第49話:何人と付き合った?
一夜明けて朝食を摂ると、本格的に書道合宿が始まった。
民宿をやっている渚の実家。
その一部の襖を取っ払って巨大な空間を作ると、各々が好きな場所に毛氈を敷いて作品制作に取り掛かる。
が、そこに渚の姿はなかった。
「はい、焼きそば出来たよっ!」
「はいよ! イカ焼きは?」
「あともうちょっと待ってもらって」
代わりに父親が経営する海の家で急遽アルバイト中だ。
「ごめんね、晶ちゃん。急にお願いして」
「いいっていいって。
しかも晶も一緒だ。
「まったく。父さんったら飲めないくせして爺ちゃんに付き合うんだもん。それで二日酔いで店が開けれないなんて、何を考えてるんだろ?」
「渚が帰ってきてくれたのが嬉しかったんだろ。そんなに責めてやるなよ」
「それに爺ちゃんも爺ちゃんだよ。民宿の方は母さんに任せてるんだから、こういう時は父さんの代わりを務めるべきじゃない? なのにアレだよ?」
渚の視線の先、穏やかな波が打ち寄せる砂浜には、昨夜の東京から来たOL達と一緒に海水浴を楽しむ龍造の姿があった。
水着になった女の子たちにデレデレしまくっているその姿は、孫として恥ずかしい限りだ。
「あはは。龍造さん、若いなぁ」
「身内からしたら笑いごとじゃないよぉ。張り切り過ぎてまたどこか痛めなきゃいいんだけど」
焼き上がったイカ焼きを晶に手渡したところで、とりあえずオーダーは全て処理した。
この隙に渚はペットボトルの水を一口飲み、塩飴を舐める。
海の家を手伝うのは子供の頃以来だった。
だから不安もあったけれど、存外に身体が覚えているものだ。
こうして仕事の合間に水分などをこまめに摂るのも、かつて龍造がそうしているのを見ていたからだった。
もっとも龍造は水じゃなくてビールを飲んでいたけれども。
「ところで親父から聞いたんだけど、お前、あっちの大学で派手にやってるらしいな?」
懐かしい記憶に思いを馳せていると、戻ってきた晶がそんなことを言ってきた。
「派手って? ああ、書道のこと? そうなんだよ、基礎が出来てないからさ、仕方なく前衛書をやってみたらそしたら」
「いや、そうじゃなくて女関係」
ぶほっ!
渚は思わず口の中で転がしていた塩飴を噴き出した。
「な!? な、何を言って……」
「今は結衣ちゃんと付き合ってるけど、それまでに何人もの女の子と付き合っては別れたとか聞いたぜ?」
「ど、どうしてそれを……」
「何人と付き合った?」
「え?」
「だから結衣ちゃんと付き合うまで何人にフられたんだよ?」
胡麻化そうと思えば簡単に胡麻化せる。
「……9人」
が、何故か真面目な表情を浮かべて見つめてくる晶に、渚は正直に答えるしかなかった。
「じゃあ結衣ちゃんが10人目か?」
「……うん」
「そうか……」
晶が黙り込んで下を向く。
渚からは表情は見えなかった。
でもその様子はどこか悲しそうに見えて――。
「じゃあ絶対結衣ちゃんと別れるわけにはいかないなー!」
が、次の瞬間、晶はいつものカラっとした笑顔を浮かべて顔をあげた。
「え? あ、う、うん……」
「おいおい、なに戸惑ってんだよ。そこは気合入れて頷くところだろう? それとも何か、お前たちもしかして上手く行ってないの?」
「そ、そんなことないよ! 僕と結衣はとても分かりあえてる。これまでの子とは違うんだ!」
「おう、俺から見てもお前たちはいい感じだと思うぜ」
海の家に新しいお客さんたちが入ってきた。
晶は人数分のお冷を用意すると、注文を訊きにそちらへと向かう。
が、渚は注文されるであろう料理の準備も忘れて、晶の後姿をぼんやりと見つめていた。
さっきのは一体なんだったんだろう?
一瞬寂しそうに俯くその姿は、まるで失恋でもしたかのようだった。
もしかして晶は、自分のことが好きなのだろうか。
しかもそれだけじゃない。
もしかしたら晶は自分が10人の恋人と別れると女の子になっちゃうことも知っているんじゃないだろうか。
だからもう手遅れなんだってことを理解したからこそ、あんな反応をしたんじゃないだろうか。
もちろん、これは単なる推測にすぎない。
さっき寂しそうに見えたのは気のせいかもしれない。
だけど仮にそうだったとしても、渚には何もしてあげられなかった。
渚に出来ることと言えば、晶の想いに気付かないでいるふりをして、これまでと同じ関係を続けることだけだった。
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