第19話:じゃあそういうことで
「ねぇ、渚先輩。ゴールデンウィークですが、一緒に東京へ行きませんか?」
「えっ!? いいの!?」
思いもよらぬ結衣からのお誘いに、渚の驚いた声が夜11時過ぎのふたりだけの書道室に響く。
もうすぐゴールデンウィーク。
結衣とどこか遊びに行きたいと、渚はここ数日ずっと考えていた。
が、最近の結衣はずっと書道に没頭している。
6月に市展があるのだ。
作品を出すからには大賞を取ると意気込む結衣は、今から熱心に取り組んでいた。
その様子から遊びに誘うのは無理そうだなと思っていただけに、当の結衣からの提案に驚いてしまったのだった。
「でもどうして東京なの?」
「とあるアイドルグループの東京公演チケットが手に入ったんです」
「アイドルグループ? 神戸さん、そういうのに興味があるんだ?」
意外だった。
結衣がどんな音楽を聴くのかを知らないが、おそらくはクラシックあたりだろうと勝手に思い込んでいた。
それがまさかのアイドルとは……。
結衣と一緒に東京まで遊びに行けるのは嬉しい。
が、アイドルと聞いて渚の表情が少し曇った。
「大丈夫ですよ。アイドルと言っても女性のグループですから」
そんな渚の顔色を見て、結衣は苦笑しながら補足する。
「あ、そうなんだ」
「安心しました? 先輩は本当に心配性ですね」
「そ、そんなことないよ」
「そんなことありますよ。だって男の人のライブだったら、私が盗られちゃうかもって思ったんでしょ?」
「う、うん……」
「あのですねぇ、そんな人たちが私を気に掛けるわけないじゃないですか、常識的に考えて」
「そうとは限らないよっ! だって神戸さん、美人だし!」
強く否定する渚の言葉に結衣は一瞬、言葉を詰まらせた。
そして「困った人ですねぇ」と、少し顔をにやけさせながら話を続ける。
「と、とにかく私はそのライブに行きたいのです。先輩も一緒に行けますか?」
「うん、大丈夫! あ、でも東京かぁ。僕の軽では遠すぎるから、となると夜行バスかなぁ?」
「夜行バス? なんですか、それ」
「神戸さん、夜行バス知らないの? 夜通し走ってくれてこっちを夜に出発すると、丁度朝ぐらいに東京に着くんだけど」
「どうしてそんなに時間をかけなくちゃいけないんですか?」
「どうしてってそりゃあ――」
「新幹線で行けばいいじゃないですか。新幹線だったら朝出発でお昼前には着きますよ?」
「いや、新幹線は値段が」
「とりあえず東京で二泊。それから箱根にいい温泉旅館を知ってますから、そこにも泊まりましょう!」
「ええっ!?」
渚は慌てて通帳の預金額を思い浮かべた。
とりあえず春休みにバイトしたお金がそのまんま残っている。
夜間バスで移動して、安いホテルなどで寝泊まりすれば、数日は滞在できるはずだ。
が、新幹線を使って、それなりにいいホテル、しかも箱根の温泉旅館となると果たして足りるだろうか。
渚は正直不安になってきた。
「あ、あの神戸さん、言いにくいんだけど僕、あんまりお金が」
「それならご心配なく。私が誘ったのですから、今回は全部私が出します」
「それはダメだよっ! そんなの」
「でもホテルだけで一泊十万円以上はしますよ?」
「……えっ!?」
「ちなみに東京まで行って宿泊はラブホテルとか嫌ですからね、私」
「…………」
「あ、とは言っても先輩がそういう旅行を企画してくれるのなら、私は全然かまいませんよ。先輩の軽自動車で各地のラブホテルを巡る旅行なんて楽しそうです」
そうですね、夏休みはそうしましょうと結衣は言うものの、それはそれで勘弁してほしい渚だった。
「でも今回は私が企画したものです。ならば私の求めるクオリティであるべきですよね。違いますか?」
「そうだけど、でもお金を全部神戸さんが払ってくれるというのは……」
「じゃあ今から旅行が終わるまで、私の言うことには絶対服従ということで行きましょう!」
「え? いや、なんかそれはそれでなんか怖いんだけど」
「そんな無茶なことは言いませんから、安心してくださいよ。はい、じゃあそういうことで」
無理矢理話を纏める結衣。
そしてにっこり笑顔を浮かべて言い放つのだった。
「では早速。渚先輩、いい加減、私のことを下の名前で呼んでもらえますか?」
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