第11話 不釣り合いな偶然
梅雨も明けた六月の終わり。
その日はタイミングが合い、 イチノセとケントと一緒に自転車で帰っていた。
俺やケントの家までは自転車でも三十分はかかる。 イチノセの家は結構近くて、 学校から十分ほど行ったところの住宅街だ。
話しながら、 三人で自転車をダラダラと漕いでいると、 急にイチノセが手を振って、
「モモ。 ただいまー」
と前から歩いてくる女の子に声を掛けた。
「おにいちゃーん」
幼稚園児くらいだろうか、 女の子が満面の笑みでイチノセに手を振り返す。
へえ、 この子が一ノ瀬の妹か、 と思いながら見ていた。
「モモ、 ママは? ひとりじゃないよな?」
「うん。 ママとおさんぽしてて、 おにいちゃんがいたからはしってきた。 ママはあそこ」
とモモちゃんが自分の後ろを指さした。
その時、 あたりの空気が急に懐かしいものに感じた。
夕暮れの薄暗さや、 カラスの鳴く声、 日が暮れるにつれ少し肌寒くなってくる気温、 学校からの帰り道。
こういう事、 前にもあったような。
イチノセとモモちゃんと別れて、 ケントと二人きりになった時、 不意にケントが言った。
「ヒカルさ、 タツヤって覚えてる? 小学校のさ」
「うん。 覚えとるよ。 よう遊んでたし」
「遊んでたな……」
あの頃、 たっちゃんのママがいなくなった事やたっちゃんのお父さんの転勤が急に決まったことなど、 学校の中では、 好奇と哀れみの空気となって静かに広まり漂っていた。
でも誰もその事には触れなかった。 触れることが出来なかった。
今の僕ならなんて聞くだろう。
今たっちゃんはどうしているだろう。
モモちゃんを見つけたイチノセの口から、 ママって出てきた時、 僕はたっちゃんを思い出していた。
たっちゃんにも、 イチノセにも不釣り合いな言葉だった。
多分ケントも同じような思考が廻ったのだろう。 でもそれ以上は話さなかった。 僕たちは、 その話を広げる術も器量も未だに持っていなかった。
陽が沈んで藍色と橙色が混ざるその隙間を、 二人無言で自転車をこぎながら進んだ。車輪の音だけが大きく聞こえる。 太陽は沈んでもまだ夜は来ない。
家に帰ると、 帰りの僕たちの話を聞いていたのかと思うくらいのタイミングで、 母さんがたっちゃんの話を振ってきた。
「ヒカルはタツヤ君、 覚えとるよねぇ」
僕は夕食のコロッケをほおばった瞬間だった。 思いのほか熱かったのと同時にびっくりして、コロッケを皿に吹き出した。 姉ちゃんがキャベツを食べながらじろりと睨む。
「いやね、 タツヤ君のお母さんだと思うんだけど。 今日たまたま見てた求人雑誌に写真があってね。 写ってたんよ。 そういや実家が和菓子屋さんて言うてたから、 継いだんかな。 全然変わってなかったわぁ。 可愛らしいお母さんやったよねぇ」
「いや、 俺見たことないし」
「え? あんた見たことなかったかな。 いや、 忘れとるだけやわ。 遊び行かしてもろてたやん。 幼稚園の時とか。 タツヤ君とそっくりやったやん。 目がはっきりしててなぁ」
全く覚えていなかった。 それに、 たっちゃんはずっとお父さん似だと思っていたのにな。
今日だけで急にこんなにもたっちゃんを思い出すなんて。
僕の心は嵐にあった船のようだった。 小さな小さな船だから今にも海に沈んでしまいそうになる。
吹き出したコロッケを箸で挟み、 また口に運んだ。 コロッケの美味しさは、 落とした時にどこかへ行ってしまったらしい。 僕は遠くの方で母の仕事と時給の話を聞きながら、 ずっと昔の記憶を彷徨っていた。
あの缶はどこにしまってたっけ……。
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