第13話 夏の蜃気楼のよう
二学期期末テストが終わった。
チャイムとともに、 白い紙きれが生徒の掌の上を流れるように渡り、 壇上に重ねられていく。
パラパラとここ一週間の肩の力が抜けていく。 脳内から暗記した数式と単語が押し出され、 じわじわと緩やかに解放感が広がっていく。
何でだろう。 夏休みに特に予定がある訳でもないのに、 小学生の頃のようなこの高揚感。 テスト期間中はあれほど鬱陶しかった虫の声が、 夏の風物詩としていい感じのBGMになっているし、 このうだる暑さもむしろ夏への期待を掻き立てる名わき役に摩り替っている。
恐ろしい。
テストの存在感が恐ろしいのか、 俺の脳みそがめでたいのか分からない。 けれど、クラスのやつらを見渡すと、 俺は間違っていない気がする。
それにしても、 今回のテストはやばい。
あの夢の日から、 めくるめく感情や思い出がぐるぐるして俺史上最高に集中できないテスト期間だった。
俺が両肩に諦めの二文字を背負いながらリュックに教科書を放り込んでいると、 誰かに呼ばれた気がした。 振り向くと、小川ナツミが立っていた。
小川は、 ぷくっとした頬を夏の暑さで赤くしながら、 裏門に立っていた。
さっき「ちょっと話があるから、 一緒に帰りたいんだけど……」と言われて、 裏門で待ち合わせた。
「ごめん。 遅かったよな」
「ううん、 そんな待ってないから」
そういった彼女の額には汗の玉が光り、 こめかみを雫が伝っていた。
笑うと、それが頬を伝う涙のように見えた。
コロンと丸い色白な顔。 あごの下で切りそろえられたボブヘアー。 背は低い方で、155センチくらいだろうか。
二人して、 不自然に自転車を押しながら道を歩いた。
小川はポツポツと話し出した。
今日のテストの事、 部活の事、 俺と話すのはいつ振りだろうって事、 小学校の事……。
小川はいったい何のつもりで……。
「あの夏休みにさ、 プールの帰りに花火大会に誘ったの覚えてる? ヒカル君とタツヤ君がいた時に」
突然たっちゃんの名前が出てきて、 心臓が跳ねる。
「うんうん。 覚えとるよ。 あの時、 結局花火大会行けれんで、 ごめんな。 俺が行けれんかったから、 たっちゃんも行かんかったんやと……」
「違うんよ」
「へ?」
急に話を遮られて、 俺は素っ頓狂な声を出した。
「あの時、 タツヤくんにも来てほしかったけど、 私はヒカル君と行きたかって……」
俺は、 次に出す足の場所を見失い、 その場に立ち止まって、 二歩先を行く小川を見つめた。
「私、 ずっとヒカル君が好きで、 付き合ってほしいです」
自転車のハンドルを握りしめて、 小川がぺこりと頭を下げた。
俺は、 小川の綺麗に楕円になった後頭部を見つめながら、 今俺はどんな表情してるんやろ、 なんて、 他人事のようにそこに突っ立ていた。
小川は沈黙に耐えかねたのか、 返事はいつでもいいからと、 スカートを翻し自転車にまたがると暑い日差しの彼方に消えて行ったようだった。
俺にとっては幻のような出来事で、 遠くに見える蜃気楼が更にそれを煽った。
住宅街の真っ昼間の歩道には、 誰もいなかった。
アスファルトを溶かす七月の日差し、 こめかみを伝う汗、 それを撫でる、 ぬるりとした風。 そのどれもが夢の中にいるような情景だった。
実を言えば、 ケントが小川の話をした時、 俺は実は全く共感していなかった。
小川は小学校の時のナツミちゃんのままだった。
優しくて、 ほっぺがピンクで、 親しみやすい雰囲気の子。 特に、女子として意識したことはなかった。
一人夢心地で家に帰ると、 昼飯に母さんが作った焼きそばと途中で買って帰った菓子パンを食べて、 自分のベッドにごろりと横になった。
小川は俺のどこが良かったんだろう。
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