第10話 恐ろしい言葉

「わあ、筆屋さん、『四緑シリョク』の導師だったんアルか!」

「存じ上げず、先日は失礼いたしました!」


 久遠の後ろで立っていた金花と銀花がびっくりしたように呟いた。


「気にしないで下さい。私は筆屋本業の方が忙しくて『伽藍がらん』に参ることができなかったのです。だから、知らなくて当然ですよ」


「ふふ。月桂筆匠ひつしょう。彼女たちを紹介しておこう。金花は『二赤ニセキ』の導師で、銀花は『三青サンジョウ』の導師なのだよ」

「え……ええっ!」


 今度は月桂が驚く番だった。並大抵の術者ではないと思っていたが、まさか『導師』であったとは。


「ということで、今世は術者の当たり年なのだ。『零白レイハク』から『九黒クコク』まで、『導師』の有資格者が揃っている。何か良からぬことがおきなければいいが……」


「久遠導師、実は――」


 月桂が口を開きかけると、久遠が「ちょっと待つように」と目配せした。


「金花、銀花。私は月桂筆匠と二人だけで話す。悪いが席を外しておくれ」

「かしこまりました」


 金花と銀花の二人が拱手きょうしゅして頭を下げる。二人がいなくなって、久遠が小さく息を吐いた。


「月日が経つのは早いね。岩石砂漠になった西陵せいりょうへ緑をもたらしたい。そんな志をもった少年が、いつの間にかこんなに立派な青年となったのだから。それで、は一体今、何をしようとしているんだい?」


 単刀直入だ。久遠の表情から親密さが消えた。

 一気に高まった緊張感に月桂は唾を飲み込んだ。


「何もしていません。ですが……結果的に、この水城みずきの『伽藍がらん』と西陵は、地下通路で繋がっていたのがわかりました」


「……やはり、あの『封じ岩』を開いたのだな」


 封じ岩。月桂は神樹しんじゅの言葉を思い出していた。

 弟は土を司る『六茶ロクチャ』の力が込められた『色符』が貼りつけられていたと言っていた。恐らくその事だろう。


「わざとではありません。澄金すいきん山で起きた地震のせいです。けれど……そのせいで、探していたものが見つかりました。すべての命が集まるという『命生メイセイの都』への道が」


「『命生メイセイの都』……そんなものは存在しない」


「久遠導師。隠そうとしないで下さい。二日前、『伽藍がらん』の地下より出てきた『九黒クコク』の気――あれは、『命生メイセイの都』の入口に繋がる『八色の燈台の間』に満ちていたものです」


「どうしてあなたがそんなことを知っている?」


「地震で崩れた山道の復旧をしていた私の弟が……封じ岩の先にあった扉を開いたのです。あなたはこの世の命の流れを守る、『色命数士しきめいすうし』たちの長です。この現状を放置されるおつもりか? 視覚化するほどの濃い『九黒クコク』の気が現れると、地上すべての命が、吸収されてしまうではありませんか!」


「二日前に発生した『九黒クコク』の気は、地上に漏れることなく、今もちゃんと封じられている。何も案ずることはない」


「久遠導師。『命生メイセイの都』は今、本来の役割――この世の命を循環させるという機能を失っているのではないのですか。だから、死して行き場のない魂魄こんぱくが、『九黒クコク』の瘴気と化して現世を彷徨っている。地下の封印はすでに綻びが生じ、西陵の地へ『九黒クコク』の気が漏れ続けている。それが、わが故郷の大地から、命を奪い続けている原因ではないのですか? 私は――」


 月桂は腹に力を込めて久遠を睨みつけた。


「私は、『命生メイセイの都』のをするべきだと考えます」

「……」


 久遠は沈黙していた。きらきらとした熾火のような、金色の双眸を、月桂に向け続けながら。


「……今は、その時ではない」


 ゆらりと久遠が席を立った。

 月桂もすぐに立ち上がる。


「何故ですか」

「簡単に言ってくれるね。『命生メイセイの都』の再召喚……だって?」


 月桂は息を飲んだ。小柄な印象の久遠だが、今はまるで彼自身が『九黒クコク』の影を帯びたように、大きな気を発したのだ。

 ゆるやかに肩を覆う長い黒髪が月桂に触れるほど、彼は顔を近づけて身を乗り出した。


「そんな知識をどこで仕入れたのか知らないが、『命生メイセイの都』の再召喚には多大な犠牲が必要になる。それがわかっての発言だろうね?」


「ぎ……犠牲……」


「そうだよ。仮に『命生メイセイの都』を再召喚するとしても、どうやって入口の『八色の燈台の間』に入るつもりなの? あなたの弟が見たことが本当なら、あそこは物凄い濃度の『九黒クコク』の気が充満していて、生者は入る事ができない」


