第19話 明星、色命数士に憧れる

 他とは違う、白っぽい岩をくり抜いて作った階段を『婆様ばばさま』は昇っていく。その後ろを月桂と明星は付いて行った。

 二十段ほどある岩の階段を昇ると、赤い瓦屋根のひさしがついた建物になっており、内部は四、五十名が入れるほどの広さがある。


「いい眺め~」


 明星が朱塗りの欄干の方へ歩いて行く。西陵の地に、古くから住まう人々の住居や小さな畑、外の世界と隔てる壁のような、灰色の切り立った崖が一望できる。

 月桂は敢えてそちらへ近づかなかった。高所が苦手なせいである。


「こちらへおいで」


 先を行く婆様が振り返って手招きする。腰まである長い漆黒の髪がゆらいで、金と水晶で飾られた簪が、しゃらんと涼やかな音色を立てた。


 月桂と明星は部屋の奥へと更に進んだ。洞窟の岩肌は手で掘り進められた人工的なものであったが、表面はとてもなめらかで虹色に光り、つやつやと輝いている。

 よく見るとそれらは巻貝のような化石が貼り付いて、その部分が赤や黄色、緑色に光り、宝石化しているのだった。


 巻貝の通路を抜けた奥の部屋は、八本の大きな金の燭台に蝋燭が灯されていた。その明かりに照らされて、ぐるりと四方の壁に、神々が住まう『九仙郷きゅうせんごう』の壁画が、色鮮やかな顔彩で描かれている様が浮かび上がっている。


 『一黄イチオウ』『二赤ニセキ』『三青サンジョウ』『四緑シリョク』『五紫ゴシ』『六茶ロクチャ』『七碧ナナヘキ』『八金ハチキン』。八つの色命数しきめいすうの力の源が集うさと


 水城みずきの『伽藍がらん』では象徴する色旗を掲げているだけだが、西陵はそれらの象意しょうい――例えば『一黄イチオウ』は日輪。『四緑シリョク』は植物の絵――が描かれている。


「うわ……綺麗だな」


 明星が見ているのは『七碧ナナヘキ』の壁画だ。青く澄みきった生命の泉の縁に赤い線香の花が咲いている。泉の中では明星によく似た面差しの神・『七碧』が、長い金の髪を結うことなく背に流し、蓮の花を一輪、手にして立っている。


「ここの壁画の歴史は古く、西陵の大地から緑が失われる以前より存在していた……」


 婆様ばばさまは壁画の間を通り過ぎ、木の卓と椅子が置かれた居室へ誘った。八色の色命数で染め抜かれた色旗がここにも岩壁に貼られており、その前に置かれた卓の上には、瑞々しいうりが白い器に載せられていた。これは『九仙郷きゅうせんごう』の神々への供物であろう。


「二人共、お座り」

「はい婆様」


 椅子に腰かけた所で、明星がくいっと月桂の服の袖を引っ張った。


「月桂さん。どうしてあの人の事を『婆様』って呼ぶの?」

「ふふっ。それは私がこの地で一番の、だからだよ」


 目を細めて『婆様』が明星に微笑んだ。だが月桂は険しい表情をしていた。


「『婆様』……いや、花琳かりん導師。先に彼を紹介します。水城の伽藍で『白零位しろぜろい』の導師に任命されている、明星です」

「あ、名乗らず失礼しました。ご歓待頂き、ありがとうございます」


 明星が『婆様』――花琳かりん拱手こうしゅし頭を下げる。


「ほう……『白零位しろぜろい』の導師か。成程……お前からは固い蓮のつぼみも、即座にほころんで大輪の花びらを開くような温かな生気を感じる。前の『白零位』の導師は星明せいめいだったから……かれこれ二百年ぶりか」


「えっ。花琳かりん導師は、前の『白零位』の導師とだったんですか?」

「まあね」

「ということは……『婆様』って、本当の年は……」


 明星が両手の指を広げて何かを数えようとして、けれど断念したかのようにそれらをぎゅっと握りしめた。


「何年経とうが、女性に年齢を聞くもんじゃないよ。でもまあ……これで私が『婆様ばばさま』と呼ばれる所以ゆえんがわかったかねぇ、月桂?」

「前の『白零位』と顔見知りというのは、初めて聞きました。婆様」


 月桂は神妙な面持ちで婆様――花琳かりんの若々しい顔を眺めた。

 

「ふふっ。まあ、いろいろ理由があって……まだ今世こんぜに留まっているんだけどね。西陵に緑を取り戻したい一心とでも言っていこうか。そういえば水城あっちにもいるねぇ……私みたいに、生きているフリをしている奴が――」

