皇都に向けて

 その夜。ゲルガンドは自分の天幕にジガリを呼んだ。副将を務めるトゥームとティルバも一緒だった。


「まず報告を聞かせて貰おう」


 ゲルガンドの下問に対し、ジガリは奇襲の経緯を簡潔に説明し、最後を受けた損害で締めくくった。


「死者はドドゥという女一名。重傷者六名。軽傷者十一名です」


 ヒューと口笛の音がした。ティルバだった。


「まだろくすっぽ兵士としての訓練を積んでいない“ひよっこさん”達が襲われて、よくそれだけの被害で済んだもんだ。結構、結構」


 もう一人の副将トゥームも笑顔で言った。


「ジガリ殿の下した命はただ一つ、『逃げろ!』だったそうですな。良い命令だ」

「……しかし。一名は命を落としましたので……」


 ジガリは「矢避け」という言葉にティードリーアが見せた軽蔑の表情を思い出し、言葉を濁した。


「人の上に立つものは、預かった命を大切にする義務がある。ドドゥという女は不幸なことだったが、『逃げろ』という命令は兵士の力量に見合った正しい命令だ」


 ゲルガンドの賞賛を聞いて、ジガリはますます複雑な表情になる。自分が今受けている賛辞を聞けば、ティードは何を思うことだろう


「それにしてはジガリ、随分と浮かない顔だな」


 ジガリは自分の脳裏に浮かぶティードの姿をしまい込み、肝心な用件を切り出した。


「先ほども申しましたが、この襲撃には不審な点が多いのです」

「と言うと?」


 ジガリは過不足無く起こった事実を並べた。敵が訓練兵の部隊だけを、さらにはティードだけを正確に攻撃の標的としていたこと。ホイガ派のガイディは訓練兵の救援にとうてい積極的とは言いかねる態度をとったこと。そして、前日ジガリが隊列の変更を申し入れた時、ホイガが異様なほど激昂したこと。


「これらの事実から、私は一つの推論を立てております。すなわち、ホイガが敵と通じてティード、いやゲルガンド将軍の養女であるティードリーア嬢を亡き者としようと企んだように思えるのです」


 ジガリの説明が終わるとトゥームが、真っ先に発言を求めた。


「ジガリ殿。その推測は危険だ。いや貴方の仰ることも、決してあり得ない話ではない。いや、むしろホイガならやりかねん。ただ……如何せん、今の話では状況証拠しか存在しない」


 トゥームの肌は黒曜石のように黒い。彼は西南の果てと言われるグアツ国の生まれだ。そのような辺境から皇軍の最高司令官の副将にまで昇りつめた極めて珍しい例が彼だった。その分苦労人であったし、三十を超えた大人であったので、彼はいつも慎重に物事を推し量るのだった。


 ティルバが口を開く。


「トゥーム殿は相変わらず腰が重いですな。これは良いきっかけですよ。少々証拠が薄くたって、ここは一気にホイガの奴を告発して、あの鬱陶しい間諜をこの軍から追い払うべきです」


 そういうティルバは、ジガリ同様二十歳そこそこ。典型的な下級貴族のお坊ちゃんという印象そのままの男だった。しかし、この貴族の若者は自分で陣頭に立つ勇気を人並み以上に有していたし、頭の回転が早く、戦術の組み立て方が独創的で、ゲルガンドは彼を有能な将と評価していた。


 しかしながら、今回ゲルガンドはトゥームの言を容れた。そして口元に運んでいた酒盃を脇に置き、真剣な顔で指摘して見せた。


「根本的な問題はホイガではない」


 トゥーム、ティルバ、ジガリの三人がゲルガンドを注視する。


「私もジガリ同様、今回の件はホイガの陰謀による可能性が高いと思う。その方が今回の襲撃の不可解さにも納得がいく。しかし、ホイガのような小物はこの際問題ではない。真の問題は――」


