第12話 得手不得手

 俺は迷わず立ち上がり、歩きながら叶依を呼んだ。叶依は初め聞こえていない様子だったが、再び名前を呼ぶと、俺を見つけて少し驚いていた。

「おまえなぁ、飯食わな元気出ぇへんやろ」

「いいやん、別に……」

 俺が緊張していたように、叶依もそうだったかもしれない。いつもなら俺のほうを見て話をしてくれていたのに、バツが悪そうに視線を逸らしていた。海帆や他の友人たちに注目されていたが、俺は続けた。

「あかん。俺、今日クラブするつもりでこれ持ってきたけど、やるわ」

 俺は持っていたコンビニの袋を叶依の机に置いた。中身は菓子パン一つとおにぎりが二つ、それからペットボトルのお茶が一本。

「……伸尋は? クラブ」

「田礼が、今度のことで話あるから放課後に職員室に来いって。いつ終わるかわからんから、クラブ行くのやめる。叶依にも伝えとけ、って言ってたわ」

「今度って──もう会ったん?」

 叶依はようやく、俺のほうを見て聞いた。誰に、と言わなかったのは、それが海輝だからだろう。海輝は叶依にも、俺と話をするつもりだと伝えていたらしい。

「うん。いつ帰れるかわからんから、食べろよ。──なに?」

 俺はそのまま席に戻ろうとしたが、叶依の視線を感じてそこから動けなかった。叶依のほうを見ると、じっと見つめられていた。残念ながら顔ではなかったが。

「ご飯粒付いてんで」

「え? どこ?」

 俺はあちこち探したが、どこにも見当たらない。制服ジャケットの裾、袖口、見えないところも引っ張ってみたが、それらしきものはない。見えないのなら良いだろう、と諦めかけていると、叶依は立ち上がり、俺のほうに手を伸ばした。

「ネクタイに付いてんねん。このまま外出たら恥ずかしいで」

 自分の手に付いたご飯粒を見ながら叶依は、ようやく笑顔になった。嬉しさと恥ずかしさで居心地が悪くなって、俺は席に戻る。叶依の行動の意味を考えながら、顔が緩んでしまう。もし、俺ではなく史だったら──、叶依はご飯粒を取っていないと信じたいところだ。

 それから残りの昼休みの間に、俺は叶依にLINEを送った。

 ──俺、あいつ(ごめん…)のこと、兄貴と思うことにした。急やけど明日の朝、新幹線で東京に来いって。チケットは学校に送ったらしくて田礼が持ってる。あと、俺も話したい。じゃ、放課後に職員室前で──

 送ったメッセージは、すぐに既読になった。

 叶依は教室にいたのでチラッと様子を確認すると、ひとりでスマートホンを眺めて嬉しそうにしていた。


 放課後、俺と叶依はほぼ同時に職員室に到着した。何となく気まずかったので特に話はせず、田礼の姿を探した。突然の明日の呼び出しと、ラジオ収録と、叶依は北海道のテレビに出演の予定もあるそうで、欠席期間の確認と抜けた授業をどうするかなどを相談して、想像していたより早く職員室を出ることができた。

 俺は叶依に、話がいつ終わるかわからない、と言ったが、クラブに行くのをやめた本当の理由は別にあった。叶依と話をしていたくて、クラブに行く気が起こらなかったからだ。

 職員室を出てから足は自然とピロティに向いて、並んで座って待ちあわせのことを決めた。いろいろ案を出した結果、俺が叶依を迎えに行くことになった。

「伸尋……ごめん……」

 急に叶依に謝られたが、俺は全く怒っていない。叶依を迎えに行くことも、遠回りでもない。そもそも迎えに行くことは、俺が言いだした。

「え? なに? なんで謝るん?」

「その、前……海輝のこと……ごめん……」

 そのことか、と納得すると、俺は笑った。

「気にすんなよ。別に叶依が悪いんじゃないし」

「でも、私が……」

「もう良いから。俺だって、叶依には何も言ってなかった」

 言葉の意味が分かったのか、叶依はハッと顔をあげた。

 叶依は海帆や史から、俺の気持ちを聞いていたかもしれない。しかし俺は、自分からは何も言わないままだった。もちろん叶依からも誰からも、俺が好きだということを聞いたことはない。

「だから──、ずっと言おうと思ってたけど、叶依なかなか捕まえられへんし……」

 今日こそ言うと決めたのに、緊張しすぎて言葉が出て来ない。スポーツと勉強は得意だが、愛の言葉は苦手だ。

 そろそろ何か言えよ、と自分に訴えていると、左手にほんのり温かい感触があった。叶依が照れて笑いながら、俺の手を握っていた。兄貴と付き合って慣れたのか、それとも、もともとなのか──。

「言うまで待ったほうが良い?」

「え、っと、あの……。何が、って言われたら正直わからんけど、叶依のことはずっと好きやった。俺の彼女に、なって。……ください」

 俺はちゃんと、叶依のほうを見て言った。既に手を繋がれているのでふられる予感はしなかったが、それでも返事をもらうまでは緊張が解けなかった。顔が耳まで赤くなっているのは、鏡を見なくてもわかった。

 叶依が笑うのと握られた手の力が強くなるのは、ほぼ同時だった。

「はは、伸尋って、面白い」

「……おもしろい?」

「うん。だって、得意なことしてるときと今と、全然違うんやもん」

 叶依は身体を揺らしながら笑っていた。俺は少し苛立ったが、叶依が手を離さないので怒るのはやめた。それに叶依が言っているのは、本当のことだ。

「私、歌詞が伸尋への手紙になってるって、全然気づいてなかった。自分がこんなんやから、年上が良い、ってずっと思ってたけど……」

 始業式の日の朝から、叶依も俺のことを気にしていた。共通点が多いせいか、興味だけはずっと持っていた。球技大会で倒れたときも、ギターの練習に行きはしたが、俺のことが心配で仕方がなかった。俺と出会ってからのことを、叶依は全部話してくれた。

「自覚なかったけど、私も伸尋が好きやったんかも」

「……かも? そんだけ気にしてたんやったら、絶対そうやろ?」

 いつの間にかスイッチが入ったようで、俺は叶依をじっと見つめていた。いつもなら逃げたくなっているが、今日は逆だった。握られていた手を離して握り返し、もう一度聞いた。

「俺の彼女になってくれる? ……なるよな? ……なってください」

「ははは、どれがほんまのキャラなん? なるよ、そんな何回も言わんでも」

 それから俺はようやく安心して、座っている叶依との距離を少し詰めた。本当はこのまま抱きしめてしまいたかったが、他の生徒が近くを通るのでさすがにそれはやめた。

 叶依は兄貴と、どう過ごしたのだろうか。それよりも、これから叶依を守るのは俺だと、ぎゅっと手を握る。わかっているのかいないのか、叶依が見上げてくる。叶依が可愛いのはわかっていたが、それは俺のハートのど真ん中に刺さる──。

「伸尋? 大丈夫?」

「あ──うん。帰るか、明日は早いし」

 俺は叶依と手をつないだまま、寮の前まで送った。見えなくなるまで手を振って、しばらく待っていると、叶依は窓から顔を出してくれた。

 俺より幸せな奴は、この世にいないんじゃないかと思った。

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