「えっ?」


 花琳かりんが遠い目をした後で、ふっと切れ長の瞳を明星に向けた。


「水城の『伽藍』の名代って言ったねえ? 今はあっちと付き合いがないんだけど、月桂の母――風凛ふうりんがいた頃は、結構頻繁に行き来していたんだよ。風凛ふうりんは優れた色命数士しきめいすうしだったから。月桂が『四緑シリョク』の力が得意なのも、彼女譲りだろうね」


「だった……ってことは、月桂さんのお母さんはもう――」


 月桂は頷いた。


「私が八才の時に亡くなった。因みに父も……神樹しんじゅが生まれた年に行き方知れずになってね。婆様ばばさまがそれ以来、私たちの親代わりになってくれた」


風凛ふうりんは元々体が弱いのに、無理を重ねてね。西陵の土地が『九黒クコク』によって命を失っていく姿を見るのが辛いと……。『命生メイセイの都』の入口を探すあまりに亡くなってしまった。月桂たちの父親も、茶を運ぶ商人を護衛中、澄金山すいきんざんの山道で崖から足を滑らせて谷底に落ちちまってね。何しろあそこはとても深い谷で虎も出る。だから人をやって遺体を見つけてやることができなかった。それを思うと、今でも胸がとても痛むよ」


 月桂はふうと重い溜息をついた花琳かりんへ頭を下げた。


婆様ばばさま。御恩は十分頂きました。そんなことをもう仰らないで下さい」


 俯きかけた顔を上げて、花琳かりんの琥珀色の瞳がそっと細められた。


「ふふ。ちょっと時間がかかったけど……頼りになるいい男になったよねぇ。お前達は。月桂は可愛い嫁を連れてきたし」


 ふっくらした唇を上向かせて花琳かりんが微笑む。


「婆様、またそんなことを仰る! めっ……明星は、大切なです」

「ええっ? お前ももう二十六だろう。そろそろ身を固める頃合いだ。でないと私も安心して冥府へ行けないじゃないか」


「まだ行かせませんよ。婆様に……西陵の地が蘇る様をお見せするまでは」

「ふふん。お前が戻ってきたという事は、さぞや有力な情報を掴んだんだね?」

「あ、はい」


 月桂は上気した頬に手を当てて、大きく頷いた。そして神樹が見つけた遺跡の話と、『命生メイセイの都』に行くために必要な、『八色の燈台の間』のことを花琳に伝えた。



 ◇



「『八色の燈台の間』にたまっている『九黒クコク』の気が、西陵の土地に流れて、二十年以上も大地の命が吸われていたというのか?」


「はい。その『九黒クコク』の気を取り除くには『命精筆めいせいふで』が有効です。作り方は師匠より教わりました。『命精筆』はあらゆる生気を吸いこみます。『九黒クコク』も生気の一種。本来は『命生メイセイの都』に取り込まれることにより『零白レイハク』へ変わり、新たな命が、八色の色命数を纏う時、魂の元となります」


「成程。理屈はわかったよ。それで、その筆は一体誰が使うんだい?」

「俺です」


 明星が力強く頷いた。


「へえ……」

婆様ばばさま、あなたも感じている通り、明星の内に秘める生気の量は、常人を遥かに超えています。よって、命を欲する『九黒クコク』の気を引きつけることができます。そして同時にその生気は、『命精筆めいせいふで』が『九黒クコク』を吸い込み、本来戻る場所……『九仙郷きゅうせんごう』へ送り返すための力の源となります。だから、これは明星にしか使えないのです」


「うふふ~なんだか、とっても嬉しいんだよね」


 明星が口元を緩ませてくすくすと笑っていた。


って……変わっている子だね。明星、あんた、怖くないのかい? 月桂の作る『命精筆めいせいふで』がとんだ粗悪品だったらどうするんだい? お前の生気は残らず『九黒クコク』に吸われて、魂の欠片も残さずに存在が消えてしまうよ?」


「大丈夫。月桂さんは腕のいい筆匠ひつしょうだって、お師匠鳳庵さんが言ってたから。それにね、婆様ばばさま。俺、生気が強すぎて今まで自分の『命数筆めいすうふで』を持ったことがなかったんだ。月桂さんが使わせてくれたんだけど、全部壊れちゃって。久遠にも、『お前に命数筆は必要ないはずだけどね』って嫌味言われてたんだ。そうしたら、の筆を月桂さんが作ってくれるんだよ! 皆みたいに髪を結って筆を挿したら、俺も色命数士しきめいすうしにちゃんと見られるよね……?」