 ここでゲルガンドは言葉を切った。


「真の問題は、皇帝皇女がこの件に関わっておられるかどうか、だ」


 三人の顔が一気に深刻なものとなる。皇帝皇女まで関わっていたとなると、それは皇帝による支配、すなわち帝国の正当性すら脅かす問題となりかねない。


 なるほど、とティルバは呟いた。


「奸臣ホイガが、可愛い姪の恋敵を陥れいれようとしただけなら、まだ話は簡単だ。しかしながら皇帝皇女に忠誠を誓い、その御身を守護せんがため命まで差し出している帝国軍の兵士を、皇帝皇女自身が敵の蛮族と通じて危険に晒した――。そうなると、事は重大極まりない。皇帝皇女の全皇軍に対する裏切り行為だ」

「皇帝皇女の関与についてはどう思う? ジガリ殿」


 トゥームがジガリに問いかけた。暫しの沈黙の後、やや細い声でジガリが返した。


「わかりません。私が現に起こった事実から推し量ることができるのは、ホイガ殿が関与していただろうというところまでです」

「実に慎重で堅実な立論だ。ジガリ殿らしい」


 トゥームが軽くジガリに賞賛を送った。隣でティルバも溜息まじりに頷く。


 しかしこの時、ティルバの頭の中で何かが閃いたようだった。


「ゲルガンド将軍、ここは真実なんてどうでもいい。これは好機だ!」


 ゲルガンドに話しかけるティルバの頬は赤くそまり、興奮しているのが窺える。


「主君に命まで捧げている皇軍の兵士達を、単なる私的理由で当の主君が敵に売る――こんなことは噂に立つだけでも皇帝の威信は大きく揺らぐ。その噂を信じる者は、誰もがそんな暗君のことなんか見限るでしょう。そうなれば、ゲルガンド将軍への期待は今まで以上に膨らむ」

「ティルバ殿……」


 ジガリがティルバを嗜める。しかしティルバは止めない。


「私は、以前から申し上げております。ゲルガンド将軍、貴方こそがこの帝国の皇帝たるに相応しい。スヘイド帝やリザ皇女が真実この件に関わっているかどうかはどうでもいい。真相がどうであれ、その噂を広められるだけ広めておきましょう。そして今、ここで反旗を揚げて、皇都へ攻め込めとご命令いただければ――」


「悪い冗談だ」


 ティルバの意気込みを、ゲルガンドはあっさりいなした。それでも、拗ねた表情を隠さないティルバに、噛んで含めるように説明を加えた。


「簒奪者は、簒奪される者以上の正当性を持たなければ、民に支持されない。トゥームの言うとおり、状況証拠だけで突っ走るのは危険だ。決定的な証拠もないのに下手に騒げば、こちらが言いがかりをつけたと看做されるかもしれない。私は元帥号を受けたといえども一介の将軍だ。皇帝の命で抹殺される事だってあり得る」


 別にゲルガンドは現在の地位にも生活にしがみつくつもりはなかった。けれども彼には守ってやらねばならぬ者が多いのだ。親ゲルガンド派とされる武人や官人、貴族の友人達。そして亡き親友の娘ティードリーア。彼らのためにゲルガンドは身の振り方を慎重に考えなければならない。


 ゲルガンドは溜息を一つつくと、顔をあげ、中空を眺めやりながら続けた。


「皇帝は『海の源流』の守護者だ。支配には責任が伴う。あの泉に滴り落ちてくる全ての命を、それらが海に還るまで守るのが皇帝の責任だ。その責任は勿論、全ての帝国軍兵士の命についても変わらない」


 彼は再び三人に視線をあてた。


「スヘイド帝の力量についてはともかく、彼は皇帝であることには自覚的な方だ。故意に皇軍を危険に晒すようなことまでなさるとは思えない。リザ皇女は、少々我がままが過ぎるようだが、何しろ御歳十三。未だ人格形成期であられる。我々のするべきことは、皇都に戻ったら事の次第を真摯に報告し、正面から質すべきことを質すことだろう」


