第3話 締め付けられる

 夏休みが始まって一週間が過ぎた。


 早い。 早いけど遅い。 まだ一週間でもう一週間だ。


「ヒカルー。 お母さん今日は朝からパートだから、 早く起きて朝ご飯食べてー」


 夏休みだって言うのに、六時に起こされる。 全く面白くない。 でも早く起きて朝ご飯を食べ終わらないと、 洗い物を僕がやることになる。 それも全く面白くない。 


朝はまだ始まったばかりだっていうのに、 空はピカピカに眩しくて、 奴らはミンミンとやかましい。 いっそパンツ一枚で過ごしたいほどの暑さだけど、 前に一回やったら姉ちゃんがすごく嫌な顔をしたのでもうやらない。 僕だってさらに傷を深くするのは嫌だもんな。 けど水着とあんまり変わらないのに、 何が嫌だったんだろう。 


 そこまで考えて僕は大切な約束を思い出した。 今日はたっちゃんと学校のプール開放に行く約束だ。 


 眠気とセミと暑さでしぼみきった気持ちが、 ギュンッと踊るように回転して、 湿った気持ちを吹き飛ばした。  


 ドタドタと二階から階段を降り、 台所にいる母さんの所へ飛んで行った。 


「母さん、 今日たっちゃんとプール行くって言ってたやん。 水着出してくれた? 」


皿に目玉焼きと昨日のきんぴらごぼうの残り物を盛り付けながら、 母さんが言った。 


「出しとるよ、 玄関のとこ。 もう自分で準備して欲しいわあ。 お母さんがおらんでも、やれるようになってないと困るのヒカルよ」


「はーい。 ごめんなさーい」


と適当に返事する。 だって母さんやってくれたほうが早いし、 見つからんかったら結局母さんに聞くんだから、 同じやんか、 と心でつぶやく。

 

 僕だってそりゃ自覚あるよ。 ちょっと甘え過ぎかなって。 でも父さんだって今もばあちゃんにいろいろ聞いたり、 あれどこだったかな?って聞くし、 大丈夫じゃないかなって思ってる。


 僕はパジャマのまま、 台所のテーブル椅子に座った。 母さんが朝ご飯を並べてくれる。 姉ちゃんは、もうパンを食べていた。 


 姉ちゃんは最近おかしい。 全然ご飯を食べなくなったし、 食べる時ハムスターくらい小さい口でちょっとずつ食べている。 食欲ないのかな。 夏バテってやつ。 それって大人がなる病気? と思ってたけど、 違うんかな。


 「何?  何見てんの? 早く食べないと、 洗い物ヒカルになるよ。 別にいいけど」


 「僕の方が、 姉ちゃんより食べるん早いし」


 姉ちゃんはよく意地悪なことを言う。 ふん。 



 朝九時半。 いつもの神社に集合の約束。 


 緑色のTシャツと薄茶色の麻のズボンを履いて、 制帽をかぶって自転車に乗った。 三日ぶりにたっちゃんに会う。 学校では毎日会っていたから、 なんだかとても久しぶりな気がする。 


 神社の前の坂道で自転車を降りて、 自転車を押しながら鳥居をくぐった。 緑の匂いが濃くなる。 木につかまって鳴いているセミの声が籠って聞こえた。


 夏しか知らないセミたち。 鳴いて鳴いて子孫を残して、 数週間で天国に行っちゃう命。 子孫を残すために生まれて死んでいくって、 何なんだろう。 何のため? 何かの虫がいなくなると、 バランスがくずれて違う虫が大量発生するとか言うけど、 それを止めるために生きてるっていうの? それって何。


 「ひぃー」


 後ろの砂利がじゃりじゃりと音を立てて、 キッと自転車の止まる音がした。


 「たったっちゃん。 おはよー」


 「おはよー。 ってそんなびっくりする?」


 「いや、 セミの事考えててぼーっとしてたから。 びっくりした」


 「セミ?」


 たっちゃんがニコッと笑って自転車を翻した。 


 きっと、たっちゃん以外の男子にだったらセミとか言わずに、 何でもないって言ってたと思う。 でもたっちゃんには言ってしまう。 だって何を言っても、 優しく返してくれると思うから。 


 だから、 たっちゃんは同じクラスの女子にモテている気がする。 この言葉は最近姉ちゃんが言っていた。 モテるっていうのは人気者ってことらしい。 



 小学校に着くと、 いつもはガラガラな校門付近がプールに来た生徒の自転車でいっぱいだった。 


 二人で、隅っこの方に自転車を押し込んでいると声がした。


 「ターツヤー」


  同じ学年のケントとミツルとカエデが立っていた。


 「おお。 結構みんな来てるんかな」


 三人も一緒にプールに向かった。


 たっちゃんはこんな感じでいつも話しかけられている。 僕はそれを羨ましいと思ったり、 恥ずかしく思ったり、 申し訳なく感じたり、 嬉しくなったりちょっと悲しくもなる。 なんだかケーキとピーマンとオムライスとキムチが同時に晩御飯に出ててきた気分。 そんな晩御飯出たことないけど。 それだけ意味分かんないってこと。 


 プールは楽しかった。 三日ぶりだけど久々にみんなに会った気がして嬉しかった。 朝の水はまだ冷たくて、 みんなでギャーギャー騒ぎながら入っていた。


 プールが終わり更衣室で着替えて外に出ると、 同じクラスの女子三人がいかにも怪しく待ち構えていた。


 「あの、 勝見くんと。 ちょっと話あるんやけど」


 まだ濡れている黒髪を後ろで束ねて、 紺色のワンピースを着た女子が、 他二人に押されるように前に進み出て言った。 たっちゃんはちょっと居心地悪そうに立ち止まっていた。


 「あの。 今度の小学校のお祭りって行く? 良かったら、 うちらと勝己君と汐留君とで一緒にお祭り……」


「俺、まだ行けるか分からんから」


「そっか。 そっかあ。 じゃあ、 なんでもない。 ごめん。 じゃあ」


 女子たちはそういうと、五メートル先までダッシュをし、そこで何やらきゃあきゃあ叫びながら帰って行った。何だったんだ。


 「なになになーにー。 今、告白でもされとったん? なあ? 」


 更衣室から遅れて出てきたケントが目をキラキラさせながら、 たっちゃんの肩を叩いた。


「違うわ。 お祭り行くんかって聞かれただけ。 小学校のやつ」


 「はあ? それデートやん! うちの姉ちゃんも彼氏と祭り行くって言うてたし!」


 「そんなんとちゃうやろ」


 とたっちゃんはサラリとツッコミをかわしているように見えた。 


 僕は、内心焦っていた。 あの女子はデートを申し込んでたのか、 たっちゃんに。 あれ?でも。


 「ケントさ、 でも、たっちゃんと俺と女子三人で行こって言うてたよ」


 「え? それあれだわ。 一緒にデートするやつやない?」


 それから僕以外の男子三人はひとしきり騒いで、 たっちゃんを小突いていたけれど、 直ぐに帰りに自販機でなんのジュースを買うかで盛り上がっていた。


 僕はその会話にうまく入れずに、 チャリチャリと自転車を押しながらあとをついて歩いた。 


 それから、 学校から一番近くにある自販機で炭酸を買ってみんなで飲んだ。 炭酸がきつくて喉がギュッと痛んだ。 



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