親子の壁

 ゲルガンドは皇宮の謁見室で皇帝親子を待っていた。この部屋の内装は、先帝が黒い森の中でも樹齢の高い巨木を選んで設えた。平面な部分は勿論、立体的に彫り出され、或いは彫り込まれた文様や彫像の隅々までが黒光りするまで磨き込まれている。重厚であるとともに、どこか陰鬱な感じのする部屋だった。


 しかし。ゲルガンドは思う。本当に憂鬱なのはこれから行われるあの親子との会見なのだ。彼は深々と溜息をついた。と同時に先触れが、皇帝親子の来臨を告げた。


 皇帝の後に従って入室してきた皇女は、ゲルガンドの想像以上に怒りを露にしていた。頬を紅潮させ、傲然と胸を張り、足を踏み鳴らして壇上を進む。なによりゲルガンドそっくりの黒い瞳が憤怒に燃えていた。


 皇帝も不機嫌そうな面持ちで椅子に座り、皇女がドタンと音を鳴らして椅子に身を落とした。二人が腰を下ろしたのを見て、ゲルガンドは膝をつき礼を取った。


「皇帝陛下におかれてはご健勝のご様子……」

「そんなこと、どうでもいいわ!」


 皇女の金切り声がゲルガンドの挨拶を遮った。


「蛮族の娘を皇都まで連れてきたというではありませんか! どういうことなの、それは!」


 ゲルガンドは皇帝を見た。けれども彼は冷ややかにゲルガンドを見下ろすだけで何も言わない。そこでゲルガンドも本題に入らざるを得なかった。――上手く話を進めなければ。ティードリーアの身の振り方がここで決まりかねないのだから――。ゲルガンドは穏やかに話を切り出す。


「私がこの度連れてきた娘というのは、先のワレギア国王の王女です。先のワレギア王は私の親友でした。その友が今際の際に娘の今後を私に託したのです」

「その王は殺されたのでしょう。殺したのはその妻。しかもその女はゲルガンド将軍、貴方にも毒を盛ったのでしょう!」


 ゲルガンドは「自分の盃には毒は入っていなかった」という親書を皇帝に宛てて出していた。しかし、ホイガや帝国府の役人から情報が入ったのだろう。


 皇女はなおも言い募る。


「帝国皇族の貴方に対して毒を盛った罪人。夫と息子を殺した残忍な女。貴方の連れてきた娘は、そんな母を持つのですよ。しかもその母は『河の信仰』に馴染まぬ異教の者だったと言うではありませんか。そんな賤しい者の娘など斬り捨ててしまえばよいのです!」

「…………」


 皇女の罵倒にゲルガンドは暫し絶句した後、息を吸い込んで心を落ち着かせてから答えた。


「異教と仰るが……。恐れながら皇帝家はこのところ異教や異国の風俗をおしなべて野蛮と看做すきらいがおありになるようです。しかし各国にはそれぞれ豊かで美しい、そしてその土地の理に適った文化がございます。ワレギアもそうです。それにティードリーア姫の父は『河の信仰』への帰依を果たし、皇帝より認められたれっきとした王でございます」

「……王族の娘だ、と言いたいのですね」


 皇女の声は一転、異様に低いものとなった。それは彼女の腹の底からこみ上げて来る怒りのせいだ。


 ――どこまで私を馬鹿にするつもりなのだろう。皇女は唇をぎりりと噛んだ。私が夫にと望んでいることを知りながら、その返事を歳の差を理由に保留にしておいて、それなのに私と一歳しか変わらぬ娘を自邸に連れ込むとは。


 そして、傍系とはいえ皇族だというのに、この皇女たる私よりも王族の娘を大事そうに扱うなんて。王族の娘――。皇女の胸の内は激しく猛り狂う。きっとその王族の娘もゲルガンドも侮っているのだ、この私を。所詮は「廷臣の娘」だ、と。


 悔しい――。皇女は膝の上で両の拳を固く握り締めた。こんな侮辱になど屈してなるものか。そして皇女は首をクイっと上げると、ゲルガンドを厳しい目つきで睨みつけ、よく通る声で言い放った。


「ゲルガンド将軍。貴方はこの私の夫となる身です。蛮族上がりの賤しい娘のことなど気に掛けてよい立場ではありません」

「皇女……」


 ゲルガンドは思わず立ち上がった。


「皇女。皇女は結婚というものをよく分かっていらっしゃらないのではありませんか。一度決めたらそうそう簡単に解消できるものではありません。それに何より、結婚とは片方が片方に命令して決めるべきものではない……」

「私の命に逆らう気ですか」


 皇女は低く短く言い切る。


 確かに、皇帝の、あるいは両親の命で結婚を決める者は多い。むしろそちらの方が多いだろう。今回は、当人、しかも十三歳に過ぎない少女が命じるから違和感があるだけで、確かに主筋の皇帝嫡流家の意志ならゲルガンドは従わなければならない。


 ゲルガンドはとりなしを求め皇帝スヘイドを見た。しかし彼は僅かに冷笑を浮かべる以外何も言わない。


 スヘイドは内心愉快でたまらなかった。自分を皇帝の器に非ず、と看做す者はゲルガンドこそ皇帝に相応しいなどと言う。若い頃から比較され自分より優秀と言われてきたこの男。その男の命運が、今、自分の掌中にある。


 スヘイドの冷酷な目を見てゲルガンドは悟った。皇帝達が自分のことを皇位を簒奪しかねない者として警戒しているのは知っている。皇女の夫となり、女帝のお守り役になればそれでよし。皇女の求婚を撥ねつければ、皇帝家に叛意ありと看做され失脚させられる。


