第5話 燃ゆる涙

 お通夜はその日に、 葬儀はその週の土曜日に行われた。


 いつもはお正月にしか会えない従兄妹や叔父さんたちも集まって僕はまるでお祭り気分だった。 時々箱に入っているじいちゃんの顔を覗き込んで、 従兄妹たちとじいちゃんに話しかけたりした。 あの時みたいに怖くはなかったけれど、 じいちゃんはそこに居るようで居なかった。


 今僕は小型バスに乗ってどこかに向かっている。


急カーブを何度も過ぎて山を登り ソウギ場から十分ほどで到着したのはとても寂しい場所だった。


 バスから降りて、 灰色の建物の中にみんなで入る。 中には薄暗い広間があって、 奥に部屋があった。 部屋へ入るとじいちゃんが中で寝ている箱が置いてあった。 さっきみんなで置いたお花のお布団にくるまれて、 いい夢を見ているように思えてくる。


 じいちゃんの寝ている箱の先に、四角いトンネルが見えた。


 「あれは?」


 隣にいた母さんに聞いてみる。 母さんは聞こえなかったのか、 僕の頭をなでながら再び流れてきた涙をハンカチで何度も何度も抑えていた。

 

すると係の人がそのトンネルにおじいちゃんをスルスルと入れてしまい、 扉を閉めた。


 みんなの悲しみが灰色の部屋をいっぱいにしていく。


 ばあちゃんが係の人に呼ばれて、 その扉の横にある丸いボタンをゆっくりと押し込んだ。 


 しばらくして扉から出てきたのは真っ白な骨だった。 それがじいちゃんだった。 

 僕は、意味が分からなかった。 何でそんな可哀想なことするん? その抜け殻はもうじいちゃんじゃないかもしれんけど、 でもじいちゃんなのに。 なんで。 

 僕は白骨に群がり骨を拾う家族を見て胃の辺りがモヤモヤしてきた。 その建物を出た後も具合が悪いままで、 家に帰りつくまで心臓をぎゅっと抱きながら眠っていた。 


  

 木の板が整列した天井。 四角い電気の傘。 そこから伸びる紐。 

 いつの間にか眠っていた僕は、じいちゃんとばあちゃんの部屋に寝かされていた。 


 窓が開いて夕日でオレンジ色になった裏庭からカラスの鳴き声が聞こえる。 足元に置いてある扇風機から生ぬるい風が送られてくる。


 何か夢を見ていた気がするけど、 思い出そうと頭を働かせようとすればするほど夢の記憶はゆるゆると逃げて追いつけない。 僕はいい加減頭がはっきりしてくるとその事を考えるのをやめた。 


 それにしても暑い。 喉が干からびて声も出せそうにない。

 

 エアコンつけてくれればよかったのにと思ったけれど、 多分ばあちゃんが消したのだろう。 お腹にかけてあるタオルケットをよけながら思った。 ばあちゃんは、いつも寝る時には冷えすぎたらいけんからと言って、エアコンはつけずに寝る。


 隣の居間に入ると父さんはテレビで野球を観ていて、 母さんは電卓とレシートを睨みつけて何かしている。


 「ああ。 ひぃちゃん起きたんね」


 トイレから出てきたらしいばあちゃんが言った。


 「ああ。 よう寝とったね。 お茶いる?」


 と母さんが聞いてくれて、 ああそうだ、 喉乾いとったんやったと思い出す。

 母さんにお茶を継いでもらいながら、 


 「ねえちゃんは?」


 と聞いた。


 「友達のとこ遊び行ってる」


 「ふうん」


 いつもの休日みたいだった。


 外は昨日と変わらず暑いしセミはやかましいし喉も乾く。 父さんも母さんもいつも通りだし、 ばあちゃんも部屋へ戻って本でも読んでいるんだろう。 いつもの週末と同じ。 


「ヒカル、その服もう暑いやろ。着替えてき」


 僕は、学校の制服を着ていた。

 

 そうやん。 全然フツウなことない。 じいちゃんが燃えちゃったのに。白い骨になったのに。

 


 僕は家から飛び出した。 家族が気持ち悪かった。 

 

 制服も着替えず、 母さんが汲んでくれたお茶も飲まず、 靴下のまま走り出た。 走りながら振り切りたかった。 この吐き気のする感情を。 夏の陽気な夕日の中に混ぜて、 感情を消したかった。 


 境内まで砂利を蹴飛ばしながら走ってお賽銭箱の前に立った。 胸が苦しくて心臓が耳元で脈打っているように思えた。 苦しくて涙が出そうだ。 



 じいちゃんと、ここへ二回だけ一緒に来たことがある。 


幼稚園生の頃だったと思う。 まだ小さくて、 目の前でブラブラしているじいちゃんの掌を捕まえて握った事を覚えている。 


 じいちゃんからするタバコの匂いと、 大きくてしわしわの手。 怒られたこともあった気がするけれどもう思い出せない。

 

 じいちゃんとはもう記憶の中でしか会えないのか。 会えないのか?  


「じいちゃん……」


 荒くなった呼吸で、 吐き出してみる。 声に出すともう止まらなかった。 僕の中にあるおじいちゃんへの言葉が、 どんどんあふれてくる。 涙になってあふれてくる。 ぼたぼたと止まらなくて、 涙で溺れてしまいそうや。 


 僕はそのまま賽銭箱の前でうずくまっていた。 言葉の涙が終わるまでずっと。 



 何時間そうしていたのだろう。 気づくと辺りは真っ暗になっていて、 目の前に姉ちゃんが立っていた。 僕がむくりと体を起こして、姉ちゃんを見ると、


「帰るよ」


姉ちゃんはそう言って、スタスタと歩きだした。 僕は、 急いで姉ちゃんを追いかけた。 ずっと折り曲げていた体がぴきぴきと痛んだ。

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