第5話 お前に『命数筆』は必要ないはずだけど

 見た目十二才ぐらいの彼女達は、双子のように顔がそっくりだった。しかし纏っている衣と髪色。そしてかんざしが違っている。


 左側の少女のかんざしは白い藤の花。金髪を左側にひっつめてお団子にして、余った髪の毛は左肩に流している。

 黒と赤を基調とした衣で、その裾は幾重にもひだが織り込まれて、花びらのように揺れている。


 一方右側の少女のかんざしは紫の藤の花。銀髪を右側にひっつめてお団子にして右の肩に毛束を流している。

 白と青を基調とした衣で、その形は金髪の少女と同じものであった。


「……ぎゃっ!」


 不意に隣の明星が地面に倒れた……もとい、転がった。

 銀髪の少女が、『色符いろふ』を明星に投げつけたのだ。

 それは淡く黄色に光って太い縄になると、しゅるりと明星の足首に巻き付いた。


「こんの……ガキ共……くっ……!」


 今度はもう片方の金髪の少女が『色符いろふ』を明星に投げつけた。新たな縄が現れて、それは明星の体をぐるぐる巻きにして自由を奪う。


「ちょっと待ってくれ。お前たちは誰だ? 彼が一体何をしたというんだ?」

 

 金髪の少女が、胡散臭く月桂を見上げた。

 目尻には赤い紅の化粧が施されている。


ぬしには関係ないことアル」


 次に銀髪の少女が、凄みのある目で月桂を睨みつけた。

 こちらも目元には青紫の化粧がうっすらと施されている。


「我らはあるじの命令にて、こやつを探していたのじゃ」

「はあ?」


 状況がよくわからない。

 明星も彼女たちが苦手なのか、顔を不機嫌そうに歪めていた。


「参るぞ」


「やだ! 久遠に伝えてくれ。ここにいるって。俺は壊した筆の代金分、働いてから帰るって!」


「駄目アル」


 明星を羽交い絞めにしている縄が急に黄色く光りだした。


「嫌、助けて、月桂さん!」

「帰るアル!」

「待て……明星っ!」


 月桂は明星に駆け寄ろうとしたが、再び紫と白い藤の花びらが大量に吹き付けてきたので顔を覆った。紫の風を舞わせて、二人の少女と明星の姿がその場から消え失せる。


「……何だったんだ。今のは」


 風の名残で竹林の葉が大きくざわついた音を響かせている。

 一人残された月桂は、しばしその場に立ち尽くしていた。






久遠くおん様~! 見つけたアル!」

「明星のヤツをしょっ引いてきました!」


「おやおや。それはご苦労だったね。金花きんか銀花ぎんか。じゃ、ご褒美に桃まんをあげようかな」


「やったアル!」

「やった! じゃ、久遠様。明星を好きにしちゃって下さい」


「ああ、もちろんだよ」





 床を歩く衣擦れの音がする。足音はしない。

 明星は目を閉じていた。内心イライラしながら。

 板床に右頬を押し付け、転がった体勢のまま、ごそごそと両手を動かした。

 もとい、動けない。

 ああもう、と。

 口の中で小さく舌打ちする。あの二人――「金花」と「銀花」が、明星の体の自由を効かなくするため、金縛りの術をかけているのだ。


「いつまで狸寝入りしているんだい? 起きているんだろう? 明星」

「……違うよ。無理矢理なんだけど。これ」


 嫌々ながら瞼を開けると、そこには青みがかった長い黒髪の男がいた。耳が見えるようにその部分の髪だけ頭の上で結い上げて、導師の眩い金冠を載せている。

 『色命数士しきめいすうし』なら必須の『命数筆めいすうふで』を、まげになった部分へこうがいのように二本挿している。久遠は黒い袍の裾を翻し前に屈みこむと、明星の顔を覗き込んだ。


