第4話 抜け殻
その日は、 今思えば何も考えてなかった。
いつも、学校に行くときは、 じいちゃんとばあちゃんの部屋に行ってきますと言ってから出ていた。 けれど夏休みだったし、 朝急いでいたし、 挨拶をせずに家を出てきた。 じいちゃんはどんなだったんかな。
みんなと別れて家に帰ると、 母さんの自転車があった。 母さん今日はもう帰って来てるんだと思った。
今になってみればその時にはもう感じていたんだ。 背筋に何か冷たいものを。
気づいたら母さんと姉ちゃんと僕の三人で病院に向かっていた。 父さんは会社から病院に向かっているらしい。
五人乗りの小さな車はクーラーの効きが悪く蒸し風呂のようなのに、 運転している母さんの顔は青ざめていた。
ばあちゃんは先に来ていたらしく、 一人で薄暗い病院の長椅子に腰かけていた。 ばあちゃんの横顔はシワシワで灰色だった。 僕たちを見つけるとばあちゃんの顔が一瞬だけ優しくなった。
病院の長椅子に座って呼吸だけしているとまだ湿ったままの髪の毛からプールの匂いがした。 さっきまで遊んでいた時間が遠い昔に思える。 早くたっちゃんに会いたい。 ケントやみんなにも。 そうだお祭りにみんなで行きたいな。
そこからは、音がない映画を見ているみたいだった。
僕のぼんやりとした妄想を吹き飛ばすように誰かの足音が響き、 一人の看護師さんが近づいて来た。 看護師さんの言葉に母さんは凍り付いて、 ばあちゃんの右手をぎゅっと握った。
看護師さんの案内でみんなでじいちゃんのところに行った。 ばあちゃんから順に入って、 僕は姉ちゃんと一緒に立ち止まっている母さんとばあちゃんの間を縫うようにして部屋へ入った。
目の前のベットにはじいちゃんが寝ていると思ったのに、 違った。 じいちゃんじゃない。 分からないけどじいちゃんのじいちゃんだっていう何かがすっぽり抜け出たようだった。 僕の唇がガクガクと震えた。 僕はとっさに目を背けて、 すぐ横に立っていた母さんの服の裾をギュっと掴んで顔をうずめた。 母さんの泣き声が、体の振動でも伝わってくる。
僕は横目でもう一度じいちゃんの抜け殻を見た。 しわしわの左手が布団からはみ出ていた。 じいちゃんの顔がこっちを向いている。 僅かに開いた瞼の奥は真っ暗だった。 何もない暗闇に吸い込まれそうな怖さを感じて僕は目を背けた。
涙は一つも零れなかった。
怖い。
僕の心はそれでいっぱいだった。
それから数日間、 大人たちはあちこちに電話をしたり、 葬儀屋さんと話し合ったり忙しそうだった。
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