第16話 分かち合う幸せ
「俺ってさ……変じゃない?」
「えっ? 言っている意味がわからない」
明星がいら立ったように碧い瞳を険しくさせて細めた。
「生気の話だよ、月桂さん。普通の人の何倍も内に抱えているって、久遠はもとより……絵師さんにも言われた。だからこれを見て」
明星は右手に巻かれた白い手巾をほどいた。鳳庵に掌を小刀で傷つけられて、血止めのために神樹が包帯代わりに巻いてやったものだった。けれど露わになった明星の掌はすべらかで傷一つついていない。
「……なんと」
ふふっと明星が唇の端で笑みをこぼした。
「あれぐらいの傷ならね、すぐに塞がってしまうんだ。子供の頃、走って転んだ膝の擦り傷も、泣いているうちに治ってしまって。久遠曰く、俺はどうも『
明星は白い
「ずっと……疑問に思っていた。俺はどうしてみんなより多くの生気を持っているんだろうって。でもその疑問は久遠も答えられないんだって。俺は赤子の頃、『
「明星……」
「だから弟がいる月桂さんが、ちょっとだけうらやましい。ついでに言うと、帰るべき故郷があるということも」
明星は静かに夜空を仰いだ。月桂はその横顔にかけるべき言葉を見つけることが出来ず、しばし沈黙していた。船頭が、川の水をかく音だけが静寂の中で流れていく。
「あ、ごめんなさい。こんな話をしたかったんじゃなかった。どうして『西陵』に行きたいのか、その理由を言わないといけなかったよね」
月桂は静かに首を横に振った。
「無理に言う必要はない。寧ろ、お前を巻き込んでしまった事を謝らせてくれ」
「そ、そんなんじゃないんだ月桂さん。ただ、自分の目で現状を確かめてみたいって思っただけなんだ。先日『伽藍』の地下に溢れた『
「成程……」
月桂は久遠との面会を思い出していた。『伽藍』はこの世の命の流れを守る牙城のような存在だ。
命を吸い込む『
『
「わかった。明星、お前が来てくれると私も心強い。実は
「うーん。俺が役に立つかどうかはわからないけど。とりあえず、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
月桂は明星の安堵したような表情に釣られて笑みを返した。
……くぅ。
きゅるるるる。
「……あ」
咄嗟に明星が自身の腹を右手で押さえる。
そのしぐさを見ながら月桂は明星が空腹だという事を思い出した。
「なんでもいいから……何か食べたい……」
月桂は再び左肩にどすんと重みを感じた。明星の頭がもたれかかっている。動くのがめんどくさいと自己主張するかのように。
「船頭、すまないが
月桂は後方に首を回して銀貨を船頭に見せた。
通常の船賃は白銅銭一枚なので、その十倍の金である。つまり月桂は、船を貸し切ることにしたのだ。
久遠が謝礼金を上乗せしてくれたおかげで、今宵の月桂の懐はとても温かい。
船頭が興奮したように上ずった声で確認した。
「いいんですか? 今夜は客が少ないからありがたいです。色命数士の旦那!」
「じゃあ、すぐ向かってもらえないか」
「よろこんで」
月桂は親指の爪に豆銀貨を載せて指で弾いた。それは綺麗な弧を描いて宙を舞うと、待ち構えていた船頭の手の中にすっぽりとおさまった。
「では、南天楼の桟橋へ向かいます」
船頭は豆銀貨を腹帯にはさんだ布袋へしまうと、腰を曲げて船底から赤い提灯を取り出した。舳先に吊るし、この船が貸し切り状態であることを表すためである。
「月桂さん、あの……いいの?」
明星がびっくりしたように目を見開いて月桂を見つめている。
「約束したからな。私が南天楼へ連れて行くと。でも……少し距離があるから半時ほどかかりそうだな」
「……うう……嬉しいけど、お腹空いた……」
眉間を寄せて明星が再びぐったりと目を閉じる。
やはり鳳庵から奪われた生気の減少が体に堪えているようだ。
どうしたものか。
月桂は服の袖に手をやり、やおらはっとなった。
重みを感じる包みを袖の中から取り出す。
見覚えのある白と桃色の薄紙に包まれた塊。
「あっ! それって、南天楼の桃まん!」
明星がぱっと両目を見開いた。ぴくぴくと小鼻が動いている。
犬並みの嗅覚ではないだろうか。それに驚きつつも、月桂は明星に桃まんの包みを渡した。受け取った明星はきらきらと瞳を潤ませている。
「なんで月桂さんが桃まんを持っているの? というか、これ……今食べていい?」
「元はお前が買ってきた分だ。私の店の前に落ちていたのを、神樹が見つけて拾っていたんだ」
「あ……じゃあ……これは月桂さんの分だ」
薄紙を開きかけた明星は、桃まんをそっと月桂に手渡した。
「月桂さん、南天楼の桃まんを食べたことがないって言ってたでしょ。だから今日、お土産に買ってきたんだ。本当は出来立てを渡したかったんだけど……でも、南天楼の桃まんは」
「冷えても『
月桂は明星の目を覗き込みながら、薄紙に包まれていた桃まんを取り出した。
実は今朝、自分も南天楼へ行ったと言う気はないが、その時に見た同じ桃まんがそこにあった。(商売上手な売り子の娘の事も少し思い出した)
確かに外の薄皮は水分が抜けている感じがするが、餡のずっしりとした重みと、ふわりと香ってきた甘い匂いに食欲が刺激される。大きさは女性の握りこぶしぐらいだが、小豆餡がぎっしり詰まっているので、一人で食べるには少し多いかもしれない。
もとい、これは明星が月桂のために買ってきたものだ。
人の好意を無にすることはできない。
そこで月桂は桃まんを二つに割って、片方を明星の手に握らせた。
「月桂さん?」
「南天楼の桃まん……予想外の大きさだ。食べきれないから、半分お前が食べてくれ。では、頂きます」
月桂は二つに割った桃まんを口に頬張った。
明星もまた、それを面白そうに見ながら、口に桃まんを入れて咀嚼する。
「成程……冷えた方が甘みが増しているかんじがするな。でもそれが癖になる」
隣に座る明星は、二口で桃まんを食べ終えていた。
もごもごと口を動かしながら、両手を頬に添えて甘味の余韻に浸っている。
「月桂さんと分け合った桃まんは、もっと美味しく感じるね」
「そ、そうか?」
「うん」
こうして月桂と明星は、南天楼へ夕食を食べに行くことになった。
すると昼間、桃まんを屋台で売っていた女性店員が月桂の顔を見て、明星(彼女)同伴でご来店なのですねと言って、店員の間で大騒ぎになったとかならなかったとか。月桂にとって赤面しっぱなしの夕食であったのは言うまでもない。
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