第二章 命を吸う筆

第6話 月桂の弟

「……よし、できたぞ」


 翌日月桂は、紫音しおんに依頼された『鉱石筆』の入った箱を布で包み、余った端を結び合わせて持ち手を作った。これから『伽藍がらん』へ納品しに行くのだ。


 ちなみに『伽藍がらん』とは、色命数士しきめいすうしたちが己の魂と術の研鑽のため、修行をする建物である。


 湖藍こらん国の四つの地域――東西南北に一つずつ『伽藍がらん』は存在し、かつ、中央にある首都・水城みずきの『伽藍がらん』を『本殿』と呼ぶ習わしである。


 優秀な色命数士は国家資格が与えられ、能力に沿って様々な任務をこなす。

 月桂も有資格者なので、『本殿』で色命数士たちを取り仕切っている導師・久遠くおんの命があれば、招集を受ける事がある。


 けれどここ二年は何もなく、月桂も本業が筆屋のつもりなので、『伽藍がらん』に行くことは随分と久しぶりだった。


「おう。出かけるのか」


 低い男の声が戸口で聞こえた。

 顔をそちらへ向けると、茶色がかった長髪を頭上で一つに束ねた若い男が、腕組みをして立っている。


 えんじ色の裾が長い上着に、銀鼠ぎんねず色の長袴を履き、裾を深靴の中に入れ込んでいる。腰に革の帯を締め、真っすぐな刀身の剣が携えられていた。


神樹しんじゅ……お前か」


 男の名を呟くと、相手はくっきりとした眉をぴくりと動かし、茶目っ気のある赤褐色の瞳を不機嫌そうに細めた。


「元気そうだな、兄者あにじゃ

「そっちもな。立ち寄ってくれてうれしいが、これから出かける所だ」

「ああ。知らせたいことがあって寄っただけだ。長居はしない」

「知らせたいこと?」


 神樹しんじゅはまるで自分の家に入るように、知ったそぶりで近づいてきた。

 そのまま、月桂が筆を作るための作業場へと歩き、空いた椅子に腰を下ろす。

 無造作に結われた髪が、肉付きの良い背中の上でばさっと揺れた。


 二十五歳の神樹は、月桂と一つ違いの弟だった。

 月桂は故郷に緑を蘇らせる方法を得るため、『色命数士』になる道を選んだ。


 一方、弟の神樹は武芸に秀で、恵まれた体格と剣技を生かし、今も西陵で、わずかに緑が残った場所に住まう人々を、大型の獣や山賊などから守る傭兵となっていた。


 時には国外へ出て、旅人や商人達の護衛をして生計を立てている。

 彼が月桂の店に姿を現したのは一年ぶりのことだった。

 

「『命生メイセイの都』へ通じる道を見つけた。きっとあれがそうだ」

「なんだって!?」


「先日澄金すいきん山で地震が起きて、茶を運ぶ道が埋まっちまったんだ。それを掘り起こすと、なんと、岩山の間に洞窟を見つけて、中に入ってみると旧い遺跡が出てきたんだ。元は千年も前に朽ちた遺跡みたいだったが、通路は所々天井が崩落して、瓦礫をどかすのに時間がかかった。でも驚くなよ。その通路は地下で水城みずきの『伽藍がらん』と繋がっていたんだ」


「なんだと?」


「通路には『八色の燈台へ続く道』という文句が刻まれたがあった。覚えているか、兄者? 死んだ母さんが――ほとんど熱に浮かされた様子で呟いていたけどさ……『命生メイセイの都』に行くためには、『八色の燈台』に明かりを灯さなくてはならない、って言っていたことを」


「ああ……覚えている」


 月桂は頷いた。


「母さんの言っていたことが本当だとすると、西陵の地下から、『八色の燈台の間』に行ける道があった。そして、その場所は水城みずきの『伽藍がらん』の地下にあったということだ。西陵側の入口は、安易に掘り起こされないように、大小様々な石が沢山詰めてあった。通路の扉には『六茶ロクチャ』の『色符いろふ』が貼りつけてあったんだ」


