第19話 明星、色命数士に憧れる
他とは違う、白っぽい岩をくり抜いて作った階段を『
二十段ほどある岩の階段を昇ると、赤い瓦屋根のひさしがついた建物になっており、内部は四、五十名が入れるほどの広さがある。
「いい眺め~」
明星が朱塗りの欄干の方へ歩いて行く。西陵の地に、古くから住まう人々の住居や小さな畑、外の世界と隔てる壁のような、灰色の切り立った崖が一望できる。
月桂は敢えてそちらへ近づかなかった。高所が苦手なせいである。
「こちらへおいで」
先を行く婆様が振り返って手招きする。腰まである長い漆黒の髪がゆらいで、金と水晶で飾られた簪が、しゃらんと涼やかな音色を立てた。
月桂と明星は部屋の奥へと更に進んだ。洞窟の岩肌は手で掘り進められた人工的なものであったが、表面はとてもなめらかで虹色に光り、つやつやと輝いている。
よく見るとそれらは巻貝のような化石が貼り付いて、その部分が赤や黄色、緑色に光り、宝石化しているのだった。
巻貝の通路を抜けた奥の部屋は、八本の大きな金の燭台に蝋燭が灯されていた。その明かりに照らされて、ぐるりと四方の壁に、神々が住まう『
『
「うわ……綺麗だな」
明星が見ているのは『
「ここの壁画の歴史は古く、西陵の大地から緑が失われる以前より存在していた……」
「二人共、お座り」
「はい婆様」
椅子に腰かけた所で、明星がくいっと月桂の服の袖を引っ張った。
「月桂さん。どうしてあの人の事を『婆様』って呼ぶの?」
「ふふっ。それは私がこの地で一番の、年長者だからだよ」
目を細めて『婆様』が明星に微笑んだ。だが月桂は険しい表情をしていた。
「『婆様』……いや、
「あ、名乗らず失礼しました。ご歓待頂き、ありがとうございます」
明星が『婆様』――
「ほう……『
「えっ。
「まあね」
「ということは……『婆様』って、本当の年は……」
明星が両手の指を広げて何かを数えようとして、けれど断念したかのようにそれらをぎゅっと握りしめた。
「何年経とうが、女性に年齢を聞くもんじゃないよ。でもまあ……これで私が『
「前の『白零位』と顔見知りというのは、初めて聞きました。婆様」
月桂は神妙な面持ちで婆様――
「ふふっ。まあ、いろいろ理由があって……まだ
「えっ?」
「水城の『伽藍』の名代って言ったねえ? 今はあっちと付き合いがないんだけど、月桂の母――
「だった……ってことは、月桂さんのお母さんはもう――」
月桂は頷いた。
「私が八才の時に亡くなった。因みに父も……
「
月桂はふうと重い溜息をついた
「
俯きかけた顔を上げて、
「ふふ。ちょっと時間がかかったけど……頼りになるいい男になったよねぇ。お前達兄弟は。月桂は可愛い嫁を連れてきたし」
ふっくらした唇を上向かせて
「婆様、またそんなことを仰る! めっ……明星は、大切な友人です」
「ええっ? お前ももう二十六だろう。そろそろ身を固める頃合いだ。でないと私も安心して冥府へ行けないじゃないか」
「まだ行かせませんよ。婆様に……西陵の地が蘇る様をお見せするまでは」
「ふふん。お前が戻ってきたという事は、さぞや有力な情報を掴んだんだね?」
「あ、はい」
月桂は上気した頬に手を当てて、大きく頷いた。そして神樹が見つけた遺跡の話と、『
◇
「『八色の燈台の間』にたまっている『
「はい。その『
「成程。理屈はわかったよ。それで、その筆は一体誰が使うんだい?」
「俺です」
明星が力強く頷いた。
「へえ……」
「
「うふふ~なんだか、とっても嬉しいんだよね」
明星が口元を緩ませてくすくすと笑っていた。
「嬉しいって……変わっている子だね。明星、あんた、怖くないのかい? 月桂の作る『
「大丈夫。月桂さんは腕のいい
「明星……」
こほんと月桂は咳払いした。
「お前が使うのは『命数筆』じゃなくて、『命精筆』だ。こちらは生気を『吸い取る』方だからな。間違えるなよ」
「ええ~っ! じゃあ……じゃあ、俺が色命数術を使う時、『
「当然だが、使えない。今まで通り『
「……残念……」
がっくり。
明星の首が深く項垂れた。無残にも手折れた牡丹のように。
「ふふ。まあそんなに落ち込みなさんな。月桂ならいつか、明星が使える『
「婆様……」
「明星。あんたは『
「あります」
明星が頷いて隣の月桂を見やった。
「俺は……先日、
「ほう。アレと対峙して封じ込めたのかい。見た目は細腰の綺麗なお兄さんなのに」
「
「久遠――今世で唯一『
月桂は黙って頷いた。この場で敢えて言わないが、久遠は目の前にいる
隣の椅子に座っている明星が口を開いた。
「月桂さん、あのね。俺は久遠の指示で、数年前から
「えっ」
「恐らく久遠は……『
「察する? いいや。間違いなく奴は『知っていた』よ」
美しい微笑を浮かべていた
腹の奥底から響くような声色。何か特別な感情を押し殺したような……そんな仄暗さを感じる。
「『
「ど、どういうことなんですか。婆様」
「話せば長い話さ。それを知った所で、どうにもならないけど。まあ、久遠とは昔、ちょっと意見の食い違いがあってね。それ以来、西陵と水城の『伽藍』は互いに干渉することをやめたんだ」
「久遠と……
「おや、察しがいい子だね。まあ、そんなところだ。久遠が何を考えてあんたに『
「婆様!」
「……だい……じょうぶ。一度咳が出ると……ケホッ! ケホッ! 少し止まらなくて……ケホッ」
月桂は席を立ち、
「月桂、もういいよ……やっと、落ち着いた。ありがとう」
顔は青白く、肩で息をしているが、元の微笑みが
月桂は眉間を潜めた。
月桂自身も、喉に砂がまとわりつくような、いがらっぽさを感じていた。
「婆様、久々にお茶をお淹れしましょうか」
「ああ……頼むよ」
ふっと、子供の頃に戻ったような気がした。
花琳にお茶を淹れるのは、月桂の役目だったからだ。
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