第82話:グーパンチで行くしか

 かつて同じ体験をした菱本はこう語っている。

 結衣の往復ビンタは男のプライドをズタボロにする、と。

 

 そして大学時代を宗光と一緒に過ごした幸太郎はこうも言っている。

 宗光は頑固で、一度決めたことはをなんとしてでも貫き通す、と。

 

 そんな親子が本気で親子喧嘩をしたらどうなるのか?

 

「いい加減、渚先輩のことは諦めてくださいっ!」

「い……嫌……だ」

「文字通り親子ほどの歳の差があるんですよっ!」

「か……関係……ない」

「私の身にもなってくださいっ!」

「一緒に……暮らせ……ば……親子も……夫婦も……同じ……」

「だったらパパの方が折れてよっ!」


 会話をしながらも結衣は往復ビンタをやめようとしない。

 宗光もまた両頬を赤くパンパンに膨らませながらも、決して首を縦に振ろうとしなかった。

 

 つまるところ、拷問もかくやの地獄絵図なのだった。

 

「ゆ、結衣、やめてあげて……お義父さん、死んじゃうよ……」


 そんなふたりに渚が苦しそうに息を詰まらせながらも仲裁に入ろうとする。

 先ほどと比べて全身を貫くような痛みは幾分と和らいだ。

 それでもまだ身体が作り替えられていく感覚は確かにある。

 

「先輩は休んでいてくださいっ!」

「で、でも……」

「な……渚……待って……いろ……私が今……君を……女性に……」

「ええい、うるさい! 死ね、この色ボケおやじっ!」


 ついに結衣さんお得意の往復ビンタからの股間蹴りコンボが炸裂した。

 堪らず股間を押さえ込んで跪く宗光の姿に、つい渚も自分の股間へと手をやる。

 

 まだ自分が男性であるという証拠がそこにはあってちょっとホッとした。

 

 ああ、でも今はそれよりもこの親子喧嘩を止めないと。

 このままでは多分自分が女の子になってしまう前に、結衣が親殺しになってしまう。

 

 しかし、一体どうすれば止められるのだろう。

 渚自身は女の子にはなりたくない。このまま結衣と一緒になりたい。

 だけどそれを伝えたところで、宗光は諦めたりしないだろう。

 もはや渚が女の子になってしまったところで宗光を選ぶ可能性なんてゼロだというのに、そんなことにも気が付かないほど宗光は自分を見失っている。

 

「渚……渚ァ……」


 ほら、顔面ぱんぱんで股間を押さえて床に這いつくばりながらも、必死に名前を呼んでくるし。

 

「くっ。私のビンタをこれだけ喰らいながらも考え直さないとは。正直、パパを少し甘く見ていました」

「ううっ……考えが怖いよ、結衣」

「まいりましたね。このままでは先輩が女の子になってしまいます」


 どれだけの時間が残されているのかは分からない。

 ただ、このまま手をこまねいていたら、取り返しのつかないことになるのは確かだ。

 少しでも早く渚への想いを断ち切らせないと……。

 

「こうなったらビンタなんて甘っちょろいもんじゃなくてグーパンチで行くしか!」

「……力づくじゃダメ、だと思う……」

「だったらどうしろって言うんですかっ!? それとも先輩には何か良い手があるんですかっ!?」


 それはないけど……と渚が身体の変調に耐えながら口を開こうとしたその時。

 

「ありますよ」


 この場に似つかわしくない、妙に落ち着き払った声が耳に飛び込んできた。

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