第50話:他人のことは言えないでしょう!

 渚が海の家でバイトしていた頃、書研生たちは当然ながら合宿の真っ最中だった。


 その内容はひたすら書く。

 書いて書いて書きまくるのだ。

  

「うん、いい感じになったな」


 その中のひとり、一年生の書いた作品を見て健斗は深く頷いた。

 

「ホントっスか!? 健斗先輩!」

「ああ! 初日としてはもう完璧! なので今日はここまでにして……」


 遊びに行こうと続けようとした健斗。

 が、そこにひょいと曜子が顔を出してくる。

 

「へぇ、健斗君はこれが完璧に見えるんや?」

「え? ええっと、はい、その、この辺りの余白とかいい感じじゃないかな、と」

「でも字は全然あかんで?」

「あ……ああ、えーと……」


 後輩の一年生たちが「健斗先輩頑張るッス!」と熱い視線を送ってくる。

 

「……ソウデスネ」


 が、そんな応援も虚しく曜子の睨みに屈するのだった。


「ちょ! 健斗先輩、約束が違うッスよ! 今日はほどほどで切り上げるって約束だったじゃないッスか!」

「そうですよ。早くしないと水着姿のお姉さんたちとあんなことやこんなことをする俺たちの計画が!」

「あー、バカ! そんな大声で言うなっ!」


 慌てて口封じしようとするも時すでに遅し。

 曜子だけでなく、みんなからじろーっと白い眼が健斗に注がれる。

 

「健斗君、マジメにやろうなぁ?」

「あ、ハイ……」

「君らも初日ぐらいは書道に集中しいや。そんなんじゃあ上手くなるもんも上手くならへんでぇ」


 健斗たちの野望を木っ端微塵に吹き飛ばす曜子。

 足取りも軽く、次に向かうのは結衣の元だ。

 

「………………」


 結衣が3×6尺の画仙紙に覆いかぶさるようにして、静かに筆を紙面に走らせている。

 

 きっとさっきの騒ぎにも気が付かなかったのだろう。

 額に噴き出てくる汗をぬぐいもせず、ただひたすら自分の書と対面している。

 

 そういうところは相変わらずやなぁと曜子は思った。

 

「まぁそやけど肝心の作品はなんかトゲトゲしいなぁ」


 ピクッ。

 穂先の動きがわずかに乱れる。


「これはアレやな。渚君の前に幼馴染が現れただけでも心が乱れるのに、ふたりとも姿が見えへんからやなぁ?」


 ピクピクッ。

 

「渚君はお父さんの海の家を手伝いに行っとるらしいけど、あのオトコ女はどこに居るんやろうなぁ?」


 ピクピクピクッ。

 

「もしかして今頃ふたりして海の家でしっぽりと」

「あー、もう! ごちゃごちゃうるさいっ!」


 しつこい曜子の攻撃に堪らず筆を止めると、結衣はキリッと鋭い目つきで下から睨み上げる。

 

「ふっ。こんなんで集中力を乱されるとは結衣ちゃんもまだまだやなぁ」


 それでも曜子はどこ吹く風だ。


「邪魔をしておいてよくそんな偉そうなことが言えますね?」

「別に邪魔なんかしてへんもーん。素直な感想を呟いてただけやもーん」

「くっ。減らず口を」

「それに集中出来てへんのは、うちのせいやないやろ?」


 さっきまでの結衣は一見すると書道に集中出来ているように見えた。

 が、それはポーズに過ぎない。

 実際は結衣の頭の中が雑念だらけなのは、その字を見れば曜子にはすぐ分かった。

 

「まぁ、そういうのを乗り越えていくのが大人っちゅーもんや。ほな、頑張ってなー」


 そう言って自分の作品制作に戻っていく曜子を、結衣はきゅっと口を固く結んで見送る。


 


 その言葉は必死に飲み込んだ。

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