王女から雑兵へ

 当初、ゲルガンドはティードリーアを自分の近侍として連れて行こうとしていた。しかし、ホイガの冷笑がそれを阻んだ。


「ほう。ゲルガンド元帥。貴方は、血の繋がらない若い女性を側に侍らそうとというお考えなのですな」


 嫌らしい物言いをする男だ。ゲルガンドは不快げに短く息を吐いた。


「ティードリーアは義理とはいえ私の娘だ。下種な勘ぐりはやめて貰おう」

「私に下種な想像をやめさせたところで、他の者がしないとは限りませんがねえ。まあ、ご息女として連れて行くということで。ただ……」


 ホイガの粘着質な声が途切れ、ふっと鼻で笑った音が聞こえた。


「神聖なる皇軍の遠征が、それではまるでピクニックですな。他の将兵達だって妻や娘を連れて行きたいなどと言い出したら、私はどう答えれば良いのでしょうねえ、元帥どの」


 他の将兵に示しがつかないから家族を同伴するのは反対だ、そう言えば済むものを。こうやって絡んでくるところに、ホイガのゲルガンドに対する敵意と蔑意と、彼自身の性格のいやらしさが滲み出ているとゲルガンドは思う。


「それでは……。彼女を他の将軍の近侍か、或いは上級将軍は無理でも中級将軍として参軍させるのはどうだろう」

「さあて、どちらもそれ相応の身分と実績が必要となるものですがねえぇ?」


 ホイガは語尾を犬の尻尾のように巻き上げて答えた。ゲルガンドは少なからぬ苛立ちを覚えたがそれに耐えた。


「実績は確かに無いに等しい。ただ彼女は剣技や馬術が上手い」

「剣といっても蛮族の物でしょう? それに兵を率いた経験もない」

「人を率いる資質はあると思う。なにしろ――」


 彼女は一国の王女なのだからとゲルガンドが言いかけたのを、ホイガが制した。


「そもそもあの娘には身分がございません」

「……ティードリーアはワレギアの第一王女だ」

「その件でございますが」


 ホイガは殊更に取り澄ました顔を作った。


「先日、皇宮に現ワレギア国王からの親書が届きましてな。前王妃とその息女に関するあらゆる国内の記録を抹消するので、帝国内での扱いもそのように宜しく計らって欲しい。だそうで」

「…………」

「まあ、現国王としては、親帝国派の前王とその王子、更に帝国皇帝の従兄弟を毒殺しようとした者など、正式な記録に残してなどおけませんでしょうからなあ」

「……しかし、何もティードリーアまで……」

「何でもあの国の迷信では、巫女というのは娘が世襲するのだとか。ティードリーア嬢はその巫女にあたるのでしょう? 迷信から脱するにはそんな女など邪魔モノですよ」


 その言い草にカッとなりそうな心を抑え、ゲルガンドはホイガを睨みつける。だが、ホイガは一向に怯まず、冷ややかに続けた。


「ということですので。ティードリーア嬢がどうしても参軍したいのなら、平民の常としてまずは雑兵、一兵卒として入隊することですな」


 ゲルガンドはホイガから顔を背け、窓の外をみやった。大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。そして「もう下がってよい」と一声だけでホイガを部屋から退出させた。


 どうしたらいいだろう。ゲルガンドは考えこんだ。まず、王女の地位を剥奪されたという事実。できれば彼女に告げずにいたいが、いずれ誰かから耳に入るだろう。彼女はどれほど悲しむだろうか。一国の王女という矜持は健康的な意味で彼女の自尊心を支えている。あのリザ皇女のように驕慢さにつながるものでは決して無く。父母を失った彼女にとって、その矜持は大きな拠り所だろうに。


 知れば今鬱々と過ごしている以上に気が重くなるだろう。何とか彼女の顔から憂いを取り除いてやりたい。それには「森の国」から連れ出してやるのが一番だし、今回の遠征は良い機会なのだが……。しかし一兵卒とは……。


 彼のそのような逡巡は、当のティードリーアによってあっさり無駄なものになってしまった。


「私はもとより一兵卒として入隊し、訓練を受けるつもりでございましたが?」


 彼女はむしろ意外そうな顔をし、小首を傾げてゲルガンドに答えた。


 公文書の中で自分が王女として取り扱われなくなったことは、ティードリーアも少し悲しく思った。けれども、文書の中の出来事など遠い出来事に感じられたし、そう命じたというガーグンにもよんどころない事情があったのだろうと推察できた。そもそも王女としての矜持とは、自分の心の問題だと彼女は考えていた。


 それに彼女はまだ、やっと十五歳になろうかという若さだった。その精神には新しいことに期待する瑞々しさに満ちていた。好きな武術を磨いて、いつかゲルガンドの側で役に立ちたい。今ティードリーアの気持ちにあるのは、新しい道に踏み出す昂揚感だった。


