第9話:恋人になろう

 熱い夜を終え、大学の講義に出る前に着替えようとマンションへと向かう結衣。

 その足取りは、とても一晩中身体を重ね合わせたとは思えないぐらいに軽かった。


「ふふふ。実は私が大学近くのマンションに住んでるって聞いた時の先輩の顔、面白かったなぁ」


 思い出すたびに顔がにやけてしまう。

 でもそれは驚いた顔がどうのこうのというより、渚自身の存在そのものに対して。


 そして現状への満足感によるものだった。


 母を早くに亡くしたとはいえ、裕福な家庭でずっとお嬢様として生きてきた結衣。

 その生活に文句を言ったら罰が当たると思っている。


 だけど生まれもっての気質か、それともどこかで道を誤ったのか。

 お嬢様にしては反骨精神旺盛な結衣は、どうにも自分を取り巻く環境が気に入らなかった。

 

 もっと自由に。もっと自分の好き勝手に生きてみたい。

 親の元で大切にされるのではなく、傷ついてもいいから自分の力で自分の人生を切り開いてみたい。


 恋人だって自分で選びたい。

 親に押し付けられるのではなく。


 そんなことを考えていた結衣に、書道の先生からS大学の書道研究室を勧められたのは絶好の機会だった。

 

 本来ならお嬢様短大に進む予定を「書道家になりたいの!」と父親を強引に説得して進学変更。

 無理をすれば通えなくもない距離も「そんな移動時間があれば書道に充てる!」と、やっぱり剛腕を発揮して一人暮らしを勝ち取った。


 そしてまだ大学も始まっていないうちからアパートへ引っ越し。

 親には内緒で取った原付免許と、貯金を下ろして買ったスクーターでしばらくはあちらこちら気ままに出かけて過ごした。


 その時にたまたまラブホテル街を見つけておいたのは、今となってはナイスプレーだ。

 

 もっとも初めて渚と知り合った時は、そんな関係になるとは思ってもいなかった。

 隣の同級生の女の子が「かっこいい!」と騒いでいたものの、結衣からしてみれば渚は「かっこいい」のではなく「かわいい」だ。


 もっと格好いい連中を、結衣はこれまで嫌というほど見てきた。

 そいつらにいい印象はない。

 その点で渚が「かっこいい」ではなく「かわいい」という評価になったのは幸いだったと言える。

 

 とはいえ「かわいい」以上に惹かれるものは別になく、そもそも既に彼女持ちらしい。

 まぁ、それだけルックスが良ければ女の子たちは放っておかないだろうなと納得した。


 その渚がフられたと聞かされたのは「かっこいい」と騒いでいた子からだった。

 彼女は渚目的で書研に入ったほどの入れ込みようで、その時も「私、絶対渚先輩と恋人になるからっ!」と、同じ書研一年生の結衣に何故か宣言してきた。

 

 だから盗らないでねというつもりだろうか。

 意味のないことを。私は全然興味がないのに……と、その時は思っていた。

 が

 


 その言葉が聞こえた瞬間、結衣は反射的にそちらの方を見てしまった。

 そして渚と目が合い、結衣は強烈に興味を覚えた。

 いや、興味を覚えたどころではない。結衣はその瞬間に決めたのだ。

 

 この人と恋人になろう、と。


 そこからの結衣の行動は早かった。

 まずはお嬢様育ちの危機感の高さ故に、それまで自分が大学から徒歩三分のマンションに住んでいることを誰にも話してなかったことを利用して、まんまと駅へ向かう渚の車に乗り込んだ。


 これで渚が戻ってくると思ってカラオケに行った同級生を出し抜く。

 あとは一夜勝負の電撃戦だ。 


 恋は戦争と聞く。

 戦争ならば古来より拙速を尊ぶと言うではないか。

 だから多少強引になっても勝てばいいのだ。

 

 かくして結衣はこの戦いに勝った。

 まぁその為に自分の純潔まで犠牲にしたのは明らかにやりすぎだったかもしれない。

 父が知ったら卒倒するだろう。


 でも後悔はない。

 初めては痛いと聞いていたのに渚が優しくしてくれたおかげで凄く気持ちよかったし、なによりも渚の恋人に収まるには遅かれ早かれああいう行為に至る必要があった。


 いずれヤるならその行為が最も効果的なところで行うのがいい。

 そういう意味でも昨夜、切り札を早々に切ったのは間違いではなかったと結衣は思っている。


「よーし、ますます楽しくなってきましたねっ!」


 駐輪場に止めてあるスクーターの座席をバンバンッと叩いて、ゴキゲンな結衣がマンションに入っていく。


 が、この時の結衣はまだ知らなかった。

 渚の寝取られ体質に隠された秘密を。

 そして渚のおかげで大学生活が、結衣の思っている以上に噛み応えのあるハードなものになることを。 

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