第25話:ちょっと先輩を買いかぶり過ぎました

「……よし、いい感じ!」


 旅行から帰ってきて数日後のゴールデンウィーク最終日。

 いや、もう日付が変わったので正確には翌日の午前一時過ぎ。

 結衣は大学の書道室にいた。

 

 もちろん市展に出す作品の製作のためだ。 

 紙面を筆が走る度、尾骨のかけ紐にぶら下げた推しキャラのチャームが軽やかに弾む。

 あれからもまた大変だったけれども、渚のおかげで無事交換することが出来た。

 

 今から思い出しても、いい旅行だった。

 先生の個展も、ライブも。

 その後のトラブルは想定外だったけれども、結果としてあれから渚が自分のことを下の名前で呼ぶようになった。

 不良さまさまだ。


 それに箱根で過ごした充実した時間ときたらもう。


 昔から箱根へ旅行した際に泊るこの宿は、全てが独立した離れになっていて、プライベートがバッチリ守られている。

 加えて結衣はチェックインするやいなや支配人や仲居さんにたんまり心付けを渡し、もし父が問い合わせしてきても宿には女友達と一緒に泊ったと伝えること、そしてこちらが呼ばない限り部屋には誰も近づけさせないでと厳命した。

 

 おかげで箱根ではとても濃厚な恋人の時間となった。

 結衣さん、大満足である。


 そしてその満足感は、旅行から戻ってきてからも続いている。

 

「うん、我ながら完璧ッ!」

 

 丁寧に雅号を書き込むと、結衣は筆を硯に置いてふぅと一息ついた。

 3×6尺サブロクの画仙紙に流麗な筆さばきで書かれる七言絶句の行書。

 6月の市展に向けて何枚も書いてきたが、旅行から帰ってきてから抜群に調子がいい。

 

 書き上げた作品を壁に吊るし、悦に入って見やる結衣。

 その視線をふと隣の作品に移した。


 これまた同じサイズに、結衣のと比べるとかなり荒々しい筆跡で書かれている。

 まるで意志を持つ筆が自分勝手に動くのを、懸命に制御して書いたような印象だ。

 

 雅号は曜子のものだった。

 

 その書風はどこか安寿が見せてきた去年の県展入賞作を彷彿とさせた。

 実際、あの作品の作者は曜子なのではないかと結衣も少し疑っていた。

 

 が、こうして曜子が書いたものを見るとそれが間違いだと分かる。


 庵寿に見せてもらった作品はまるで書道の達人とド素人の子供が同居しているような不安定さはあったものの、その筆使いは自由奔放にして完璧に使いこなしていた。

 対して目の前の曜子の作品は、筆の動きがぎこちない。

 先ほどの印象のように四苦八苦した運筆が見て取れる。


 どう考えてもあれを書いた人の同じ作品とは思えなかった。

 

「…………ふっ。ちょっと先輩を買いかぶり過ぎましたね」


 無言で曜子の作品を眺めていた結衣は口をニヤリと歪ませると、勝利を確信したかのように呟いた。

 その時。


「ええっ!? 僕、何かダメだった!?」


 いきなり書道室に渚が入ってきた。

 時間は深夜の一時過ぎ。

 こんな時間に誰も来るわけがないと思っていて単純に驚く結衣に、渚は必死になって詰め寄る。


「僕、今回の旅行はかなり頑張ったと思うんだけど、色々と!」

「あ、そうですね、はい、とても頑張ったと思いますよ」


 特に箱根……とはさすがに言わなかった。

 

「じゃあなんで!? 買いかぶりすぎたって何がダメだったの!?」

「ええと、落ち着いてください、先輩。今のは渚先輩のことじゃなくて、曜子先輩のことですよ」

「え?」

「曜子先輩の作品を見て、思ったほどじゃないなって」


 言いながら曜子はつい渚越しに書道室の扉へと視線を送る。

 続いて曜子まで入ってきたらどうしよう?

 

「なんだぁ、僕はてっきり何か不満があったのかなって」

「安心してください。先輩にはホント感謝してますよ」


 結衣が渚のリュックにぶら下がったチャームを指差す。

 そこには本来結衣の物だったチャームがぶら下がっていた。

 

「相手が先輩のチャームとの交換を希望されて、それに先輩が応じてくれたこと、本当に嬉しかったです」

「あ、ああ。うん」


 正直、もっと他にも評価されるべきところがあったんじゃないかなと思う渚である。

 

「それより先輩、こんな時間に書道室に来るなんて、そんなに私に会いたかった……というわけじゃないですよね?」


 結衣の問いかけに渚は「あっ」と小さな声を上げた。

 しばしの逡巡。

 が、やがてコクリと首を縦に振る。

 

「ようやく書きたいものが決まったんで、ちょっとね」


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