第57話:あの、馬鹿娘め

「ただいまー。母さん、ちょっと来てくれるー」


 思っていたよりも早く家に戻ることが出来た渚は、大きな声で帰宅を家の者に知らせた。

 

 家が大きいので大声じゃないと聞こえないというのもある。

 が、同時に奥の方から龍造たちの「がははは」と大笑いも聞こえたからだった。

 

 どうやら寄り合いが終わって、友人たちと酒盛りをしているらしい。

 龍造の声はとにかく大きいので、それに負けないぐらい声を張り上げないとダメなのだ。

 

「はいはい、どうしたの渚、早かったわねってあら?」


 奥から出てきた静が渚たちの様子を見て眉を顰める。

 

「健斗が足を挫いちゃったんだ。応急処置はしてあるけど、冷やした方がいいかなって」

「あらあら、それは大変だったわね。丁度いいわ、今、星世ほしよさんがおらっしゃるから」


 そう言って再び奥へ引っ込んでいく静。

 それを眺めながらいまだ肩を組んでいる健斗が「星世さんって誰?」と訊いてきた。

 

「晶ちゃんのお祖母さんだよ。この町で医者をしてるんだ」

「え?」

「風邪から手術までなんでもこなせる凄い人だよ。町のみんなからはドクターKって呼ばれてる。よかったね、爺ちゃんと今一緒に飲んでるみたい」

「い、いや、ちょっと待て。酔っ払いにまともな診断なんて出来ねぇだろ」

「大丈夫だよ。だってドクターKだもん」


 理由になってねぇと声を荒げる健斗の顔面から見る見る血の気が引いていく。

 

「うわっ、顔真っ青だよ。早く診てもらわなきゃ」

「いや、治った!」

「……はい?」

「治った。今、急に治ったわー」

「んなわけないでしょ。何言ってんの?」

「いや、俺も不思議なんだけど急に痛みが無くなったんだよ。だからもう寝るわ。おやすみ、渚」


 突然渚の肩を振りほどくと、健斗は靴を脱いで上がり框に足を乗せた。

 包帯が痛々しい。

 が、その見た目に反して健斗は平気そうにしている。

 

 なるほど、これは確かに大丈夫そうだ。

 でも変に慌てているのが気になるなと渚が訝しんでいると。

 

「んー、その包帯は誰が巻いたんかのぉ?」


 奥から出てきた小柄でニコニコと笑顔を浮かべるお婆ちゃんがやってきて、健斗の右足に巻かれた包帯について言及してきた。

 

「あ、星世さん、こんばんは」

「はい、こんばんは。これは渚君がやったのかい?」

「ううん、晶ちゃんがやってくれたんだけど?」

「おや、うちの孫娘が? ううん、これはどういうことじゃろて」


 そう言いつつ、問答無用で健斗を横にさせると勝治が包帯を解いていく。

 

「こんなのはただ包帯を巻き付けとるだけ……おや?」


 星世は剥き出しになった健斗の足首を見て首を捻った。

 

「んー、これは……」


 ついでに足首もぐねり。

 

「いてててててっ! ちょ、痛いっ! なにするんスか!?」

「はて? お兄さん、本当に足を痛めたのかい? どこも悪くないみたいじゃが?」


 星世の言葉に「えっ!?」と渚が驚く。

 が、それは星世も同じようで「どういうことか説明してもらえるかのぉ?」と、穏やかな口調ながらも健斗の足首をあらぬ方向へぐねりぐねり。

 

「うぎゃー、やめてー! 言う! 言うから足を変な方向に曲げないで―!」

「うむ。人間、素直なのが一番じゃて」

「あ、晶さんに頼まれたんだって!」

「え!? 一体晶ちゃんに何を?」

「結衣ちゃんとでふたりきりになりたいから、なんとかして渚を引き離せないかって!」


 もげるー、もげちゃうぅぅぅと悶える健斗の傍で、渚は呆然と立ち尽くす。


 秘密基地?

 でも、秘密基地はもうないはずだ。

 

 一体晶が何を言っているのか、渚には全く分からなかった。

 

「なんじゃって!?」


 しかし、星世は健斗の言葉に驚き、勢い余って手にしていた足首をさらにもうひと捻り。

 

「あの馬鹿娘め、またやらかしおったか!」


 そして健斗の叫び声に負けないぐらい、星世は珍しく声を荒げるのだった。

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