「明星……」


 こほんと月桂は咳払いした。


「お前が使うのは『命筆』じゃなくて、『命筆』だ。こちらは生気を『吸い取る』方だからな。間違えるなよ」


「ええ~っ! じゃあ……じゃあ、俺が色命数術を使う時、『命精筆めいせいふで』は……」


「当然だが、使えない。今まで通り『色符いろふ』には、指先に生気を集め書く必要がある」


「……残念……」


 がっくり。

 明星の首が深く項垂れた。無残にも手折れた牡丹のように。


「ふふ。まあそんなに落ち込みなさんな。月桂ならいつか、明星が使える『命数筆めいすうふで』を作ってくれるさ」


「婆様……」


 花琳かりんは琥珀色の瞳をひたと明星に見据えた。


「明星。あんたは『白零位しろぜろい』の導師ってきいたけど。実際に『九黒クコク』の気に触れたことはあるのかい?」


「あります」


 明星が頷いて隣の月桂を見やった。


「俺は……先日、水城みずき伽藍がらんの地下に突如溢れた『九黒クコク』の気を封じこめました。『九黒』の気は特別なものではない。自然界にある他の色命数と同じく、どこにでも浮遊しています。だが水城の伽藍に溢れた『九黒』の気は違った……。あそこまで生者の命を求め、吸い尽くそうとする意志を感じたのは初めてだった」


「ほう。アレと対峙して封じ込めたのかい。見た目は細腰の綺麗なお兄さんなのに」


久遠くおんが……助力してくれたんです。久遠が『九黒クコク』の勢いを抑えて時間を稼いでくれたから、俺は結界を張ることができた。俺一人では圧されて駄目だった。きっと」


「久遠――今世で九黒クコク』の気を操れる男。水城の色命数士しきめいすうしの長か。久しく会っていないけど息災の様だね」


 月桂は黙って頷いた。この場で敢えて言わないが、久遠は目の前にいる花琳かりんと同様、見た目の姿は十年以上経っていても、ちっとも変わっていなかった。

 隣の椅子に座っている明星が口を開いた。


「月桂さん、あのね。俺は久遠の指示で、数年前から湖藍こらん国の各地に溢れる『九黒クコク』の気の調査に……行くことがあったんだ」


「えっ」


「恐らく久遠は……『九黒クコク』の気の流れが滞っていることを、随分前から察していたんだと思う」


「察する? いいや。間違いなく奴は『知っていた』よ」


 美しい微笑を浮かべていた花琳かりんの顔が、言葉と共に険しくなっていた。

 腹の奥底から響くような声色。何か特別な感情を押し殺したような……そんな仄暗さを感じる。


「『九黒クコク』が溢れると知りながら……奴は何もしなかった」

「ど、どういうことなんですか。婆様」


「話せば長い話さ。それを知った所で、どうにもならないけど。まあ、久遠とは昔、ちょっと意見の食い違いがあってね。それ以来、西陵と水城の『伽藍』は互いに干渉することをやめたんだ」


「久遠と……花琳かりん導師が喧嘩したの?」


「おや、察しがいい子だね。まあ、そんなところだ。久遠が何を考えてあんたに『九黒クコク』の気の調査をさせていたのか。私にはさっぱりわからな――ゴホッ!」


 花琳かりんは顔を俯かせ、右手で口元を覆った。両肩を振るわせて激しく咳き込む。


「婆様!」


「……だい……じょうぶ。一度咳が出ると……ケホッ! ケホッ! 少し止まらなくて……ケホッ」


 月桂は席を立ち、花琳かりんの背中をそっとさすった。息を吸い込みながらも、まるで水の中で無理矢理呼吸をしているかのように、湿った咳がしばらく続いた。明星も心配そうに花琳の様子をうかがっている。


「月桂、もういいよ……やっと、落ち着いた。ありがとう」


 顔は青白く、肩で息をしているが、元の微笑みが花琳かりんの顔に戻っていた。

 月桂は眉間を潜めた。

 花琳かりんはああ言っているが、やはり西陵の空気は命を吸い取る『九黒クコク』の気が混じっている。咳が止まらないのはその影響を受けているから。

 月桂自身も、喉に砂がまとわりつくような、いがらっぽさを感じていた。


「婆様、久々にお茶をお淹れしましょうか」

「ああ……頼むよ」


 花琳かりんの肩に手を置いて、月桂は穏やかに微笑んだ。

 ふっと、子供の頃に戻ったような気がした。

 花琳にお茶を淹れるのは、月桂の役目だったからだ。

 


 

 

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