 結婚を拒んだくらいで死罪にまではなるまいが、地位も名誉も剥奪され皇都から追放されるかもしれない。


 以前の自分ならそれでも構わなかった。彼は帝国内の地位など惜しくなかったし、皇都から出て行けと言われれば、これまで旅をした中で気に入った国、そうワレギアのような国で自由に暮らせば良いと思っていた。


 しかし今は違う。ガルムフは死に、その愛娘を自分は託されている。自分が失脚してしまったらティードリーアを守る者はいなくなってしまう。今の自分には守らなくてはならない者があるのだ。ここで失脚する訳にはいかない。


「ゲルガンド将軍。貴方はこの私と結婚するのです。わかりましたね」


 ゲルガンドは硬い表情で頷いた。追従笑いなど浮かべる気になれない。せめて自分の顔に浮かぶ表情の苦さから、この結婚の不毛さを汲み取って欲しかった。けれども命令と服従でしか他人と関わったことのない皇女には、そんな言外の意味など気づくわけなどなかった。


「では、あの娘は早々に処分しておしまいなさい」

「処分などと……」


 まるで物か何かのような扱いにゲルガンドは不快を露にする。が、皇帝親子は全く意に介さない。


「誰か適当な貴族にでも嫁がせればよいだろう」


 この皇帝の案が妥当なところではあろうが……。ここまで皇帝親子の不興を買い、しかも故国を追われるようにしてやってきたティードリーアを妻に求める貴族がいるとは思えない。


 ゲルガンドの友人なら、彼との友情の為にティードリーアを引き受けてくれるかもしれない。けれども彼と親しい者はたいてい反皇帝派だ。皇帝たちは反皇帝派に事あるごとに難癖をつけ、廷臣の位を取り上げたり、皇都から放逐したりとその勢力を削いできた。そのような不安定な立場の家にティードリーアを嫁がせる気になれないし、逆にティードリーアを嫁がせることでより一層その友人の立場を危うくするのではないかと彼は思った。


 それに。あれ程美しく聡明で、この自分に焦がれるような眼差しを向けながら口では何一つ言わない、そんないじらしいあの姫を他の男に渡すのは惜しい。


 ――けれども、自分のこの想いを通したところで自分とあの姫には未来は無い。


 ここでゲルガンドの頭にある考えが閃いた。彼は暫くの間無言で自分の考えを吟味していた。これ以外に何か別の方策は無いだろうか、と。けれどもどう頭の中をまさぐってみても、自分が今後あの姫を守るのにこれ以上の策はないとしか思えなかった。


 ゲルガンドはおもむろに口を開く。


「……では、このような案は如何でしょう。私が彼女を養女に迎える。神官達の記録する皇族の譜にも記載する正式な養女に。これで彼女は実の娘同然。そして実の娘相手に、結婚はおろかどんな手出しも許されない」

「なるほど。実の娘と過ちを犯すなどそんな忌まわしい事態などあってはならぬな」

「その通りです。父である私が娘に何かおかしなことをすれば、私の地位も名誉も地に堕ちる」

「ふうむ。……わかった。それなら良かろう」


 皇帝は満足気に頷いたが、皇女の方はまだ不満が残るようだった。


「でもお父様、それではその娘はゲルガンド将軍の傍から離れないのでしょう?」

「蛮族の娘が将軍の傍にいたところでお前が気に病むことはない。飼い犬でもいると思っていなさい」

「ああ、そうね」


 皇帝親子のこの遣り取りにゲルガンドの頬に朱が上った。彼は上段に座る二人を怒りと軽蔑の篭った目で睨みつけた。


「さあ、これで私の身は皇女のもの。ご満足か。ただし――」


 ここで彼は語気を強めた。


「あくまでこの婚約は内々のものに留めておいていただきたい」


 相手が何か言葉を発する前に彼は畳み掛ける。


「私はつい先日元帥を頂いたばかり。それがすぐ皇女の夫となり皇宮で暮らせ、となると帝国軍にしめしがつかない。皇帝には、まさに朝令暮改の謗りを受けることとなろう。それから、皇女におかれては夫君を迎えるまでに帝王学の研鑽をお積みになられるべきでしょう」

「私の努力が足りないとでも言いたいの?」


 皇女が不機嫌な声を出す。


「ご努力なさっているとはお聞きしている。ただ、今貴女と私とどちらが帝国領の諸王国に詳しく、また諸王国の王から信頼されているか。お考えになられよ。帝国の治世に疎い女帝陛下をお助けするのも、私の方は構いませんが?」


 ゲルガンドは言葉の尻を上げ、皮肉を込めた。スヘイドが苦々しげに応じる。


「ゲルガンド将軍。そなたが夫となってもこの帝国の皇帝はリザだ」

「ええ。形式的にはそのとおり」


 それは未だ幼い皇女の夫となれば、リザが女帝として立とうとも、実権を握るのはゲルガンド自身という事態もありうるのだ、という脅しだった。


「……わかった。リザは未だ十三歳。年齢のこともあってわざと教えてこなかったこともある。確かに早急にリザの学ぶことを増やそう」


 それから不満げな娘に優しく言い聞かせる。


「時期尚早と思って教えていないこともあるのだよ。お前ならすぐ身につけられる」


 そして再びゲルガンドに厳しい顔を向けた。


「結婚はまだ先でも、そなたは内々とはいえ婚約者だ。それは忘れるな」

「承りました。それで用件はお済みですか?」

「……これだけだ」


 では。ゲルガンドは退出を願い出て、踵を返すと、リザ皇女に一瞥もくれずに足早に部屋から出ていった。


 リザ皇女は、男の背中が怒りと軽蔑で強張っているのを見て、自分が何か重要なものを失った気がしたが、それが何なのかわからないでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る