第16話 分かち合う幸せ

「俺ってさ……変じゃない?」

「えっ? 言っている意味がわからない」


 明星がいら立ったように碧い瞳を険しくさせて細めた。


「生気の話だよ、月桂さん。普通の人の何倍も内に抱えているって、久遠はもとより……絵師さんにも言われた。だからこれを見て」


 明星は右手に巻かれた白い手巾をほどいた。鳳庵に掌を小刀で傷つけられて、血止めのために神樹が包帯代わりに巻いてやったものだった。けれど露わになった明星の掌はすべらかで傷一つついていない。


「……なんと」


 ふふっと明星が唇の端で笑みをこぼした。


「あれぐらいの傷ならね、すぐに塞がってしまうんだ。子供の頃、走って転んだ膝の擦り傷も、泣いているうちに治ってしまって。久遠曰く、俺はどうも『零白レイハク』と『七碧ナナヘキ』、この二つの色命数しきめいすうの力が特に強いんだって」


 明星は白い手巾しゅきんを丁寧に畳んで深衣しんいの袖の中にしまった。


「ずっと……疑問に思っていた。俺はどうしてみんなより多くの生気を持っているんだろうって。でもその疑問は久遠も答えられないんだって。俺は赤子の頃、『伽藍がらん』の門の所に置かれていたそうなんだ。親の顔も知らない……生まれ故郷もどこかわからない。まあ、今は『伽藍』が家みたいなものだけどね」


「明星……」


「だから弟がいる月桂さんが、ちょっとだけうらやましい。ついでに言うと、帰るべき故郷があるということも」


 明星は静かに夜空を仰いだ。月桂はその横顔にかけるべき言葉を見つけることが出来ず、しばし沈黙していた。船頭が、川の水をかく音だけが静寂の中で流れていく。


「あ、ごめんなさい。こんな話をしたかったんじゃなかった。どうして『西陵』に行きたいのか、その理由を言わないといけなかったよね」


 月桂は静かに首を横に振った。


「無理に言う必要はない。寧ろ、お前を巻き込んでしまった事を謝らせてくれ」


「そ、そんなんじゃないんだ月桂さん。ただ、自分の目で現状を確かめてみたいって思っただけなんだ。先日『伽藍』の地下に溢れた『九黒クコク』の気は、まっ黒いもやみたいな状態で、目で見えるほど濃度の高いものだった。どこから溢れてきたのか全くわからず、俺も久遠もものすごく驚いたんだ。けれど月桂さんの話で、その『九黒クコク』の気が溜まっている場所がわかった。久遠はきっと俺に調べてこいっていう案件に相当する。だから俺は『西陵』に行くことになるから、どうせなら月桂さんと一緒に行きたいなって思ったんだ」


「成程……」


 月桂は久遠との面会を思い出していた。『伽藍』はこの世の命の流れを守る牙城のような存在だ。

 命を吸い込む『九黒クコク』も色命数に含まれるが、突出してその力が溢れると、この世の命はすべて死に絶えてしまう。

 『九黒クコク』の気がなぜ増幅しているのか。色命数士しきめいすうしを束ねる久遠にとって、その解明は一番の優先事項であろう。


「わかった。明星、お前が来てくれると私も心強い。実は水城みずきの『伽藍』と、西陵の『伽藍』は長らく交流が断たれていた。お前を久遠の名代とすれば、話がしやすいかもしれん」


