どうせみんな死ぬ。~瞳人と送影~

さくらのあ

はじまりの世界

溺れる

第1話 十年と十年後から

 十年。


 俺が彼女のために、すべてを捧げた十年。


 過ぎ去り消えた、約十年。


 俺が彼女と、同じ世界にいなかった十年。


 そして、もっとも重い、十年。


 彼女が、死んだ俺を、想い続けた、十年。


***


 ぴくっと、耳が動いたせいで、そんなに長く、二度寝ができなかった。


 覚醒しきった頭で、音に意識を集中させる。


『う……ひっくちゅん!』


 かわいいくしゃみ。小鈴が鳴るみたいな声。


 懐かしい声。


 咄嗟に俺は、その声の周辺に広く、意識を向け、魔力を集中させる。声は最寄りのコンビニチェーン店、トンビニトラレル――通称、トンビニの方から聞こえた。


 まあ、近いといっても、ここから見えるような距離ではないのだが、魔力探知の視界は距離を問わない。


「これは――」


 声に加え、ある情報から、彼女が俺の知っている人物であることを、瞬時に確信した。


 ――影が見えない。


 懐かしい声と、魔力探知に映らないその姿。見えない、と言っているのにおかしな話ではあるが、見間違えるはずがない。間違いなく、彼女だ。


 それと同時に、隠れて彼女を見つめる、別の気配も感じ取る。


 その気配は、かつて、彼女を深く傷つけた、忌まわしき人物のものだった。



「どういう状況だ……いや、考えている暇はないな――」


 二度寝前の格好のまま、俺は宿舎の外に出――空を飛ぶ。目立つのを避けるため、気配遮断魔法も行使する。これで、外から視認されることはない。


 つまり、俺は今、魔力探知、飛行、気配遮断と、三つの魔法を同時に使っているが、まあ、余裕だ。


 そんな慢心を食らうように、不意に、嫌な予感が襲う。


 何が起こってもいいよう咄嗟に、時間停止魔法をあえて、強めの魔力でかける。これで、たいていのことには対処できる。その間にも、彼女との距離を詰めていく。


 時間が止まれば、魔力も止まる。だが、俺以外の時間停止の気配がする。直感で感じ取ったのはこれだったのだろうか。


 どこの誰に、なぜ時を止める必要があったのかはさっぱりだが、それはさておこう。俺ならともかく、常人に数秒も時を止めている余裕はない。


 今は何よりも、あの忌まわしき男を止めるのが先だ。他の術者に悟られないよう、俺は静かに魔法を解く。


 止まった中でも飛び続け、あっというまに目的地にたどり着く直前。



 もう一つ、慣れた気配があることに気がつく。ここに至るまで、まったく気づかなかった。


 この男は、俺にとって、最も馴染み深い存在であり、俺が世界で一番、嫌いなやつだ。


「待て、ハイガル」


 姿や気配を消していても、存在そのものを消せるわけではない。


 地が唸るような低い声に、名指しで呼び止められてしまえば、俺はそれを無視することも、気づかなかったふりをすることもできない。


 今すぐにでも彼女を助けに行きたいのに、この声の前に、それは叶わない。


「なんで止めた」


「黙って見ておけ。……見られないとか、アホなこと言うんじゃねぇぞ」


 まさに、言おうとしていたことを先に言われ、口をつぐむ。今すぐにでも駆けつけたい衝動を抑えつけ、魔力探知で見守る。まあ、この距離なら、なんとでもなる。



 ――彼女を狙う男の前に、腰辺りまで髪を伸ばした、別の女が立ちはだかる。


 二人は、いくつか言葉を交わし――剣を交える。


 その両者の剣技は、数年で習得できるようなものでは到底ない。数年に渡って剣を極めた者でなければ、剣筋を追うことさえできないだろう。


 その上、力の差は歴然。女が圧倒している。


『……強い』


 ぽつりと、男がつぶやく。返事は求められていなさそうだが、女はそれに返す。


『これでも、人類最強と呼ばれる身ですから。大人しく帰ってくださるのであれば、今日は見逃しましょう』


『見逃す、だと……?』


『殺さないように言われているので。その代わり、逃げないというのであれば』


 スパン――と、剣を握る男の手首を切り、風を操って、手中に収める。そこから剣だけをもぎ取り、男の手をまるで、鳥に餌でもやるかのように放り投げ、


『この剣であなたを背中から突き刺し、魔王城の外壁に固定しておくのも悪くないかもしれませんね』


 と言って、女にかすり傷一つつけることができなかった刀身を振るい、感触を確かめる。


 そんなときに、隣から、問いかけられる。


「どうだ。あの女は」


 いや、どうだと聞かれても。ヤバいこと言ってるヤバいやつだろ。こんなに初対面の印象が悪いやつ、そうそういないぞ。むしろ誇れ。


 と言いたいところだが、こいつ相手に話を広げたくはない。


 それよりも、あの女。認識しているだけで、その存在に、吸い込まれそうになる――。



 そこまで考えて、やっと俺は、女の正体に気がつく。いずれにせよ、あまり、関わりたくはない。


「まあ、強いんじゃないか」


「勝てそうか」


「……あれを倒せって言ってるのか?」


 正直言って、彼女のシルエットは今まで見てきた人間の中で比較するなら、上から三本指に収まるくらいには、濃い。


 濃いということは、それだけ、魔力が強いということだ。ただ、かなり大きな魔法を使ったようで、今は影もぼんやりとしている。もしかしたら、時を止めたのは彼女だったのかもしれない。


 とはいえ、単純な魔力比べなら、俺のほうが圧倒的に強い。――のだが。


「俺が負ける可能性は、十分にあるな。相当強いぞ、あの女」


 磨き抜かれた剣術。見ているだけでもそれと分かる、生まれつきの卓越したセンス。そして、世界に比類するもののいない、魔法を操る技術。


 使用する魔力は最小限に抑えられ、その一つ一つの練度が段違い。まるで、化け物。


 決して、勝てなくはないが、油断はできない。そんなところだ。

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