第8話 変調する歯車

 叶依が弾くギターは、本当に上手いと思う。もちろん歌声も心地よくて、デビュー後は一気に人気が出るはずだ。俺とは違う世界に行ってしまうのは寂しいが、同時にそんな人が身近にいるのは嬉しかった。

 サマーコンサートのあと、俺は友人たちと一緒に叶依の楽屋を訪ねていた。クラブの楽屋とは別に用意されていて、海帆も──コーラス部の副部長だがクラブを抜け出して、叶依のほうに来ていた。

 叶依の楽屋にはテレビがあって、さきほどの演奏のビデオが上映されていた。いま流れている曲は『フィールド』、サブタイトルに俺の名前がついた、あの曲だ。

「これさぁ、叶依、いつ作った?」

「え? いつって?」

「昨日さぁ、もう曲は出来てるみたいに言ってたけど、歌詞……いつ書いた? ボールとかコートとか出てきてるやん。これ……」

「バレたか……。曲自体はずっと前からあってんけど、昨日、歌詞変えてん」

 昨日の今日で出来あがったことは、最初に聴いたときにわかった。歌詞に出てくる言葉がどれも、昨日の球技大会での俺の様子だった。それにしても一晩で歌詞を作って覚えるのは、本当にすごいと思う。

 ドアのほうからノックの音がして、コーラス部顧問の知原が顔をのぞかせた。叶依を訪ねてきた人がいるそうで、その人を楽屋に通した。

「大川さん……お久しぶりです」

 大川緑は、叶依をスカウトした人だった。史は『大川=叶依を困らせる人』というイメージがあるようで、しばらくの間、眉間にしわを寄せていた。叶依も大川に出会った頃はそうだったが、デビューを決めてからは信頼しているらしい。

「今日はあなたにプレゼントがあるの」

 大川はそう言って、叶依に一枚のCDを渡した。叶依の顔色が変わるのを俺は見逃さなかった。

「こ、これ、OCEAN TREEの……明日、ライブ会場限定で発売の」

 俺にはCDのジャケットは見えなかったが、叶依が言うのを聞いてから、顔色が変わったのを納得した。叶依がOCEAN TREEのファンだとは、出会った頃に教えてもらっていた。

「ええ、そう。彼らもうちと契約してるんだけど……あなたにプレゼントしようってことになったの」

「OCEAN TREEがなんで私なんかに……?」

 OCEAN TREEは今春デビューしたギターデュオで、歌は入れずにギターだけという珍しいユニットだった。それでも出す曲はすべてヒットして、ラジオやテレビで見ない日はないくらいだった。その彼らが、だ。叶依は嬉しそうにしているが、接点はわからないらしい。

「私ね、あなたと初めて会った日、確かアマチュアコンテストか何かの日で、それがラジオで生中継されてたのよ。で、彼らはそれを聴いてたらしくて、私があなたに会ったって言ったら、ぜひとも会いたいって言われて。今日はまだ忙しくて来れなかったんだけど、CDだけでも渡しといてくれって言われたの」

 数日後、叶依はコンサートで演奏した二曲を含むアルバムを出した。それはもちろん、挨拶代わりにOCEAN TREEにプレゼントされたらしい。

 間もなく始まったOCEAN TREEがパーソナリティを勤める全国ネットのラジオ番組で、彼らはそれをピックアップして毎回かけていた。おかげで叶依のデビューアルバム『balloon』は、何週間か連続で売上ランキング一位をとっていた。


 夏休みに入って一日目、俺は地元バスケチームで試合に出かけていた。これは山野とは関係ない、もっと小さいチームだ。

 史や海帆、それから叶依も用事はないそうで、揃って応援に来てくれていた。それは嬉しかったし、俺も良いところを見せようと頑張って、シュートが決まった時は思わず叶依が座るほうを見た。それでも相手が強かったのか、俺のチームが弱かったのか、それとも、俺を見に来ていた山野が気になったのか、思うように身体は動かず、結果は良くなかった。点数を見れば勝ってはいるが、俺の中ではダメな試合だった。

「でも、良いやん。結果良かってんから。格好良かったで」

 試合のあと、叶依がひとりで話しに来てくれた。最後の一言で俺の心臓が爆発しそうだったのを、叶依は知っていたのだろうか。それから俺の汗を気にせずに背中を叩いてくれたことも、帰り際に微笑んでくれたことも、全てが次への力になったことを叶依は知っていたのだろうか。

 それでも俺はまだ、叶依には何も言えないままだった。だから叶依は余計、OCEAN TREEと会える日を楽しみにするようになった。俺の試合を見た帰り、マネージャーと大川に会って、会う日が決まったと報告を受けたらしい。史が電話をかけてきて、経緯を教えてくれた。

 ──ヤバいで。

「何が?」

 ──何がって、叶依はあいつらのファンなんやで。あいつらも、CDくれるくらいやから気に入ったんやろ? どっちかと付き合うことになったらどうする?

「そんな、叶依に限って……。それに、会うの決まったって十二月やろ? まだまだやん」

 ──おまえなぁ、ほんま……何つーか……。なぁ、もう叶依に言えよ。すっきりするで。叶依には海帆が言ってたし。

「え? 何を? 何言ったん?」

 ──何って、おまえが叶依のこと好きやって。

「嘘やろ……。で、叶依……何て?」

 ──別に何も。おまえのこと好きにはなってない、て言うとったけど。そのあとやで、叶依がおまえと話したの。

 好きではないということは、恋愛対象ではないということで、OCEAN TREEのファンということは、好きということだ。OCEAN TREEは年上なので、叶依はきっと頼りにするだろう。もしも叶依が俺ではなく、OCEAN TREEのどちらかを選んだら──?

 史との電話を終えてから、俺は大きな溜め息をついた。そして無意識に拳で壁を叩いたその音は階下にいる祖父母にも聞こえたらしく、祖母が何事かと部屋までやってきた。もちろん、俺は何でもないと笑ったが、俺が叶依と出会い、その関係で躓いていることを、祖父母はどこかで理解していたらしい。

 一つ屋根の下で暮らしている祖父母とは血の繋がりがないことを、俺はまだ知らなかった。

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