第19話 早く抜け出したいよ

 駅に着くと真っ先に窓口へ向かった。 

 

 朝の通勤ラッシュを終えてほっとしたのもつかの間、 面倒くさい学生が来た、 と言った表情の駅員。 態度とは裏腹に、 切符と時刻表、 乗り換え時刻を書いたメモ用紙まで渡してくれた。


 「あ、 ありがとうございます」


 駅員の態度に少し腹を立てていた自分が心底恥ずかしく思えて、 深々と頭を下げてから逃げるように改札を抜けた。 


 約三時間電車に揺られていた。

 

 途中二回乗り換えをした。 最初はずっと田んぼと畑ばかりの風景が、 到着三十分前に急に都会の雰囲気が立ち込めてきた。 ずっと緑一色だった車窓が、 白やベージュの外壁が立ち並ぶ住宅街になり、 気づくとすぐ脇に大きな家電量販店やホテルが現れ、 あちこちに見慣れない店の名前や看板が連なっている。 車内のアナウンスも、 日本語の後に英語や中国語でのアナウンスが加わり、 乗車している客のしゃべり方も聞きなれないリズムばかりだった。 


 俺の心は興奮と孤独がない交ぜになって、 胸やけを起こしそうだ。 


 二つ前の駅で乗って来たお姉さんの香水が鼻をついて、 本格的に気分が悪くなってきた頃、 やっと目的地に着いた。 


 脱出ゲームにでも挑戦しているように、 人の隙間をすり抜けて一目散にホームへ出た。 大きく深呼吸をすると地下に充満した人の匂いで吐き気が増した。

 

 そこからは適当に歩いて、 北口改札から出た。 改札口は東西南北どれでもよかったし、 どれが正解なのかも分からなかった。 取り敢えず改札を出て、道が聞けるところを探した。 


 地下の改札を出て広い通路を歩き続けた。

 

 平日の昼間なのにこれほど人がいるなんて。 ずっとここから抜け出したいのに、 どこへ向かえばいいのか分からずに闇雲に歩いた。


 ドラグストアやコンビニ、 パン屋や土産物屋などが並んでいたり、 雑貨や鞄や服を売っている店が連なっている通りもあった。

 

 今の俺にはどの通りもどこか作り物のように思えた。 乳白色やオレンジのライトに照らし出され、 一様に人が行き来し、 自分ひとり取り残されたような空間。

夢の中に似ている。

 

 しばらくして、 やっと人工的な光とは違う日差しを感じる場所を見つけると、 俺は足早に建物から飛び出した。 

 

 外は雑踏と機械音、 人の声、 エンジン音でうるさい世界が広がっていた。 こちらの方が随分と現実的で日常に近かった。 

  

 俺は地元でもよく行くコンビニを見つけ、 そこへ入った。 嗅ぎなれた匂い、 いつもならば鬱陶しいほど眩しい店内にほっとする。 


 一応雑誌コーナーで地図を見つけてめくってみたものの、 やはりよく分からない。  レジでおばさんにミネラルウォーターを出しながら訪ねてみる。


 「あの、 この住所ってどこら辺か、 分かりますか?」


  たっちゃんのママからもらったメモ用紙を見せる。


 「あー。 さぁーどこだろねぇ。 この辺なの?」


 「ええと、 多分。 あの、 じゃあ交番ってどこかあります?」


 おばさんは、 店の奥から地図を出して、 ここにあるよ、 と教えてくれた。


 その地図を見る限り、 たっちゃんの家の住所と一致する地名が載っていないのが気になった。 けれど今は行くしかない。 交番なら何とか教えてくれるはず。

 

 自分でも、 今日の俺は怖いくらいだなと思う。

 

 俺は、 自分自身が次に何をしだすか分からない恐怖さえ感じていた。 まるで俺の中に別の俺がいるみたいに。


 そいつがポップコーンを食っているのか? 


 コンビニのおばさんが、 店を出て右に曲がってずっとまっすぐ行くとあるから、 と教えてくれた通りに歩く。

 

 交番にはすぐに着いた。 何も悪いことはしていないのに妙な緊張感で声を震わせながら、この住所にはどう行けばいいのかを聞いた。

 

 交番のお兄さんは、 直ぐに地図を出して調べてくれた。 そこにやっと、 たっちゃんちの住所の地名があった。 やっとあった。 俺はお兄さんがコピーしてくれた地図を握ったまま、 深々と頭を下げて交番を後にした。 


 あと少しでたっちゃんに会える。


 あれほどうるさかった騒音も、 中の道へ入ると風の音が聞こえるくらいに静かになっていた。 


 地図の通り歩いて行くと白や灰色の住宅に囲まれて小さな公園があった。 人通りは少なく、 小さい男の子と母親が手をつないで散歩しているのが見えた。 公園には木も植わっていて、 ヒマワリがきれいに花壇に並んでいるのが見える。 不意に蝉の声が聞こえてくると、 僅かに肩の力が抜けた。


 「ああ、俺、力入ってたんだ……」


 そう認識したとたんに両ひざがくにゃりと曲がり、 俺は住宅街の道端でふらふらとしゃがみ込んだ。


「疲れた…… 。 腹も減った……」


 このご時世に空腹で倒れる高校生なんているのだろうか。

 

 俺は何でさっきのコンビニで昼飯買わんかったんや、と自分を恨んだ。 


 何とか近くの自動販売機までゾンビのように足を引きずりながら近づき、 一番カロリーが高そうなイチゴオレのボタンを押した。 糖分を脳内に流し込めば、 少しは回復するはず。 


 自動販売機横の縁石に腰かけると、  それを煽って一気に半分まで飲み干した。イチゴのわざとらしい香りとブドウ糖の甘ったるさがむわりと口に広がる。  右の額を貫く日差しと、 熱々になった縁石に焼かれる尻で、 両面焼きにされている思いだ。

 

 残りのイチゴオレを一気に流し込んで、 残っていたミネラルウォーターも飲み干す。


 今の俺の中はただでさえ何かこびり付いたような心中なのに、 更にねばねばまとわりつく甘さが鬱陶しくて辟易する。

 

 幸運にもさっきの自動販売機から、 拍子抜けするほど近くにたっちゃんの住むアパートはあった。 アパートと言っても、 マンションのようにしっかりとした外観で、 セキュリティー対策も整っているようだ。 


 田舎の俺ん家とは大違いで、 羨ましさよりも今はまどろっこしさの方が強い。


 腕時計を見ると、 午後一時半を差している。 


 今は夏休み。 たっちゃんは家にいるだろうか。 


 部活? バイト? 遊びに行ってる? 家で勉強? 


 一瞬の間に様々なパターンを考えたものの、 すべて面倒になって、 頭の外へ放り出した。 


 早く会いたい。 

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