 神樹は疲れた表情で、傍らに立つ月桂を見上げた。


「意見をききたい」

「意見とは?」

「俺には『伽藍がらん』の奴らが、何らかの意図で『命生メイセイの都』の入口を封じ込んだように見えるんだ」


 月桂は口元に右手を添えて腕を組んだ。


「……確かに。通路が開かぬよう、『六茶ロクチャ』の力で岩石を固定したのだろうな。でも、なぜ通路を封じたのだろう?」


「その理由はわかったぜ。実際に俺達は、『八色の燈台の間』への扉を開けたんだ」


 神樹の口調と表情が重苦しいものに変わった。

 月桂はただそれを見つめるばかりだった。

 ひゅっと息を吸い、神樹が口を再び開く。


「最初に中に入ったのは、穴掘りの工夫こうふ達だった。扉を開くと、何も見えなかったそうだ。で。だが、先頭を行く工夫が黒いモヤみたいなものに包まれたかと思うと、急にばたりと倒れた。どうしたと問う間もなく、他の工夫たちもバタバタ倒れたって話だ。


 後ろにいた俺達は異変に気付き、倒れた工夫達を引っ張り出して慌てて扉を閉めた。けれど、俺達も次第に意識が薄らいでいったんだ。体が酷く寒くて怠くて、水分が抜かれたみたいに喉がカラカラになっていた。気づいた時、俺達は地上にいた。体が動くものが外へ助けを呼びに行ってくれたおかげだった。下手をすると俺もあそこで死んでたよ」


「神樹。ひょっとしてそれは……」


「ああ。どうやら『八色の燈台の間』には、相当濃い『九黒クコク』の気が充満しているようだ。だから『伽藍がらん』の奴ら、通路を封じたんだ。残念ながら、最初に中に入った二人の工夫こうふは即死だった。『九黒クコク』の気をまともに喰らって、命を吸われたんだろうな。今は遺跡へ通じる洞窟の入口を岩で塞いで、人の立ち入りを禁じている。それが影響したかどうかは知らないが、『伽藍がらん』も二日前に大騒ぎしていたみたいだ。きっと地上にも『九黒クコク』の気がいくらか漏れたんだろうぜ」


「黒いモヤ……視覚化するほど濃い『九黒クコク』の気が……地上へ……」


 月桂はぞっとした。

 明星や『伽藍がらん』の色命数士たちが慌てて封じ込めたのは、この『九黒クコク』の気だったのだろう。


 現場で対処した明星が、一時的に記憶喪失になるほどである。色命数士は最初に自己防衛――『一黄イチオウ』の術を会得する。

 更に明星はすべての色の上に立つことが出来る、最強の『零白レイハク』の使い手。


 月桂は無意識のうちに自らの両手が小刻みに震えていることに気付いた。

 これほどの濃い『九黒クコク』の気が漏れ出れば、地上の命は吸い尽くされるだろう。そして大地も『西陵』のように命を失い抜け殻だけが残される。


「他に死んだ者はいるのか? ケガをした者は?」

「いない。幸いなことにな。それで……死んだ二人の工夫こうふの家族には、俺の方で見舞金を用意することにしている」


「そうか……私からも遺族に見舞金の手配をしよう。すまないな」

「兄者」


 神樹がすっと椅子から立ち上がった。


「兄者が探している『命生メイセイの都』っていうのは、この世の命を循環させる場所なんだよな?」


「ああ……死んだ母から私はそう聞いた。すべての命は『命生メイセイの都』へかえり、再び八色の命の光をまとって生を受けると――」


「じゃあ、なんで都に通じる祭事の間に、『九黒クコク』の濃い瘴気が溜まってやがる?」


「わからない。何らかの理由で……死んだ者の魂魄こんぱくが『命生メイセイの都』へ取り込まれず、滞っているとみていいだろう」


「じゃあ、西陵の土はずっと『九黒クコク』の気に晒され続けるってことじゃないのか? あの地下通路が西陵と繋がっていたってことは、『伽藍がらん』の地下にたまっていた『九黒クコク』の気が漏れて、流れているってことだ。


そうだ。西陵の大地が命を失ったのも、あの『九黒クコク』の気が一気に地下に流れてきたからなんじゃないか? 『伽藍がらん』の奴らは水城みずきに『九黒クコク』の気が溢れることを恐れて、西陵へ流したんだ!」


 神樹が詰め寄った。大地のように揺るがない意思を宿すだいだいを帯びた瞳。神樹は八色の命の色の中で『六茶ロクチャ』の力が最も強い。

 その象徴が『土』であるのが皮肉だが、一度決めたことは簡単に投げ出さない、意思の強さが現れている。


 弟の言う事はきっと真実だろう。それ故に月桂は俯いた。

 だが無言の月桂に、神樹は苛立ちを感じたようだ。


「兄者。俺は『命生メイセイの都』に行く方法が、西陵の大地を救う事になるとは思えない。今のあそこは、命を吸いこみ死と闇を吐き続ける『死都』なんだよ。だから、実在するかわからない『命生メイセイの都』なんかより、要は、西陵の土地から『九黒クコク』の気を抜く方法がわかればいいんだ」


