第4話・・・ナノス・ネイサン

明け方。窓に叩きつける雨音でミラは目を覚ました。

「雨…」

雨は嫌い。両親が死んだ日も雨だった。そして…仲の良かった従兄がゼーロから追放された日も雨だった。


『お兄ちゃん!』

『ミラ、落ち着け!』

『リアム、お兄ちゃんが…何かの間違いだよ…!』

まだミラが十四歳の頃だったか。従兄のナノスが、禁忌の実験を犯した罪でゼーロの街から追放された。追放で許されたのは、権力者である伯父のお陰だろうか。

『お兄ちゃん!』

警官に乱暴に扱われ、膝をついていたナノスがミラを見つけて、眼が合うと、悔しそうに立ち上がり、よろめきながらも歩いていく。

最後までナノスは警官達に罵倒、侮辱されて街を追い出された。街の住民からも、罵声が飛び、冷たい声がナノスを刺す。

『もうやめてよ…』

悔し泣きと、寒さからくる震える肩を、リアムはそっと抱きしめた。


* *


「ナノス様、報告は以上となります」

「解った。下がれ」

「はっ」

部下は一例すると、研究室から出ていった。ナノスは椅子にの垂れて溜息を吐く。静かな時間が好きだったのに、あの日から静寂が訪れるたびに自分を馬鹿にした警官や住民達の声が聞こえるようになっていた。脳にこびりついた汚い声。

『お兄ちゃん!』そして、錫で出来た美しい音色のような声が救済をもたらす。

「ミラ…」そう呟くと、マジックウォッチに映し出されたミラの画像を見る。

ナノスは掌で、腹を撫でまわし、徐々に下へ、下へと…


・・・

「とっとと歩けうす鈍間!」

「ウッ!」

警官に蹴飛ばされ、雨が降りぬかるんだ地面に叩きつけられる。泥が跳ね、顔にも、白い服も汚れていく。

「はは、汚い姿の方がお似合いだぜ、ナノスちゃんよぉ…お前が今まで可愛がってきた女よりはマシだろうけどな」

「監獄に入れりゃもっとよかったのになぁ。あそこにはお前みたいなプライドが高い奴大好物な男達がいっぱいいんだぜ。お前も可愛がってもらえればよかったのに。ガハハハ!」

「ふん、品の無い話だな」

「うるせえよ、とっとと歩け!」

警棒で顔を殴られ、警官を睨みつける。

「最高だな!昔からテメェのこと気に食わなかったんだ。もっと屈辱を味合わせてやりたいくらいだな!」

あぁ、ただの人間が、言葉を喋る豚のように見えてくる。醜い、醜い…

「お兄ちゃん!」

雑音の中から、一筋の光が差す。従妹のミラが、あの男…リアムと一緒に自分を見つめていた。ミラは顔をグシャグシャにして泣いていた。一族から嫌われていた自分に、唯一優しかったミラ。俺の話を熱心に聞いてくれたミラ。笑顔を向けてくれたミラ。ミラ、ミラ…


まだ、ナノスが若かった時。深緑と木陰が揺れる部屋で官僚になるための国家試験の勉強をしていた。ほぼ軟禁状態だ。ナノスの家系は、代々官僚、政治家と言った国を支える立場に就く人間が殆どだった。しかし、ナノスは既に二回も試験に落ちている。自分でも解っている。落ちこぼれだってことくらい。国の為に、金の為に頭を働かせるくらいなら、魔法実験をしてどれだけ豊かな国に発展させていくか…そう考えていた方がよっぽど楽しかった。そして何より、ミラが笑ってくれる。それが嬉しかった…。

気分転換にベランダに出て、風に当たる。風に乗り、ミラの声が聞こえてきた。

「ねぇ、リアム。今度私の家に来てよ!ママと新しいレシピ開発したの。食べてほしいなぁ」

「わかったよ。だから近いって…」

ミラは、リアムという男に熱を上げていた。胸が八つ裂きになりそうになり、歯を食いしばる。

「ナノス、サボってるなら宝物庫を掃除して頂戴」

「ッ!母様、入るならノックか、一声くださいと!」

「貴方に気を遣う必要なんて無いの。いいから、さっさと掃除しに行きなさい」

黒髪に、色白の頬、そこに浮いているように紅に塗られた唇は、ナノスにとって不気味な象徴だった。何より、陶器のような眼で有無を言わさない視線も嫌いだった。

「…わかりました」

ナノスは逃げるように宝物庫へ向かった。


宝物庫は埃っぽく、鼻をくすぐる。咳をして、手で舞う埃を払う。電球も点いたり消えたり寿命が怪しい。窓を開け喚起をする。マスクをし、梯子を使い、ハタキで上の棚から掃除をしていく。

「クソ、なんで俺が…」

兄は大陸で頂点に値する名門大学アンシエントリーモを主席で卒業し、ストレートで官僚に就職した。今では時期国会議員候補として期待の眼差しまで集めている。母も純粋培養されるお嬢様学校育ち。父は言わずもがな。とりあえず、この家は全てがエリートで構成されていて、息苦しかった。だから、家を出ていった叔父、そして従妹のミラがのびのびと生活している姿が羨ましかった。

