第17話:別に怒ってません
女の子になってしまうなんて、最悪な夢を見た。
かくなるうえは一秒でも早く結衣に会って、夢のことを忘れてしまいたい渚だったが――。
「おう、おはよう、渚」
何故かこんな日に限って大学で最初に会うのは、夢にも出てきた健斗だった。
「……おはよう」
「お、なんだ、朝から機嫌が悪いなぁ? どうした、結衣ちゃんと喧嘩でもしたか? それとももうフられちゃった?」
「喧嘩もしてないし、フられてもいないよっ!」
「おいおい、軽い冗談だって。そんなに怒るなよ」
言いながら健斗が「飲む?」とそれまで口にしていた飲むヨーグルトを渚に差し出してくる。
いつもなら何も考えずに受け取る渚だったが、今日は断った。
全部あの夢のせいだ。
こんな日に限って飲むヨーグルトなんて……どうしても嫌なことを連想してしまう。
「お、マジで機嫌悪いモードだ。一体どうした?」
「……別に」
「なにその言い方? 俺、なんかした?」
さすがに夢の中でヤられました、とは言えなかった。
代わりにふと思いついたことを口にしてみる。
「……あのさ、もしも僕が女の子になっちゃったら健斗はどうする?」
「は? いきなりなに?」
「ちょっと気になって。僕が女の子になったら健斗が襲ってくるかもしれないなって」
「おいおい、俺をなんだと思ってんだよ。俺はお前と違って女の子だったら誰でもいいわけじゃないの。俺はね、本当に一生この子を大事にしたいって子としかえっちしないの」
「じゃあ僕が女の子になっても気にならないわけだね?」
「それはその時になってみないと分からん」
不意に健斗は真面目な顔を浮かべた。
「今は想像できねぇけど、いざそうなったらもしかしたら抱きたいって思うかもしんない。なので分からん」
そして健斗は「俺はどんな可能性でも否定しない男だ」と言って、ビシっと親指を立てた。
「健斗、短い付き合いだったね」
「冗談! 冗談だってば! 大丈夫。襲わない、襲わないから!」
「……本当?」
「本当だって」
「じゃあ訊くけど、子供は女の子が欲しい? それとも男の子?」
「女の子がいいな」
「さよなら」
「なんで!?」
そんなやりとりをしながら、ふたりは一限目の講義に出る前に研究室へとやってきた。
講義の教科書を研究室に置いているからだ。
「あ、結衣ちゃん、おはよー」
そこに結衣がいた。
「おはようございます、健斗先輩。渚先輩もおはようございます」
「うん、おはよう、神戸さん」
ようやく結衣と会えたことにほっとする渚。
と、その結衣が手に薔薇を一輪持っていることに気が付いた。
「どうしたの、その薔薇?」
「学校へ来る途中で貰ったんです」
「えっ!? 誰から!?」
慌てて渚が結衣へと迫る。
女の子に花を贈る……たとえ一輪だけであっても相手が男ならその意図は明らか。
渚としては到底容認できるわけがない。
「落ち着け、渚」
その渚を健斗が押し留めた。
「結衣ちゃん、それ、庭が薔薇園になっている家で貰ったろ?」
「はい、綺麗だなって見てたらどうぞって」
「やっぱり。ロゼリアン田中さんだ」
「健斗、知っているの!?」
「ああ、薔薇が大好きな爺さんだよ」
「そんな年配の人まで結衣を狙って!?」
「だから落ち着けって。あの人は性別関係なく自分の育てた薔薇を褒めてくれる人が大好きな爺さんだよ。俺だってあの人の家の前でスマホのメッセージを確認してたら、写真を撮っていると勘違いされて薔薇を貰ったことがあるしな」
ちなみに健斗が貰ったのも、結衣と同じく赤い薔薇。
その花言葉は「あなたを愛しています」なのだけれど、それを教えるとややこしくなるなと思って健斗は敢えて教えなかった。
「だから大丈夫だ。安心しろ、渚」
「う、うん……」
結衣を寝取られないように、他の男を出来るだけ近づけさせないようにする。
渚はこの作戦をずっと守ってきているが、それでも普段はここまで過剰に反応することはない。
やはり今朝見た夢が悪すぎたんだと反省していると、ジト目で結衣が見つめてくることに気が付いた。
「あ、ごめん、神戸さん。別に神戸さんを疑っているわけじゃなくて」
「分かってますよ。先輩が心配性なだけってことぐらい」
「ううっ、ごめん」
「謝らないでください。それは別に怒ってませんから」
どこか含みを持たせる言葉に渚の心がざわめく。
が、結衣は「じゃあそろそろ講義が始まるので」とそこで会話を打ち切って、とっとと研究室を出て行ってしまった。
後にはペットボトルに飾られた薔薇だけが残った。
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