第7話 難しい問題
放課後の教室はいつもより賑やかだったが、居心地は悪かった。球技大会はドッヂボールで優勝したらしく、他のクラスの奴らに自慢しているクラスメイトがいた。しかし、それは俺の異常な行動のせいで──、普通ではないと感じた生徒もいて、俺の様子を遠巻きに見ていた。
保健室を出ると、史はそのままクラブへ行ってしまった。教室の前で出会った采も、史と同じサッカー部へ飛んでいった。俺もクラブに行く予定だったが、先生に禁止されてしまった。
「あっ、伸尋ー、もう大丈夫なん?」
その声に顔を上げると、叶依が教室の入り口から俺のほうを見ていた。俺が元気なのを確認すると、そのまま自分の席に向かった。テストの時のままなので、俺の前だ。
「急に倒れたからビックリした……。あれ、みんなクラブ? 良かった、伸尋がいて」
「俺が何かあんの?」
特に用事はないにしても、叶依に会えたことは俺も嬉しかった。しかし叶依にはまだ気持ちを伝えていないから、なるべく表情を崩さないように聞いた。
「え? ああ、ううん、教室に誰もいなかったら寂しいから……。それよりさぁ、明日あいてる?」
「明日? あ、史に聞いたで。前は拒否してたのに、決めたんやな」
俺が山野と会うのを拒否し続けていたように、叶依もZippin’ Soundsとの契約をずっと避けていた。それでも諦めずに叶依を追い続けるスカウトに根負けしたのと、叶依自身も本当にこのまま何もしなくていいのか悩んでいたらしい。
「確かに叶依は上手いけど、いきなりアルバムってすごいよなー。何て曲やるん?」
「明日のお楽しみ……やけど、まぁいいか。二つやるんやけど一個はインストで『summer night』、もう一個が──」
叶依はふと、俺のほうを見た。見つめられるのは嬉しいが、慣れていないので困る──。
「サブタイトルに『NOBUHIRO』ってつけていい?」
「え? 俺?」
「さっき練習してて、曲のイメージが今日の伸尋にぴったりやったから」
「……いいけど、別に」
嬉しいのか恥ずかしいのか、よくわからない感情がこみあげた。
叶依は俺とは仲良くしてくれているが、どう思っているのかは正直わからない。もちろん、ただの友達ではないと信じているが、恋人になれる自信は俺にはまだなかった。それでも叶依の曲に名前を使ってもらえることは、大きな一歩だと思う。
「叶依ってさ」
「ん?」
叶依は帰り仕度をしながら、振り返らずに返事をした。
「全然、能天気ちゃうよな」
「え?」
「自己紹介のとき言ってたやん。でも、俺にはそんな風に見えんかったで。叶依さ、自分に責任かかることしてるとき、真剣やもん。そんな奴、他にもおるけど、叶依はほんまに一生懸命なんやなって、思う」
俺が話している間、叶依は振り返って俺を見つめていた。割と恥ずかしかったが、それでも叶依にはちゃんと伝えたかったので俺は目を逸らさなかった。叶依は俺の話を聞いている間も、言葉の真実味を確かめようとするのか、少し表情を変えていた。
「そんな……。伸尋だって、すごいやん」
視線を外したのは、叶依が先だった。
「やっぱり、俺ら似てんかな?」
「ははは。実は従兄妹やったりして」
叶依が照れているのを、久しぶりに見た。俺とは違って自分に自信を持っている叶依はいつも強気に振舞っているが、ギターがなければ他の女子と同じだ。本当は誰かに支えられて、甘えたいはずだ。それなら心に余裕ができて、俺の気持ちにも気付いたかもしれない。そして俺も、素直に言えたかもしれない。
窓から差し込む夕陽に背中を押されるように、俺は叶依を誘って学校を出た。
叶依とは家は逆方向になるが、一緒にいたいのもあって叶依を寮まで送ることにした。もちろん、タイミングが合えば叶依に告白しようと思った──しかし、それは難しい問題だった。叶依はやはり俺の気持ちには気付いていないようで、友人としての会話になってしまう。
「伸尋って、お爺ちゃんとお婆ちゃんに育てられたんやんなぁ?」
「うん。親の顔は記憶にないな……。お父さんはすごい人やったって聞いたけど。スポーツ万能やったって」
