第41話:見られたら困るんだ
ゴンドラが全体工程の四分の一ほどまで進んだ。
ここから頂上を目指していくゴンドラはゆっくりと方向を変えていくので、渚に抱きついた雛子からは先を行くふたりの姿が見えなくなる。
が、雛子は間違いなく菱本も結衣を陥落させているはずだと確信していた。
今回のダブルデートが決まった時、雛子は菱本にどう結衣を攻略するつもりなのか訊ねたのだ。
すると菱本は
「彼氏のいる女の子を落とすのは簡単だよ。だって彼氏が彼女のためにやりそうなことを先回りしてやればいいだけなんだから」
と薄ら笑いを浮かべながら答えた。
そうすれば彼氏は何も出来ない木偶の坊に成り下がり、彼女は気の利かない彼氏に幻滅する。
そこへ甘い言葉を投げかけてやればコロリと落ちると続ける菱本は、異性として不快以外の何者でもない。
が、今回のような時にはこれ以上ないほど心強いパートナーだった。
「ねぇ、先輩。私のおっぱい、大きいでしょう? 柔らかいでしょう? 結衣さんのとは比べ物にならないですよねー」
「…………」
「いいんですよ、先輩? 先輩になら私のおっぱい、好きにしてくれても。ううん、おっぱいだけじゃなくてもっと私のいろんなところも全部……先輩にあげちゃいますよー?」
甘い言葉。
誘う視線。
熱い吐息。
魅惑の弾力と、香り立つ女の匂い。
雛子は使えるものは全部使った。
あとは既成事実を作るだけ……。
「ですから先輩、結衣さんのことは忘れて私と……」
「えっと小泉さん、悪いんだけど離れてくれる?」
「え?」
「こういうところを結衣に見られたら困るんだ。たとえ僕にその気がなくても、後で滅茶苦茶叱られるんだもん」
「は?」
後で叱られるからって、なんだ?
渚と結衣のふたりに後なんてない。
だってふたりはここで完璧に、完全に、圧倒的に破局を迎えるのだから。
雛子が呆気に取られていると、渚が力づくで雛子を身体から引き離してきた。
ますます訳が分からないと混乱する雛子に対し、渚はふぅとひとつゆっくり息を漏らす。
「あのね小泉さん、結衣が僕に愛想を尽くすなんて絶対ないんだよ」
「なっ!? あんなにダメダメだったのにどこからそんな自信が来るんですかーっ!?」
「だって結衣を信じてるから」
「全然答えになってないですよーっ!」
そう、雛子からしてみれば全く納得出来るものではない。
だけど渚にしてみればそれだけで十分だった。
あの合コンの日の夜、大学の駐車場で話し合った渚は、結衣のことを信じると決めた。
自分に自信はまだそれほど持ててはいない。
でも、それでも、結衣を信じることにだけは自信を持っている。
そもそもだ、結衣は自らを面倒くさい女だと言うぐらいで、渚も彼女の言動をなかなか理解出来ないことも多い。
説明をされてようやくその真意に気付くこともままある。
だったらなんだかんだと疑心暗鬼になるのではなく、馬鹿みたいに結衣を信じるのが正解じゃないだろうか。
「で、でも、結衣さんのことを信じるんだったらおかしいじゃないですかー! ゴンドラに乗り込んだ時は、あんなに心配そうに結衣さんの方を見ていたくせにー」
「それは結衣のことを疑っていたわけじゃないよ。
「そ、そうですよ! いくら結衣さんが裏切るつもりがなくても菱本さんが強引に迫れば」
「うん、でも心配なかったみたい」
にっこり笑って渚は雛子へ後ろへ振り返ってみるよう指差す。
思ってもいなかった展開に戸惑うばかりの雛子は眉を顰めたまま、視線を背後に向けた。
ゴンドラはいつの間にか頂上を少し越えていて、再び先行する結衣たちの様子が、今度は少し見下ろすような形で見えるようになった。
乗り込んだばかりの頃は結衣の後ろ姿しか見えなかったのが、観覧車特有の進行方向の変化によって今は結衣の顔がこちらからでも伺える。
「え……」
結衣は相変わらずすまし顔だった。
整った顔つきを一ミリも動かさず、ただ右手を左右に何度も反復させている。
その度に菱本の顔が右へ、左へとはたかれる。
菱本は呆然と目を見開いていたまま、なすがままになっていた。
と、不意に菱本が膝から崩れ落ちる。
どうやら結衣が菱本の股間に強烈な蹴りを放ったらしい。
「ひっ!」
雛子が思わず悲鳴をあげたのは、女性ながらも菱本が受けたダメージの深刻さが分かるのか。
――それとも跪く菱本越しに目が合った結衣から、何かしらのメッセージを受け取ったからなのか。
さすがにそれは渚には分からない。
が、雛子がぶるぶる震えてこちらもゴンドラの床にしゃがみ込んだおかげで結衣と視線が交わり、彼女が得意げな表情でⅤサインを出す姿を見て、渚は堪らず頬を緩めるのだった。
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