「……神樹?」


 弟の瞳は意味ありげな光を宿し、唇は上向きにあげられている。


「さっき庭を見てきたぜ。西陵の土が、いつのまにか『普通の土』になっていた。やっぱ『伽藍がらん』には、すごい術者明星がいるんだな。あれは使える。奴を西陵に連れて行って、『九黒クコク』の気を片っ端から取り除いてもらえばいい。そうすれば、あんな危険な場所へ行くこともなく、西陵の地を再び緑で覆うこともできるはずだ」


「それは……駄目だ」


「何だって? だって、兄者がここに……水城みずきに筆屋を構えたのは、優秀な『色命数士』と縁を持つためだろう?」


 月桂は顔を上げて神樹の視線を正面から受け止めた。

 爆発しそうな憤怒の念をぎりぎりの所で抑え込んでいる。


 確かに。月桂が筆屋を営むことになったのは偶然でもあるのだが、目的があるとすれば神樹の言う通りだ。


 そして――見つけた。

 明星という稀有な能力を持つ優れたを。


 彼の実力は見ての通りだ。西陵の土は高濃度の『九黒クコク』に冒されている。明星は月桂の頼みをきいて、見事それを取り除いた。植物が育つための土として蘇らせることができるのを、証明してくれたのだ。


 もしも月桂にその力があれば、自らの命が尽きるまで、存分に奮いたいと思うだろう。自分の命ならば。月桂は静かに首を横に振った。


「『色命数士』の力は無尽蔵ではない。命の源である『九仙郷きゅうせんごう』の神々へ、『色符いろふ』で自らの生気を捧げ、力を引き出しているのだから」


 『色命数士』が『色符』に生気を吸わせるのは、供物としての意味合いがある。

 これは自然という命を利用するために支払うなのだ。


「それに……彼は己の生気を制御する術を持ち合わせていない。『命数筆めいすうふで』を使えば量の調節ができるが、彼が使える筆が今は存在しない。下手に大きな力を使わせると命に関わる」


 だん、と音を立てて机を神樹が叩いた。


「なんだよ。えらく『伽藍がらん』の術者の肩を持つんだな。俺たちの故郷があんな姿になったのは、奴らのせいだっていうのに!」


「そうではない。『零白レイハク』の術者は本当に稀少なのだ。国内ではきっと彼一人しかいない!」


「じゃあ、やっぱり『命生メイセイの都』へ行くしか……方法はないってことか」


 神樹は月桂の肩を荒々しく押しのけて戸口へと向かった。


「神樹! 待て。あの遺跡に近づくのは危険だ!」


 弟は無言で店を立ち去った。それが彼の苛立ちをすべて物語っていた。

 誰よりも面倒見が良くて、西陵の人々は彼を頼りにしている。

 一方月桂は、緑と水に恵まれた水郷――水城みずきの地で、生気を吸い取る『九黒クコク』の瘴気に怯えることなく、ぬくぬくと生きている。彼らは自分の事をどう思うのだろう。


「私だって……何とかしたいと思っているのだ。神樹……」


 月桂はうなだれ、机の上に置いた布の包みに目を向けた。中には紫音しおんに依頼された『鉱石筆』が入っている。

 月桂はしばしそれをじっと見つめた。

 ふっと、屈託なく笑う明星の顔が脳裏に浮かんできた。

 


『じゃあ……壊した筆の代金、これでご破算になったり……する?』

『ご破算も何も。今日は何を食べたい? なんでも馳走するぞ』

『えっ! いいんですか? だったら南天楼なんてんろうの桃まんが食べたいな』


 ああそうだ。

 不意にじわりと笑いが込み上げてきた。


「明星と、約束したんだったな。南天楼の桃まん……買ってやると」


 明星は突如現れた二人の女児(きっと色命数士)に連れ去られたが、久遠の命といっていたので、『伽藍がらん』に強制送還されたのだろう。だから彼はきっとそこにいる。


 自分の我儘をきいてくれた礼をしたい。

 まずは南天楼に寄って、桃まんを買っていこう。

 それから『伽藍がらん』に行けばいい。


「はあ……」


 手を伸ばし、ぐっと結び目を掴んで筆の入った包みを持ち上げる。

 月桂は戸締りをして外に出た。

 ただなあ……。

 月桂は晴れ渡った空を見上げた。


「南天楼か……。あの店、入った事ないんだよなあ」


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