「うーん。俺が役に立つかどうかはわからないけど。とりあえず、よろしくお願いします」

「こちらこそ」


 月桂は明星の安堵したような表情に釣られて笑みを返した。

 ……くぅ。

 きゅるるるる。


「……あ」


 咄嗟に明星が自身の腹を右手で押さえる。

 そのしぐさを見ながら月桂は明星が空腹だという事を思い出した。


「なんでもいいから……何か食べたい……」


 月桂は再び左肩にどすんと重みを感じた。明星の頭がもたれかかっている。動くのがめんどくさいと自己主張するかのように。


「船頭、すまないが南天楼なんてんろうの方へ行ってもらえないだろうか? 船賃に豆銀貨一枚出すので」


 月桂は後方に首を回して銀貨を船頭に見せた。

 通常の船賃は白銅銭一枚なので、その十倍の金である。つまり月桂は、船を貸し切ることにしたのだ。

 久遠が謝礼金を上乗せしてくれたおかげで、今宵の月桂の懐はとても温かい。

 船頭が興奮したように上ずった声で確認した。


「いいんですか? 今夜は客が少ないからありがたいです。色命数士の旦那!」

「じゃあ、すぐ向かってもらえないか」

「よろこんで」


 月桂は親指の爪に豆銀貨を載せて指で弾いた。それは綺麗な弧を描いて宙を舞うと、待ち構えていた船頭の手の中にすっぽりとおさまった。


「では、南天楼の桟橋へ向かいます」


 船頭は豆銀貨を腹帯にはさんだ布袋へしまうと、腰を曲げて船底から赤い提灯を取り出した。舳先に吊るし、この船が貸し切り状態であることを表すためである。


「月桂さん、あの……いいの?」


 明星がびっくりしたように目を見開いて月桂を見つめている。


「約束したからな。私が南天楼へ連れて行くと。でも……少し距離があるから半時ほどかかりそうだな」


「……うう……嬉しいけど、お腹空いた……」


 眉間を寄せて明星が再びぐったりと目を閉じる。

 やはり鳳庵から奪われた生気の減少が体に堪えているようだ。

 どうしたものか。

 月桂は服の袖に手をやり、やおらはっとなった。

 重みを感じる包みを袖の中から取り出す。

 見覚えのある白と桃色の薄紙に包まれた塊。


「あっ! それって、南天楼の桃まん!」


 明星がぱっと両目を見開いた。ぴくぴくと小鼻が動いている。

 犬並みの嗅覚ではないだろうか。それに驚きつつも、月桂は明星に桃まんの包みを渡した。受け取った明星はきらきらと瞳を潤ませている。


「なんで月桂さんが桃まんを持っているの? というか、これ……今食べていい?」

「元はが買ってきた分だ。私の店の前に落ちていたのを、神樹が見つけて拾っていたんだ」

「あ……じゃあ……これは月桂さんの分だ」


 薄紙を開きかけた明星は、桃まんをそっと月桂に手渡した。


「月桂さん、南天楼の桃まんを食べたことがないって言ってたでしょ。だから今日、お土産に買ってきたんだ。本当は出来立てを渡したかったんだけど……でも、南天楼の桃まんは」


「冷えても『水城一みずきいち』美味しい、って聞いたことがある」


 月桂は明星の目を覗き込みながら、薄紙に包まれていた桃まんを取り出した。

 実は今朝、自分も南天楼へ行ったと言う気はないが、その時に見た同じ桃まんがそこにあった。(商売上手な売り子の娘の事も少し思い出した)


 確かに外の薄皮は水分が抜けている感じがするが、餡のずっしりとした重みと、ふわりと香ってきた甘い匂いに食欲が刺激される。大きさは女性の握りこぶしぐらいだが、小豆餡がぎっしり詰まっているので、一人で食べるには少し多いかもしれない。

 もとい、これは明星が月桂のために買ってきたものだ。

 人の好意を無にすることはできない。

 そこで月桂は桃まんを二つに割って、片方を明星の手に握らせた。


「月桂さん?」

「南天楼の桃まん……予想外の大きさだ。食べきれないから、半分お前が食べてくれ。では、頂きます」


 月桂は二つに割った桃まんを口に頬張った。

 明星もまた、それを面白そうに見ながら、口に桃まんを入れて咀嚼する。


「成程……冷えた方が甘みが増しているかんじがするな。でもそれが癖になる」


 隣に座る明星は、二口で桃まんを食べ終えていた。

 もごもごと口を動かしながら、両手を頬に添えて甘味の余韻に浸っている。


「月桂さんと分け合った桃まんは、もっと美味しく感じるね」

「そ、そうか?」

「うん」



 こうして月桂と明星は、南天楼へ夕食を食べに行くことになった。

 すると昼間、桃まんを屋台で売っていた女性店員が月桂の顔を見て、明星(彼女)同伴でご来店なのですねと言って、店員の間で大騒ぎになったとかならなかったとか。月桂にとって赤面しっぱなしの夕食であったのは言うまでもない。

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