「おかえり」


 細長い金色の月のような瞳がニヤリと微笑む。

 それを明星は目を細めて唇を引きつらせた。


「随分遠くまで行っていたみたいだけど」


 久遠の口調はどこまでもやわらかで穏やか。声も甘露を含んだように甘い。

 彼はいつもそんな感じだ。不機嫌な時でさえも。

 けれど明星の機嫌は良くない。寧ろ最悪だった。


「俺も桃まんを食べに行く所だったんだけど。南天楼なんてんろうの」

「アハハ! 面白いことを言うね」

「なんだよ、面白いって。折角、月桂さんが買ってくれるって言ってくれたのに」

「おや、機嫌が悪いのはそのせいか。と、月桂とは。ああ……」


 額で分けた前髪を満足げに揺らして久遠が頷いた。

 手にした黒い漆塗りの扇子をぱちんと鳴らす。それには花鳥の文様が金の蒔絵で施されていた。


「筆屋、翠凰堂すいおうどうの主人だな。お前に『命数筆めいすうふで』は不要のはずだけどね。から」


「……んだ」

「何?」

「だから、売り物の命数筆を」

「何だと? 一体どういうことなんだ?」


 明星は溜息をつきながら事情を久遠に説明した。


「そうだったのか。ならば月桂筆匠ひつしょうにはお前を助けてくれた礼をせねばならないな。いやそれよりも。壊した筆の弁償をしないといけないんじゃないか?」


「ああ。それは大丈夫……」

「月桂筆匠が許してくれたのか。まあ、筆の一本や二本壊したぐらいなら……」


本」

「はぁ?」


「月桂さん、どんどん高価な筆を出してきて、これならいけるかもしれないって持たせてくれたんだ。流石に、豆銀貨十枚もする商品を出してきた所で断ったけど。でも、ご破算になった」


「どういうことだ。まさか……」


 久遠が明星を上から下までじろりと見つめる。


「お前のことが気に入ったのか。わからなくもない。お前が行方不明になったときいて、私は居てもたってもいられなかった。お前は伽藍がらんで唯一『零白レイハク』の力を使うことが出来る術者。とても稀有けうな存在なのだよ。ほら見てご覧、この二日間、心配のあまり、私は寝不足で目の下に隈までこしらえてしまった。そうそう! 金花たちから聞いたぞ。筆を壊した代償に、月桂筆匠の店に暫くいるとかいないとか! 私の許可なく外泊なんて許さないからね。絶対に!」


「久遠……あんたどうしたの……?」


「え、いや。どうもお前の事を考えると気が気ではないのだ。お前は……」

「えっ?」


「まあ……いい。お前は無事に伽藍がらんに戻った。そうだ。どうして月桂筆匠は、弁償しなくていいって言ってくれたんだい?」


「あ、ああ……月桂さんに、庭にある『九黒クコク』に冒された土から、『零白レイハク』の力で取り除けないだろうかって頼まれて。上手くいったんだ。それで筆の弁償はご破算のうえ、南天楼の桃まんをこれから買いに行く所だったのに!」


「ほう……それは残念だったね。最も、無断で私の傍を離れた罰を与えてもいいんだが」


「久遠! 俺は好きで離れたわけじゃない! あの時は地下から溢れた『九黒クコク』の気を外に出さないために、防御結界を張ってたんだ」


「ああ。その件はよくやった。だが『九黒クコク』と『零白レイハク』の気は、相克そうこく関係だ。直接触れ合うと、水と火がぶつかったように爆発を起こす。次は同じ間違いを起こさないようにするんだね。でないと吹き飛ばされて、川に落ちるぐらいではすまされないぞ」


 久遠の手が伸びて、それがまだ床に転がったままの明星の肩を力なく掴んだ。

 気のせいか、それとも逆光のせいか、久遠の顔に珍しく戸惑いの表情が浮かんでいた。


「お前も『九黒クコク』の気を大量に浴びていたからな。私の探知が困難なくらいにね。流石に少し焦ったよ。気配が掴めたのは、お前が術を使ったからだ。けれど、お前の張った『零白レイハク』の結界のお陰で、伽藍がらんの地下から溢れた『九黒クコク』の気は、市中に出ることなく抑え込むことができた。危うく、西陵せいりょうの二の舞になる所だったよ」


