第10話 複雑な関係
それから約二ヶ月の間、俺は叶依と話をしなかった。したくなかったのではなく、何を話して良いのかわからなかった。彼女のことを嫌いになったわけではないし、むしろ以前より好きな気持ちは強くなっていた。JBLとの契約が決まったのもあって、デビュー前の叶依のことも理解できるようになった。
それでも俺は、叶依に近付くことも、連絡をすることもできなかった。史の家を飛び出したのもあって、余計に話し辛い。叶依が学校に来た日は出来るだけ長く彼女を見ていたが、恋人がいることが気になって、声をかけることは出来なかった。相手が葉緒海輝だということは史と海帆しか知らないようで、叶依が音楽室でOCEAN TREEの曲を演奏していても、誰も何も気にしていなかった。
叶依は一見、今までと同じように元気に過ごしていた。しかし、仕事で学校を休むことが増えて、早退したり午後から登校したりすることもあって、体力は限界を迎えていたはずだ。学校の文化祭でギター演奏の依頼があったそうで、それは最初、文化委員の史が叶依のことを想って断った。最終的に叶依は出演することに決めていたが、叶依から笑顔が消えた、と史が言っていた。
文化祭での叶依の演奏はその時間まで秘密だったが、俺は史から教えてもらっていた。会場には少し前に入って、他のクラスの催しを友人たちと見ていた。ちなみに海帆も近くに座っていたが、文化委員の史は舞台袖にいる。
叶依が舞台に登場すると、やはり会場からは拍手が沸いていた。叶依は少し笑っていたが、疲れているのはすぐに分かった。舞台中央で一曲演奏したあと、司会が叶依にマイクを向けた。
「いま、弾いていただいた、ウオタギラ、これ……もうすぐ発売になるらしいんですが、どういう意味なんですか?」
「これはあのー……ありがとう、なんですよ。ありがとうって、ローマ字で書いて逆から読んだらウオタギラってなるじゃないですか」
「あー、なりますね。でも、どうして『ありがとう』なんですか?」
「──夏に、ひとりで北海道に行ったんですけど、そのときにすごく良くしてくれた人たちがいて、その人たちに、ありがとう、という意味で作りました」
叶依が北海道に行ったとき、OCEAN TREEに会ったのは本当に偶然だったらしい。彼らは叶依が何の計画も立てず、宿も決めずに来ていると聞いて、海輝の実家に泊まることを提案した。もう一人のメンバー・
事態が動いたのは、それから一週間後の夜だった。OCEAN TREEのラジオの収録に叶依がついて行き、しかし、叶依はブースには入らず、コントロールルームで聴いていた。俺は特にOCEAN TREEのファンではなかったが、叶依とCD交換をしたと聞いてから少し気になって、ラジオも聞くようになっていた。
海輝はその日、誕生日に可愛い子に会った、と嬉しそうに話していた。本当に嬉しそうに話すので、俺も覚えていた。それがまさか叶依だったとは──、事実を知ったのは二学期始業式の日、史の家に行ったときだ。叶依は当時、気持ちに余裕があったのか海輝が言いたいことにはすぐに気付いたようで、ラジオが終わるのを待たず、ADに連れて帰ってもらったらしい。翌朝、叶依が借りていた部屋に海輝が現れて、発言のお詫びと交際申し込みをされたと聞いた。ちなみに史の部屋で見たオルゴールは、そのときに貰ったらしい。曲はOCEAN TREEの人気曲、『seal』。意味は『封印』と『アザラシ』の二つがあるが、どちらとは誰も教えてくれていない。
俺が史から聞いたことを思い出している間に、叶依が会場からの質問に答えるコーナーが始まっていた。
「そんな、すごい若咲さんですが、一番多かった質問……OCEAN TREEにライバル意識はありますか? あるもんですか?」
予想外の質問だったようで、叶依は少し答えに困っていた。
「そういうことは、ないです。事務所同じなんで……先輩やし、ライバルって……そんなこと言ったら怒られます」
「怒りますよ」
司会とは違う人物の声が聞こえ、会場はざわついた。しかし、舞台にはもちろん、客席にも誰の気配もない。
「今まで一緒に仕事してきて、ライバルとか言ったらもう……怒るしかないでしょ。まぁ、言わないと思うけど」
声は舞台袖から聞こえているようで、上手から現れた人物を見て叶依は慌てていた。叶依は声でわかっていただろうか──最初の時点で口を押さえていた──、現れたのは、OCEAN TREEの葉緒海輝だった。彼がここに来ることを叶依は知らなかったようで、もちろん、司会も客席も混乱していた。
「ちょっと、なんで、あの、え? 今日……なに?」
「あのー、仕事の話があって家に行ったんだけど、いなくて、ここにいる、って聞いたから」
予想外の出来事に混乱しながらも、叶依は海輝とは仲良く話していた。先輩後輩のようには見えず、出会って間もない妙な距離もなく、ものすごく自然な雰囲気だった。本当ならば俺が叶依と──と海輝を凝視したが、隣に来ていた海帆に小突かれてやめた。
それから舞台では、叶依の曲の話になった。ありがとう、と伝えたい相手は海輝の家族だと、叶依は打ち明けた。
「私を育ててくれた人は近くにいるけど、家族っていうのがピンと来てなくて……それを教えてくれたから。この人は、お兄ちゃんみたいな存在。ね?」
「ね、って、まぁ、そうかな。いずれ、僕の妹になるかな?」
ちょっと待て、この二人は付き合っているんじゃなかったか? 思わず「え?」と声に出たが、会場のざわめきに消えた。兄? 妹? 意味がわからない。
叶依と海輝もお互いに話が合っているのか疑問があったようで、他の誰にもわからないであろうキーワードで何かを確認していた。どうやら二人は、別々に同じことを考えていて、まだきちんと話はしていなかったらしい。
「詳しいことはね、もう少しあとでちゃんと言いますので……そうだ、十二月にこの子にラジオに出てもらうことが決定してるので、そのときに言おうと思います。気になる方は、ぜひ聞いて」
「聞いてくださーい」
突然、恒海冬樹が現れて、しかし会場がざわめくのを無視して話は続けられた。
「本当にあの、面白いんで聞いてください。スペシャルゲストも登場しますので」
「えっ、誰?」
スペシャルゲストの存在を、叶依は知らなかったらしい。
「絶対知ってるよ。音楽とはあまり関係のない道を行ってる人だけど」
「事の発端は四月だね」
「四月? でも、まだ私デビューしてないやん」
叶依が悩んでいるのをよそにOCEAN TREEは一旦舞台から消えて、しばらくしてからギターを持って再び現れた。アザラシが静かに泳ぎ始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます