに、私は別に女性にさほど興味はない。そうだな。皇女の夫になっても、領国視察の旅くらいには出させて貰えればそれでいい。実際、皇帝家からも親睦を深めることを求めていかなければ、帝国は成り立たない。皇女は未だ御歳十三だが、大人になればそれもお分かりだろう」
ゲルガンドは酒盃を持ち上げ、皆に料理に掛かるよう促しながら話を纏めた。
「皇女の夫になって、旅を中心に暮らす。そんな人生も悪くないさ。誰にとってもそこそこ良い選択だ」
一同それはあくまで皇帝皇女が今回のホイガの陰謀に関わっていなければ、という前提であることが分かっていた。しかしこれは今論じていても仕方がない。
「それにしても、ティードリーア、いやティードには友人ができたのか? ジガリ」
ゲルガンドが話題を日常的なものに戻し、和やかな食事が始まった。
「ええ。アチェという女です。近年の訓練兵の中でも最も頭の回転の早い者でしょう。ちょっと屈折したところがありますが、人を観察し、相手に応じた采配を振ることができます。ドドゥにそうだったように、心の奥底はとても優しい」
ジガリは自分の訓練生達の評価を述べた。
「ティードには人の上に立つ器があります。アチェも人が集まれば自然と頭目になるほうですが、アチェの場合、自分より小物ばかりだと退屈してしまう傾向もあります。ティードのような器の大きな人物の側で補佐する方が本人も楽しいのではないかと思いますね。この二人は後々も一緒に育てていけば楽しみでしょう」
「そのアチェというのは、『浜辺の者』で娼婦上がりと聞いているぞ。ゲルガンド将軍の義娘の友人にそのような下賎な者がいるというのは如何なものだろう?」
ティルバはずけずけと思ったことを聞く。ゲルガンドが普段から思っていることを、気負わず答えた。
「ティルバ。軍にあっては実力が最重要だ。自ら生き残り、周囲の者生存の可能性を高めることが出来るか否かという力量こそが全て。生まれ持った身分はここでは関係ない」
一同も納得する。実際戦場で命を危険にさらすようになれば、誰にでもわかるようになることだ。
「ともあれティードリーアに友人ができて良かった」
ゲルガンドは父親らしく頷いた。
「あとは、恋人ですかな。ジガリ殿は今回振られてしまいましたが」
ティルバは性懲りも無くジガリを酒席でからかい始める。
「私は別に……。彼女の美しさと凛とした人柄が気になっただけで……。それは訓練隊長という仕事柄、部下の人間性を観察せねばならないのですから……」
ジガリが真剣に言い訳を重ね、会話が続いていく。ゲルガンドはティードリーアが、自分の世界を広げていく様子に安心しながら耳を傾けていた。
その頃。『森の国』の中心皇宮の最も奥深い豪華な部屋の、華麗な装飾の椅子に座る少女はたった独りで月を眺めていた。友人というものを持たない十三歳の少女は、自分が「恋人」と決めた男が帰ってくるのを待ちわびていた。
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