 ゲルガンドは安堵して端正な口元に笑みを浮かべた。ティードリーアも自分の言動が彼を喜ばせたことが嬉しかった。


 入隊に先立って、ゲルガンドはティードリーアに帝国軍について説明を与えた。


「帝国の軍は、遡れば諸貴族が私兵を率いて皇帝の下に参じたことに由来する。従って、長い間将軍職に就くことが出来るのは貴族か傍系男子皇族だけだった。騎士団や歩兵団などの兵士や整備を維持出来る力を有していることが必要だったからだ。帝国が版図を拡げ豊かになってからは、費用は帝国府より出ることになった。だから今はそんな伝統に縛られる必要もないのだが……」


 ゲルガンドは苦々しげに息を吐いた。


「しかしながら、今でも上級将軍と中級将軍は必ず皇族か貴族かに限られる」

「将軍職に上級、中級があるのですか?」

「そうだ。賢明な君ならお見通しだろうが下級将軍というのもある。これらの級の違いは、率いることの軍勢の規模による」


 ここで前もって話を整理するため、ゲルガンドは少しの間黙った。


「帝国軍は原則百人の兵士で一つの隊とする。上級将軍、中級将軍、下級将軍はそれぞれ六十隊、四十隊、十隊を率いる」

「人数はそれぞれ六千人、四千人、千人、ですね」

「そうだ。そして遠征軍はこの将軍を単位に編成される。例えば一万一千人の兵力が必要な場合は、上級将軍と中級将軍と下級将軍から各一人ずつだ」

「……六千と四千と千を足して一万一千……」

「二万の兵が必要なら上級将軍三名と下級将軍二名、或いは上級二名中級二名、他にも上級一名、中級三名、下級二名などの組み合わせとなる。どのように編成するかは、遠征の趣旨、相手の兵力、とるべき戦略によって決まる」

「はい……」

「帝国軍は全領土に分散している。全部掻き集めれば三十万程だが、たいてい帝国領土内の各王国に駐留している。どの規模の軍を置くかはその国による」

「ワレギアの帝国府には八千の兵がおり、将軍を名乗る者が二人いました。……ええと、中級将軍二人の編成だったということでしょうか」

「そうだな。ワレギアには中級将軍が二人だった」


 それは帝国内の王国の中ではかなり警戒されていた部類に入る。しかし、それは口に出さず彼は話題を変えた。


「どの国にも派遣されず、すぐに動くことの出来る軍、狭義の帝国軍は五万人いる。これを皇帝の手許にある軍という意味で皇軍と呼ぶ。私は元帥としてこの皇軍五万の兵を率いるはずだが、皇帝陛下は私にはいつも半分以下の軍しか任せて下さらない」


 ゲルガンドの口元に微かな嘲笑が浮かんだ。皇帝に対するものか、自分に対するものかは彼自身にもわからない。ティードリーアの方も、皇帝とゲルガンドの緊張関係については朧に聞き知っている程度で、どう返事をしたらいいのか分からなかった。


「ああ、そういえば下級将軍の説明をしていなかったな」


 ややあってからゲルガンドが思いついたように言った。


「はい。先のお話からすると、この将軍は皇族貴族に限らないのですか?」

「その通り」


 ゲルガンドは聡明な生徒に笑みを向ける。


「雑兵として入隊してきた者にも軍才に長けた者が数多くいる。時代が下がり、戦が大規模になるにつれて、高度な戦術が必要となった。そうなると血筋のみで将軍となった者達の手には余ることも多い。それでもしばらくは、雑兵出身者は隊長どまりで、将軍職には就かないという慣例が続いていた」

「はい」

「しかし、有能な雑兵は、あくまで非公式ながら、皇族貴族出身の将軍に近侍や幕僚として用いられるようになった。戦全体の采配を実質的に振る者さえ現れ、しかもそのような事例が増えた。それで皇帝も彼ら有能な雑兵出身者を無視できなくなったのだ。そうして千人のみを麾下とする下級将軍の職が彼らの為に設けられた。その際、それまで麾下の人数も不ぞろいだった皇族貴族の将軍を上級、中級に分け、今のような軍制が整えられたというわけだ。確か、皇帝自身の親征が絶えてしばらく経った頃の話だ」


 ティードリーアは、ゲルガンドの口から出る言葉がそのまま宙で光を放っているように感じられた。自分が武勲さえ立てれば――下級将軍になることも不可能ではないかもしれない。そうなればゲルガンドを支えて共に行動できるようになる――。


 ゲルガンドはティードリーアの胸中に灯り始めた希望に気付かず、一兵卒として入隊する義理の娘に必要な説明を付け加える。


「今まで述べてきた人数は、実際に戦闘する兵士だけの話だ。戦場には、これらの戦闘兵以外に、いくつかの特殊な部隊が随行する。医療隊や輜重隊、そして新兵の訓練部隊だ。ティードリーア、君はまずこの訓練部隊に入って本隊の行軍に従うことになる。実戦に出ることはまず無いが……」


 これはゲルガンドの、ティードリーアの義父としての希望的観測だった。けれどもティードリーア本人は早く実戦に出てみたいと思っていた。そこに自分の未来があると彼女は考えていた。

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