お茶会
ゲルガンド将軍は、先程からこめかみのあたりに軽い痛みを覚えていた。皇女直々のお望み。そう言われて式典の後、彼は皇女の私室で謁見を賜ることになったのだが――この娘の話というのはなんと退屈なのだろう。
いかにも少女の好みそうな部屋。壁は紅を混ぜた漆喰で塗られ、淡いピンク色をしている。窓に垂れる帳布にも、椅子の布張りにも、至るところに花模様。本物の花もそこかしこにふんだんに活けられ、甘い香りが部屋中に漂う。目の前にあるのは軍隊に居てはお目にかかることの無い繊細な作りの陶器の茶器類。
とうてい、二十六歳になる軍人が長居したいと思えるような部屋ではない。
それなのに皇女はいささか興奮した面持ちで、一方的に喋り続ける。自分の好きなお茶とお菓子、そしてその取り合わせの話。侍女達の可笑しいちょっとした粗相の話。新しく作るとても素敵なドレスの話。
あまりにも少女らしい話題にうんざりしながら、彼はできるだけ穏やかな笑みを浮かべて応じてやる。それに気を良くして皇女はますます囀り続けて止みそうにない。彼の中に、失望に似た感情が広がっていく。
ゲルガンドの二人の兄は将軍といっても名目的なもので、自宮からしばしば皇宮に上がっていた。しかし、ゲルガンド自身は少年の頃から実質的にも軍人で、皇都の外郭に控えている軍隊の中で暮らしていたため皇宮に上がったことが少ない。その上、皇族としてしばしば遠征を命じられていたから、皇都で暮らした時間もそれほど多くない。だから、この皇女と会うのは随分久しぶりのことであった。
その間、彼の耳に聞こえてきた皇女の噂は決して悪いものでは無かった。
帝国は、先帝の頃より文治政治に力を入れ、諸国より賢人を集め、領内の各地から様々な知識や物品を蒐集し始めていた。大会堂の下流に広々と広がる建築群は「百科の殿堂」と呼ばれ、研究者や学生を集めて帝国の頭脳としての役割を担いつつある。皇女は、そこからそれぞれの分野の第一人者を師として迎え、熱心に勉学に取り組んでいるという。
また、皇帝は神官達とともに「海の源流」を祀る儀式を執り行わなければならない。それらは非常に堅苦しいだけでなく、大人にとっても心身ともに忍耐力を要する厳しいものだ。
夏の盛りに炎天の下ずっと立ち続けなければならなかったり、冬の早朝に冷水で身を清めなければならなかったり。それなのに、皇女は自分が次代の皇帝であるという自覚のもと、父帝と共にそれらに臨み、しっかりこなして周囲を感心させているという。
今日の式典でもゲルガンドは感心していたのである。床から見上げた目に映る皇女は、姿勢正しく堂々と――群集を高みから見下ろすのを当然としている風格さえ漂わせて、皇帝の玉座の隣に腰掛けていた。
彼自身も将軍として部下を率いる立場にあるが、人の上に立つために最も重要なことは、自分は人の上に立ってみせるという気概のようなものではないかと常々思っている。先の式典では、この皇女が僅か十三歳にして既にそのような気骨を備えていると思い、彼は安心していたのだ。
皇女が次代皇帝に相応しく育っている、そう思って彼が安心したのは二つの理由があった。
一つは、この皇女が母親と同じような悲劇に見舞われることはなさそうだと思ったからである。彼女の母に、回数は少ないものの何度か会ったことがある。心優しく繊細な、そしてそのような人柄のせいか、人の上に立というという気持ちなど露ほども無さそうな儚げな女性だったと彼は記憶している。後年、遠征先で彼女の訃報に接した時は、彼女は皇后位という重圧にとうとう押しつぶされてしまったのだ、と哀れに思ったものだ。
彼が安心したもう一つの理由。それは皇女が皇帝に相応しい人間なら、自分が皇帝に担ぎ出されることなどまずあるまい、と思ったことだ。皇宮の内には母親の身分が低いことを理由にこの皇女を軽んじる風があることも彼は知っている。なぜなら、皇女を皇位に相応しくないと考える者達の多くはゲルガンドの許にやってきて皇位の簒奪を勧めるからだ。
しかしながら、彼は皇帝になるなど真っ平だった。彼は今の自分の生活を気に入っている。外で自由に馬を駆けさせ、身体を伸び伸び用い、遠征先で異国の様々な文化に触れる。彼は旅をするのが好きだった。それが先帝や現帝が、自分を皇女から皇位を奪いかねない危険人物と看做し、皇都から遠ざけるための命令だとしても、彼は遠征に出掛けるのが楽しみだった。
だから、彼は今日、皇女が皇帝になる器を備えているように思えて安心していたのである。しかし――。
この少女は皇帝位の重みを真に理解しているのだろうか。ゲルガンドの胸にそのような疑念が膨らむ。帝国の地理、歴史、その他の学問に通じていることは勿論望ましい。儀礼を果たすのも重要だ。威厳があるのも大変結構。だが、それらはそもそも何のために必要なのか、彼女は理解しているのだろうか。
帝国の領内のあちらこちらで紛争の火種が燻っている。皇帝は「河の信仰」により神聖な存在とされ、その支配が正当化される。けれども、帝国の中のそれぞれの地域に、その土地その土地で伝えられた信仰があり、今でも人々の暮らしに息づいている。近年帝国府は「河の信仰」への改宗を厳しく迫っているけれども、それが各地で軋轢を生んでいるのを皇帝も皇女もどれほどご存知なのだろうか。
そもそも先の皇后の一件で、皇帝家と帝国領内の諸王家との間に溝ができてしまった。それでなくても、様々な国々――文化も、信仰も、統治形態も、そして利害関心も様々な国々を統括しようとする皇帝に対して求められるものは果てしなく大きいのだ。
皇族の身で各国を回り、見聞を広めているこの自分を招いて、お菓子だのドレスだののお喋りをしている場合ではあるまいに。
ひょっとしたら――。ゲルガンドは皇女に気付かれない程度に微かに眉を寄せる。この皇女の皇帝たらんとするその努力の基には、広大な帝国を治める君主としての自覚は薄く、単にこの狭い皇宮内の女主人として君臨したいという子供っぽい意地しかないのではないだろうか。
――こんなことでは一国の王女にも劣るというもの。
彼はふとある国の王女を思い浮かべた。彼と太い絆で結ばれたあの草原の国。そこで暮らすあの少女。
――確か彼女は皇女と一歳しか変わらぬ年ではなかったろうか。
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