 月桂は久遠から発せられる重苦しい『気』に息を喘がせた。まるでこちらの命の光を奪おうとするかのような気配。それは『九黒クコク』の性質と同じだった。


 息苦しい。額に冷や汗がじわりと浮かんでくる。

 こんなにも息をしているのに、全く足りない。

 ぼうとする意識の中で思う。


 久遠は『恩寵おんちょう持ち』であることを。稀にいるらしいが、九色の命の色の中で、複数の『色命数しきめいすう』の力が強い人間がいる。


 彼の金色の瞳は、九色の命の色の中で(注1)番目――『八金ハチキン』の力が強いことを示している。けれど久遠の位は『黒九位』で、『九黒クコク』の気を操ることを得意としている……。


「それは、あなたが――『九黒クコク』の気を操って……」


 闇の中で二つの金色の眼が細くなった。あざ笑うように。


「私は確かに『黒九位』の導師だ。だが、たった一人の力でどうにかできる量ではないだろう? あなたの弟が興味本位で『八色の燈台の間』の扉を開いた。そこから漏れた『九黒クコク』の気を封じるのに、こちらも『色命数士』を三人死なせてしまったんだよ。そして、危うく失う所だった」


「えっ……」


 久遠から発せられる圧力が、少しだけ弱まった。月桂は思わず喉元に手を当て、深く呼吸を繰り返した。

 久遠は月桂から離れ、再び席に座っていた。ただその横顔は悲しみに耐えるように眉がひそめられ、唇が微かに震えているようだった。


「本当に……失うのかと思った。明星……を」


 久遠の声は掠れていて、無理矢理喉の奥から振り絞ったかのようだった。

 もう一度だけ、久遠が囁く。明星、と。


 その様子に何故かずきりと胸が疼いた。

 久遠が気にしているのは、きっとこの世の命のことじゃない。

 大切な、たった『一人』の命なのだ。

 そして月桂もまた、その気持ちがふっと理解できるのだった。


 故郷――西陵の地から命を奪い続ける『九黒クコク』の気を無くしたい。そう思い続けて、ついに『色命数士』となった。


 けれど現実は、月桂一人の力では何も変えることができなかった。

 木桶二杯分の西陵の土すら、月桂の力では元に戻すことができなかったのだから。

 明星の力をもってしても、月桂が加勢することで、何とか土に命を与えることができたのだ。


「申し訳ありません。久遠導師。私は……あまりにも理想を追いすぎました」


 月桂は詫びの言葉を口にした。

 それは故意ではなかったにしろ、『伽藍がらん』の色命数士が死んでしまうという事態に対して、謝罪の気持ちからであった。

 久遠の頭が小さく動いた。


「いや。あなたの言う事は正しいのだ。『命生メイセイの都』は、再召喚しなくてはならない。けれど現実問題として、『八色の燈台の間』に溢れる『九黒クコク』の気を取り除く術がないと、再召喚の為の儀式をすることができない。それから……」


 久遠が遠い目をして虚空を仰いだ。

 溜息と共に吐き出されたのは恐ろしい言葉だった。


「『命生メイセイの都』は、この世のすべての『命』を吸い込んで、新しく八色の命をまとって循環させるという。月桂筆匠、あなたにはあるのかな? 西陵の大地の蘇りと引き換えに、水城みずきの民――いや、生きとし生けるすべてのを奪う『覚悟』が……?」




*    *    *


(注1)色命数一覧はこちらにあります。

 ご利用下さい。

https://kakuyomu.jp/users/shipswheel/news/16816927863181359522


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