「二の舞……? それは、西陵で植物が育たなくなったことと関係があるの?」

「……」


「それに、伽藍がらんの地下から『九黒クコク』の気が溢れてきた原因は?」

「どちらも不明だ」


 久遠が明星から離れて背を向けた。漆黒の長い髪が動きにあわせて静かに揺れる。


「とりあえず、『九黒クコク』の気はお前が施した結界のせいで、地下へと押しやることができた。監視を付けて、圧力が高まったらわかるように術を施してある」


「そう……。あのね、久遠。月桂さんは『西陵』の出身なんだって。だからそれで、『九黒クコク』を大地から除去できる方法がないか、悩んでいるみたいなんだ。俺の力で何かの役に立てるのならいくらでも協力したいと思う」


 くくくっ。

 久遠が低く笑って横顔を明星に向けた。

 黒い眉が吊り上がり、金色の月を思わせる瞳が細くなった。


「思いあがらない事だね。『零白レイハク』はすべての色の上に出ずることができるが、『九黒クコク』はそれと同じ力で、すべての色を吸収しようとする。いくら生気に満ち溢れた力を持つお前でも、限度というものがある」


「……久遠。俺はどうしてこんな人の数倍もある生気を抱えているんだ? 俺は生まれた時からあんたしか知らない。親はいないときかされた。一体、俺は……」


「明星。私もそれ以上の事はわからない。赤子だったお前は、二十三年前に伽藍がらんの門の前に置かれていたのだ」


「ご、ごめんなさい。久遠を責めるつもりじゃなかった。ただ俺は……月桂さんの事が気になる。ねえ、西陵の地について、他の導師たちはどう思っているの? ほら、久遠だって『黒九位』の導師じゃないか。俺より『九黒クコク』の気を上手く操ることができるんだから、西陵の人達を助けようとは思わないのか?」


「私の能力にも当然、がある」


「だから、一人じゃなくて! 国中の色命数士たちを集めてさ……!」


 パンパンと手を叩く久遠。


「お呼びアルか!」

「お呼びでしょうか!」


 金花と銀花が宙から現れた。

 丁度、桃まんを食べていたのだろう。両手でそれを持って口に頬張っている。

 久遠はにこにこと満面の笑みを彼女たちに向けた。


「悪いが、明星の『九黒クコク』の気を『神仙水しんせんすい』で落としてきてやってくれないかな……ドブ臭くて叶わん」


 久遠が袖を鼻先に当てて首を横に背ける。

 扇子を再び広げて、ぱたぱたと仰ぐ。


「ドブ臭い!? そ、そんな!」

「確かに……ちょっと臭いますね。葉っぱが腐ったようなかんじ。ええと、ざぶざぶ洗ってやります!」


 くんくんと鼻を動かし銀花が頷く。


「明星、まだ金縛り状態アルね。このままみそぎにいくアルよ!」


 金花が袖口から『色符』と『命数筆』を取り出した。

 

「あっ! 久遠、まだ話は終わってないぞ。こら、銀花、俺に触るなったら!」


 金花が持つ命数筆の上に、銀花が自分の手を添える。


「二つ、揺らめく炎の灯に照らされて。三つ、水面に落ちる花びらはらはらと」


 二人が『色符いろふ』に【二】と【三】の色命数しきめいすうを書くと、それらは赤と青の光が合わさって、『五紫ゴシ』の文字が浮かび上がった。


「じゃ、ちょっと行ってくるね! 久遠様」

「行ってくるアル~」


 『五紫ゴシ』の書かれた『色符』を金花が上空へと投げつける。


「ぶっ……ふわっ!!」


 明星は目をつぶった。顔面に大量の藤の花びらが吹き付けてきたのだ。

 いくらか口の中に入った。それに気を取られていると、明星の体は宙へと浮き上がっていた。

 『五紫ゴシ』が司るのは空間と風。金花と銀花は、二人の力を合わせることで『五紫ゴシ』の力を使うことができる。


「風呂に入ってさっぱりしといで。部屋に『桃まん』を用意してお前を待っているよ」

「ふざけるなぁ~~!」



 久遠は頬に袖口を寄せて小さく嘆息する。

 開かれた窓の外には水城みずきの都の象徴でもある、無尽に張り巡らされた水路が、錦のように陽の光を受けて輝いている。


「明星。お前の言う事は最もだよ。でも……がその提案を飲まない限り実現しないのだから、困ったものだよね」



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