皇女の切望

 その夜。リザ皇女は叔父のホイガと共に父帝の私室を訪れた。そして父帝に真剣な面持ちで頼みこんだ。


「お父様。お願いがございます」

「なんだね、リザ。珍しい」


 リザには幼い頃から周囲に侮られまいと優等生を演じる傾向がある。そんな娘を日頃痛ましく思っていたスヘイドは、久しぶりの愛娘のおねだりに、どこかほっとする気さえしていた。


しかし――。


「お父様。私、ゲルガンド将軍と結婚したいのです」

「…………」


 スヘイドは驚きのあまり暫し絶句したが、やがてくすくす笑ってまだ幼い娘に請け負ってやった。


「いいとも、リザ。お前が結婚相手を選ぶ年齢になれば、真っ先に彼に声を掛けてやることにしよう」


 今日のゲルガンドはなかなかの美青年ぶりだった。まだ幼い姫がのぼせ上がってしまうのも仕方あるまい。まあ、時がたてば熱も冷めることだろう。


「私、本気です」


 ピリリと何かを切り裂くような、リザの決然とした声に、スヘイドは思わず愛娘の顔を見返す。確かにこの表情は本気だ。「また今度」などという誤魔化しを容れる気は全くない。今すぐここで婚約まで整えなければ許せない、とでも言いたげな顔でスヘイドを睨みつけている。


 スヘイドも真面目な顔に戻って説き始めた。


「リザ。お前はまだ十三歳だ。結婚など考えるのはまだ早い。それに相手は二十六歳だ。年齢が離れすぎているだろう」


 スヘイドは父として当然のことを諭す。


「お父様。あの方以外の方を夫にするなんて私には考えられません。今まであれほどまでにトゥオグル帝にそっくりな方などいましたか?」


 娘が画中のトゥオグル帝に寄せている想いは、スヘイドも分かっている。しかしそれは少女の甘い夢だ。現実と夢とは違うのだ。それをどう説明してやったものか……。そう思案しているスヘイドに構わず、リザは畳み掛けるように言う。


「それに。お父様。私はもう子供ではありません。私も自分の将来についても思いをめぐらすことだってあるのです!」


 ここで皇女の中で何か激するものがあったのか、開いた口をわななかせながら少しの間言葉を探した。そして見つからなかった苛立ちをそのままに小さく、けれども鋭く叫ぶ。


「皇帝になりたい! でも、皇帝なんか嫌!」


 皇女は両手で顔を覆って俯く。


「リザ……」


 スヘイドは一層驚く。この娘はひたすら未来の皇帝を目指していた。幼子の頃からこんな駄々っ子のよ

うな態度を取ることはなかった。それなのに……。目を見張る父帝に向かって、皇女は再び顔を上げた。その目からは涙が幾筋も流れていた。


「お父様。私、皇帝になりたい。皇帝になってお母様の名誉を回復したい。そしてこの皇宮の誰からも軽んぜられたくない」

「わかっているよ、リザ。お前がそのためにどれだけ懸命に取り組んでいるのかも」

「でも……、でも……」


 再び皇女の声が震える。


「皇帝の生活なんて……。この皇宮から一歩も外に出ることも出来ないのよ、それも一生。そしてお父様とホイガ叔父様の他は、皇宮の中に居るのはみんな私の敵ばっかり。そんな中で飾り物のように生きていくなんて……そんなの……」

「飾り物、などと……」

「お父様が以前、そう仰ったのですわ」


 確かにそんな愚痴を娘に零してしまったことがあったかもしれない。スヘイドは悔やむ。


「でも、お父様には、単調で息の詰まる生活をも耐えるための支えがあるのだ、とも仰っていました」

「…………」

「恋の思い出。お母様との恋があったから、そう、その思い出が今も傍にあるからお父様は生きていけるのだ。そう言っておられたわ」


 確かに。皇帝の位についての愚痴は零しても、この娘に母親についてだけは悪く言ったことはない。そして、リザが知っていることの九割方は真実だ。一割の欺瞞を除けば。


「だから、私もずっと恋人が欲しかったの。お父様がお母様を得られたように、私も素敵な夫君が欲しい。絶対に欲しい」


 皇女が眦を決して言い募る傍から、ホイガがそっと皇帝に歩み寄り囁くように言った。


「皇帝陛下。恐れながら申し上げます。リザ皇女の御夫君となられるのにゲルガンド将軍より相応しい人物はおりますまい」


 そしてホイガは含みのある表情でスヘイドを見つめる。ホイガが言外に込めるものはスヘイドにもすぐ分かった。


 これまでゲルガンドをリザから皇位を奪いかねない危険人物だと考えてきたが、この二人が結婚すれば問題は一気に解決する。


 ――それでホイガもリザについて私の部屋まで来たのか。


 先にリザから「ゲルガンドと結婚したい」と聞かされていたら、止めてもよさそうなものだ。それをわざわざリザと今こうやって来たのは、この結婚の持つ政治的な意味を伝えたかったのだ。


 二人の大人の沈黙に、皇女が不審そうな顔をする。ホイガは慇懃に話を続けた。


「私は長年ゲルガンド将軍の軍吏としてお仕えして参りました。あの方自身を一人の男として評価するならば、真面目で誠実な方だと申せましょう」


 だから帝国軍内でも人望があり、皇女から皇位を奪おうとする者達もこぞって彼にすりよっていくのです。ホイガは目だけでスヘイドにこう説明する。


「妻を迎えられたらきっと大切になさる方です。間違っても他の女に心を動かされるようなことはありますまい」

「でも、急がなくては困るわ!」


 皇女が割って入る。


「だってゲルガンド将軍はもう二十六歳なんですもの。先に誰かと結婚なんてしてしまったら……」

「わかった……」


 スヘイドは大きく息を吐いて言った。


「急ぐにしても今日明日に彼が結婚するわけではあるまい。だから今日はもうおやすみ、リザ」


 それでもリザは不満そうな顔をしている。


「では。明日一番にお前の意向をゲルガンドに伝えておこう。これで彼に他の女性との結婚話などなくなるだろう」


 ホイガがやはり抑えた声で言い添える。


「皇女様の有難きご意向を聞いてなお、他の女と結婚しようとするなら……皇帝に対する叛意あり、と看做されても仕方がありませんな」


 スヘイドとホイガが胸中で思うことは同じだった。これでゲルガンドが皇女の伴侶となることを選ぶならよし。選ばないというなら、その断り方によっては帝国への反逆者として葬り去ることができる。


 腹の中の思惑など表にださず、父は娘に優しく言い聞かせた。


「さあ。これで大丈夫だ。もうお部屋に戻っておやすみ、リザ」


 リザは少し口を尖らせていたが、ともかくこれで当面ゲルガンドが他の女と結婚することは無いと思って納得した。それでもホイガと共に皇帝の私室を退出する間際、父の方を振り返って自分のおねだりに念を押した。これくらい愛くるしい顔をすれば父親は自分の要求を拒むことができないであろう、という自信たっぷりの笑顔で。


「私、あの方を夫に欲しい。絶対に欲しいの。そして幸せになりたい。お願い。お父様」

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