「へぇ。伸尋がすごいから、もっと凄かったんやろうなぁ」
「俺なんか──そのときだけやし。終わったらあかんから。さっき見てたやろ? 前にもあんなことあって……試合中は使えるけど終わったら死んでるぞって、言われた」
俺はあのときボールを投げてから、それを自分で受けたように意識を失った。実際ボールは相手のほうへ飛んでいき、相手はギリギリで避けることに成功したらしい。ボールはコートを通りこして、バレー用のネットに当たって止まった。
「でも、良いやん。そんな力受け継いで。家族もいるし。羨ましい」
叶依を育ててくれたのは寮母の須崎綾子で、彼女は夫を早くに亡くしたらしい。綾子以外に頼れる大人は、叶依にはいない。
「家族欲しいなぁ。いるんかな?」
「いるって、絶対。俺が言うんやから間違いない」
「その自信はどっから出てくんの?」
叶依は少し悲しそうに笑い、近くの桜の樹に駆け寄り、そっと片手を当てた。
「この樹が私を知ってる。小さい時からずっと。よく登って遊んだなぁ。登ったのは良いけど降りられんようになって……。春になったら花咲いて、夏になったら緑になって、秋になったら紅くなって、冬になったら枯れる。その繰り返し。でも樹はずっとここに立ってる。この樹が私を知ってるから──それで良い」
「樹か。人じゃなくて」
「うん。人はどこにでもいるし、動こうと思えば動ける。忘れようと思えば忘れられる。でも樹は……どんなことでも覚えてる。自分では動かれへん。だから樹が良い」
「覚えてても教えてくれんやろ」
「……いいの。知っててくれればいい。私、子供の時の記憶はあんまりないけど、この樹はたぶん知ってる。私がここで遊んだことも、ずっと前から高校に行ってたことも。これから何があるかも、たぶんこの樹はずっと覚えてる」
叶依が言うことを、俺は黙って聞いていた。聞いて、理解しようとしているのか、音として耳に入れているだけなのか、よくわからなかった。ただ、意味はよくわからないが、叶依が言っていることは正しい気がした。
そのまま叶依は寮に向かって歩き出し、俺はもう少しだけ樹を見ていた。樹はもちろん何も言わないで、ただ高いところから街を見ているだけだ。
俺もこの街で育ったが、この樹のことは知らなかった。叶依はこの樹で遊んだ。叶依の言う通り、樹もそのことを記憶しているだろう。しかし俺は、何も知らない。出来ることは想像すること。この樹のように、強くなること──。
一呼吸置いてから、俺は叶依を追った。叶依はもうすぐ寮の入口にたどり着きそうで、俺はその距離を走って詰めた。少しだけ振り向いた叶依の横顔は、何かを諦めているように見えた。
「ごめん、暗い話して……。送ってくれてありがとう」
「いや、いいよ。俺で良かったら、いつでも聞くから」
「うん……ありがとう。それじゃ、また明日」
叶依は俺に手を振ってから、向きを変えて寮のほうへ向かう。
「あっ、叶依、あのさ──」
「ん? なに?」
俺は叶依に告白しようと思った──しかし、やはり無理だった。
「いや……、なんでもない」
「何よー。気になるやん」
「いいから──ほんま。明日、頑張れよ」
「うん……ほんまに良いん? 中入るで?」
「いいから、うん。頑張れ」
一番言いたかった言葉は、喉につかえて出てきてくれなかった。いつの間にか史と海帆が付き合いはじめたことも話したかったが、それも言えなかった。二人から話は聞いていないが、何となく今までと雰囲気が違っていた。史はおそらく、俺の気持ちを知って叶依を諦めた。そのことは海帆も分かっているはずだ。
俺──本当に、情けない。
その夜、史から電話があって、叶依とのことを話すと「アホか」と怒られた。勉強と運動神経は自信があるが、それ以外はまるでダメだった。分かっているのに変えられない、変えられないでチャンスを逃す。そんな自分が嫌いだった。
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