 ティルバはそれでも逸る気持ちを持て余しているらしい。だからゲルガンドはこう言い足してやらねばならなかった。


「スヘイド帝が暗君なら、これからだっていろいろ皇帝に相応しくない行動をとるだろう。中には民の誰もが皇帝の交代を望むような愚行を犯すかもしれない。その日まで、我々は道義を弁えた行動を積み重ねておくべきだ。それがいざという時、民の信頼を得ることになるだろう」


 皇位の簒奪など全くする気のないゲルガンドが、「ともかく、これは将来の簒奪への下準備とでも思っておけばいい」とまで口にしたところで、血気盛んなティルバも漸く納得したようだった。



 この訓練兵への襲撃以来、ゲルガンド率いる皇軍に襲撃らしい襲撃は行われなかった。皇軍のルードウ駐在は三ヶ月の間と決まっていたが、その間も、蛮族の動きはなく、せいぜい王都の中の裕福な商家に泥棒に入るくらいのものだった。


「ホイガの野郎、よっぽど良いモノを蛮族に握らせておいたみたいだね」


 と歩きながらアチェが言う。隣を歩く聞き手のティードリーアも頷く。二人を含む皇軍は、予定を終えてルードウから皇都へと帰還する途中だった。


 ルードウ滞在中に、二人は協力してドドゥの遺体を荼毘に付した


 通常、只の兵卒が戦死しても、遺骸は戦場に放ったらかしにされる。しかし、それはアチェにもティードリーアにも承服できるものではなかった。草木の生えないルードウにあっては薪も炭も実に高価なものだったが、二人は私的な所持金をほぼ使い果たして必要な量を買い求め、ドドゥの亡骸をに火葬に付したのだった。


 ゲルガンドの皇軍は、往路は訓練をかねて河を避け、「石の国」の外れを通ったが、復路は兵士達の慰労のため「石の国」の首都「尖塔の街」にしばらく滞在してから皇都に向かうことになっていた。


 「尖塔の街」は河沿いの港街で、アチェはそこでドドゥの遺灰を河に流すのだと言い、遺灰をいれた小さな壷を大事に胸にぶら下げていた。


 そうやって歩き続けるアチェにティードリーアは沈痛な面持ちで問いかけた。


「――私がいなかったら、ドドゥも死なずに済んだのではないだろうか」


 ジガリ達は何も洩らさなかったが、兵卒達も愚かではなかった。今回の遠征でたった一度起こったあの不可解な敵の来襲。あれは、ホイガがティードリーアの暗殺を図ったものではないか、という噂がいつしか立ち、兵卒達の間に広まっていた。


「何度言ったらわかるんだい」


 アチェはティードリーアの背を叩いた。


「悪いのはホイガだ。みんなだってそう思ってる。アンタが憎けりゃこっそりアンタ一人の食事に毒でも盛ればいいものを。そこで、訓練兵全体を巻きこむホイガの馬鹿が悪い」


 こう言っちゃアンタは気を悪くするかもしれないけどね、とアチェは前置きをして続けた。


「アンタ本人の生き死にには、みんなさほど興味は無いんだよ。だけどさ、あの糞野郎ときたら、アンタ一人が憎いからって他の兵士まで死ぬ危険に晒しやがったんだ。まともな脳みそを持ってりゃ誰だってあの人間の屑の方を憎むよ」

「そうか。そうかもな……有難う、アチェ」


 それでも兵士達の中には、ティードリーアに向けて忌々しげな視線を送る者がいることをティードリーアは知っていた。だが今はアチェの思いやり――随分ぶっきらぼうだけれども――に感謝したかった。


「べ、別に礼を言われるようなことじゃないよ」


 アチェは顔を赤くして、そっぽを向いた。ティードリーアは苦笑する。この頃には、アチェは照れ臭がりの人情屋だと知れていた。

 

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