考え事をしながら叩いていたせいか、箱を盛大に落とした。バタンッと大きな音を立てた箱の中の安否が気になった。

「やっちまった…中身は、はぁ、無事だ」

電子タブレットが入った箱は随分長い間放置されていたのか、埃がこびりついていた。

「タッチ式のタブレットだ。マジカルウォッチの原型か…」

電源を入れてみると、起動し画面が光る。文字はゼーロの母国語と大差ない。

「………クローン人間?馬鹿げてる」

クローンなんて禁忌の実験だ。しかも成功例なんて聞いたこともない。過去の人間の妄想話か。

はぁ、と溜息を吐くと、ノック音がする。振り返ると、父と六つの大陸を収める、国会議員のエルドラ大臣が立っていた。

「と、父様、お帰りなさい。エルドラ大臣、いらっしゃいませ」

「掃除とは暢気だな、ナノス」

「はは、掃除が出来るなんて立派な息子さんじゃありませんか。我が家の馬鹿息子なんて勉強しか出来なくて、家政婦がいないと何もできやしない」

大臣は笑う。ジョークっぽくも聞こえたが、たぶん掃除が出来ない息子に嫌気が差しているのは本当っぽい。

「掃除をすることしか能がない愚息です」

「でも、ナノスくんはエンペストラ大学主席でご卒業では?立派じゃないですか」

「アンシエントリーモ大学以外二流です」

「手厳しいお父上ですな」

「大臣、会談を始めましょう。愚息にご興味があるなら、後で部屋に来させます」

そう言って、父と大臣は宝物庫を後にした。

父はあんな人間だ。ミラ達のこともバカにしていた。いや、地位や権力が無い人間はみんな利用されるために生きていて、ゴミだと思っている。


掃除がひと段落したので自室へ戻ろうとした時、父と大臣が会話をしている部屋の前を通り過ぎようとしたときだった。

「ところでネイサン氏、昔、クローン技術があったというのは…本当ですかな?」

「何のご冗談を。そんなの過去の妄言です」

「残念だ。もしクローンが出来たら戦争で戦う兵士も、我が子を失う母親が減ってよかっただろうに」

「大臣、クローン生産は禁忌ですよ」

「はは。私も過去を夢見たバカな人間だ」

ナノスは息を飲んだ。そして急ぎ足で宝物庫に戻る。

(もし、もしあのタブレットに残されていた技術が本当なら、クローンが出来る…?)

箱からタブレットを出し、起動させる。書いてあることは理に適っている。これは妄言ではなく、過去の先人から遺された宝なんだ。クローンが成功したら…?医療の発展、用心の影武者、兵士の増量、薬物実験の進歩、ミラの…

「ミラの、俺は…」

そうだ。ミラ達が憎かった。自分は鳥籠の中で息苦しい思いをしているのに、呑気に外の世界で生きていて。こんなにも愛しているのに、違う男にしっぽを振って。

ナノスは気づいた。世界を良くしたいんじゃない…転覆させたいんだ…

「ひひ、あははははは!ははははは!!」

そしてナノスは、密かに実験場を作り、クローン技術を利用した。研究した。勉強が疎かになり、どこか可笑しくなったナノスの異変に気付いた母が召使に尾行をさせた所、ナノスが禁忌を犯していることが判明。父の逆鱗に触れ、国外追放が決定した。

「これで二度と会う事もないだろうな」

「ここ以外で生きてくれ。無一文のお坊ちゃんに出来るならなぁ!」

街中の笑い者になったナノスは平野へと追放された。

そこからは地獄だったと思う。喉の渇きには勝てず、川の水が飲めればよかった。酷い時は泥を飲み、自らの手首を切り血を飲んだ。食事なんて無い。パンを盗んだ。ゴミも漁った。見つかり、店主に追い払われる屈辱もあった。腐った食べ物でも、虫でも猫の死骸でも何でも食べた。全ては復讐のため…ミラを自分の物にしたくて仕方なかった。世界が混沌に満ちるのが見たかった。

「あぁ、腹が立つ。クローン技術は我が家系の特権だったのに。過去の先人が許されて何故俺だけ罰を与えられる!腹が立つ、腹が立つ…!」

家族も憎い。ミラも憎い。ミラを奪ったあの男も憎い。全てが憎い。あぁ、憎い、憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!


随分痩せこけただろう。どこにいるかも解らない。路地の影で寝ていると、杖の先端で顔を叩かれ、顎を持ち上げられる。

「お前は…ナノス・ネイサンじゃあないか」

「…誰だ、あんた」

「禁忌を犯した気分はどうだ?」

「最高」

「はは。その禁忌、私の元でもっと自由に、好きなように研究してみないか?」

「あんた、本当に何者なんだ…?」

「はは、私か?私は――」

黒いローブを被った男は、右手を差し出す。手の甲には、タトゥーが入っていた…。

・・・


ナノスは肩を上下に揺らし、息を整えていた。あの男と出会ったお蔭で、自分はこうやって生きて実験を続けられている。救いの手だったのは確かだ。感謝はしても、手を貸すことは無いが。

「あぁ、早くこの手でミラを抱きしめたい…」

ナノスは恍惚の笑みを浮かべ、クローンが入れられているカプセルに手を当てた。

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