第59話:まったく業の深い
それはひっそりと、山の木々に隠れるように建っていた。
だから町からは見えず、渚はその存在を知らなかった。
聞けば出来たのは今から五年ほど前だと言う。
となれば昨年の合宿の時には既に存在していたはずだが、わざわざ書道をしに来た真面目な学生たちに教える必要はないと誰もが思ったのだろう。
もっとも人が集まる場所ならば、そういう施設のひとつやふたつあってもおかしくはない。
ただ、それを晶と結衣のふたりが利用するとか……。
ちょっと何言ってるのか意味が分からない渚である。
「こやつはのぉ、
「はぁ」
「まったくどこで育て方を間違えたんじゃろ……」
星世がはぁと溜息をつくと、地面に伸びている晶の上半身を起こして背中から喝を入れる。
「うっ! ……あ、あれ?」
気絶していた晶は目を覚ますと、不思議そうに辺りを見渡した。
おかしい。どうして自分は意識を失っていたのだろう?
確か結衣をラブホテルに連れ込み、その身体をたっぷりと楽しもうとして……。
「って、なんで渚がここにいんの?」
「うちが連れてきたんじゃよ」
「げっ! ば、ばあちゃん!?」
その時になってようやく後ろで支えているのが星世だと気づいたらしい。
晶が顔を引き攣らせ、慌てて逃げようとした。
「逃げられると思うとるんか?」
が、その晶の顎先を星世の素早い掌底が捉え、再び晶はあっさりと意識を手放す。
「ったく、東京の大学で一体何を学んでおるのかのぉ。今のぐらい防げんとは」
星世はそう言って嘆くが、さすがにそれは晶が可哀そうだろう。
それぐらい星世の掌底は恐ろしく早かった。
「私じゃなかったら見落としていましたね」
「結衣、何を言っているの?」
「というか先輩たちが来てくれて助かりました」
ホテルに車で連れ込まれたものの、降りるのを抵抗していたところに渚たちが駆けつけてきたのだ。
もし助けが来なかったら、今頃は無理矢理ホテルのベッドに押し倒されていたかもしれない。
考えただけでゾッとする。
色々と好奇心旺盛な結衣だが、そっちの趣味はない。
「すまんのぉ、お嬢さん。うちの馬鹿娘が迷惑をかけてもうて」
「あ、いえ……私もその、晶さんの話には興味がありましたので」
「こやつの話?」
「はい。えっと、その……」
結衣は言い淀んで、ちらりと渚の方を盗み見る。
結局渚の秘密とは一体なんだったのだろう?
晶は「自分とヤればそのうち分かる」とか言って迫ってきたけれど、そんな条件を飲めるはずもなく結局分からずじまいだ。
「ふむ。なんとなく読めてきたのぉ」
そんな結衣の視線と表情から読み取ったのだろう、星世が再びはぁと大きなため息をついた。
「まったく業の深い孫娘じゃて」
「それってどういう?」
「嬢ちゃんは知らん方がええのぉ」
よいしょと星世は晶を担ぎ上げると、どこにそんな力があるのか、晶の車の助手席にまるでボストンバックのような扱いで投げ入れた。
「……ううっ」
さすがにこれには晶も目を覚ます。
が、状況を把握した時には既に星世が運転席に乗り込んで、車を動かしていた。
ドンドンドンッ!
悲壮な表情を浮かべて助手席の窓ガラスを叩き、渚たちに助けを求める晶。
ホテルから出て行く車を眺める結衣たち。
頭の中にドナドナの切ないメロディが流れる。
哀れな晶 連れられていくよー。
悲しそうな瞳で 見ているよー。
「……あの、先輩」
と、不意に結衣が頭を下げた。
「ごめんなさいっ!」
「え、なんのこと?」
「だって、晶さんにかどわかされて、先輩を騙すようなことをしてしまって……」
「……ちなみに晶ちゃんが話を持ってきたのはいつ?」
「あの……お風呂に入っている時に……」
「だったら僕も……」
と事情を話そうとして、慌てて渚は口を閉ざす。
言えない。
まさか元は男の静が結衣を寝取ろうとしているのではと疑って、晶に偵察を頼んだのが結果として裏目に出たなんてとても言えない。
「僕も?」
「あ、えっと、その……ほら、合宿中、全然結衣のことに構ってあげられなかったでしょ。だから僕にも責任があるかな、って」
「構ってって、私はペットか何かですか?」
「ご、ごめん! そういうつもりじゃなくって」
さっきまで結衣が謝っていたのに、何故か逆転していたりするふたり。
やがてどちらからともなく、ぷっと吹き出し始めた。
「もう、先輩。謝っているのは私の方なんですよ?」
「ごめんごめん。でも、結衣が無事だったんだから別にいいよ」
「ほんと、先輩って人がいいですよね」
「そうかな?」
「そうですよ」
「でも、まぁ、喧嘩してたわけじゃないけどこれで仲直りって言うことで」
仲直り……なるほど、確かに仲直りするには絶好の場所である。
やがてふたりは建物の中へ消えていった。
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