第5話 父からの遺伝

 叶依には何も言えないまま、数カ月が過ぎた。

 教室では普通に話しているし、LINEをしても必ず返事をくれる。俺と叶依の関係を聞きたがる声は下火になって、俺も叶依と緊張せずに話せるようになった。俺が勉強が得意なのもあって、叶依が質問してくることも増えた。もともと勉強が嫌いな上に復習時間が取れない分、テストで平均点を取るのが精いっぱいらしい。

「次のホームルームで決めるから、考えといて」

 と担任が言ったのは、学期末に行われる球技大会の出場競技のことだ。

 男女別のクラス対抗で行われるそれは、俺が一番楽しみにしている学校行事だった。なぜなら、競技は三種類あって、バスケットボールが含まれているからだ。去年も俺はバスケで参加して、しかし残念ながらクラスの結果は準優勝だった。一年経った今年こそは、優勝してやりたい。

「あと──、分かってると思いますが、球技大会の前には期末試験ありますので、勉強もするように」

 教室のあちこちから落胆の声と溜息が聞こえ、それは俺も例外ではなかった。勉強は得意なほうではあるが、別に好きではない。大学の専門知識ならともかく高校の勉強が将来役立つことは少ないし、大学受験を終えた瞬間に全部忘れそうだ。

 それでも少しだけ試験期間が楽しみなのは、席替えで離れてしまった叶依がまた、俺の前に戻ってくるからだ。席が離れた上に最近は事情で学校を休むことも増えて、叶依との接触は少し減っていた。LINEを送れば必ず返事は来ていたが、出来るなら本人と会って話したい。

 試験初日の朝、叶依は登校時刻ギリギリに教室に現れた。いつものような元気はなく、ものすごく眠そうだ。

「もしかして、徹夜したん?」

「徹夜はしてないけど、二時くらいまで勉強してて……眠い……」

 叶依は机に荷物を掛けると、そのまま伏せてしまった。クラスメイト達は最後の詰め込みをしているが、叶依を起こすのは可哀想だと思った。叶依は自分で成績が悪いと言うが、俺は特にそうは思わなかった。確かに理数系科目は苦戦していたが、総合的には上位だと思う。授業中の先生からの質問にもわりと正解しているし、苦手な数学も基本の公式は理解できていた。難しいことは分からなくても叶依の人生に影響はないから全く問題ない。と思うのは、好きの延長なのだろうか。

 数日後の試験最終日、クラスの奴らにようやく笑顔が戻った。試験期間中はまるで別人だった叶依の表情も、終わった瞬間に元に戻っていた。俺はそれを見ていたいが、今日は久々の部活の日でもある。なまった体を動かして、明日の球技大会に備えなければいけない。

「おまえさぁ、明日の対戦相手、聞いたか?」

 声を掛けてきた史は、テストのことは聞くな、と顔に書いていた。史も成績は悪くはないが、終わった瞬間に、ヤマが外れた、と言っている声が聞こえた。

「うん。七組やろ?」

「そんな、七組やろって言ってるけど、めっちゃ強豪やで」

「らしいな」

 強い相手と戦えるなら、なおさら楽しみだ。

「らしいなっておまえ、自信満々やん」

「任しとけって。強豪っつったって、範池ぱんちが言ってるだけやろ? それに七組って、あんまり強いとか聞いたことないし、俺に勝てるわけないって」

 そんなことがさらっと口から出たのは、目の前に叶依がいたからかもしれない。範池は「クラスには運動神経の良い奴が多い」と言っているが、俺と史を前にどうなるか。七組と対決するのはバスケなので、勝つ気しかしない。

 ちなみに範池葉亜真ぱあまは七組の担任で、俺のクラスは十組。

「伸尋、やっぱりバスケ出るん?」

 聞いたのは海帆だった。

「俺がバスケ出んと何出るんって話やん? まぁ、全部出るけどさ」

「全部? 全部って……バスケとバレーとドッヂ?」

「おう。ちゃんと見とけよ」

 今度こそ話しかけてくれた叶依にバッチリ笑顔を返し、「じゃ」と軽く片手を上げてから俺は部活へ飛んでいった。バスケは最初から選手に希望して、バレーとドッヂは補欠に名前を書いた。叶依に注目してもらえるのは、多いほうが良い。


 二年七組の担任は、俺のことをあまり知らないのだろうか。

 そんなことはないと思うが、七組とのバスケの試合は、俺のクラスの圧勝だった。確かに相手チームには運動神経が良い選手が集まっていたが、バスケに関してはまだまだだと思う。上を目指して頑張るのは良いことだが、仮にもスカウトされている俺に勝てると信じていたのはすごい。

 本来ならばバスケだけ出場の予定だったが、欠席者がいたためにバレーとドッヂも出ることになった。俺はバスケ部に入っているがバレーも得意なほうで、相手チームが三年生でも怯むことはなかった。残念ながら叶依がどこにいるのかはわからなかったが、どこかできっと見ていてくれたはずだ。

「あんなん朝飯前やで」

 昼休みの教室で、クラスメイト──特に女子たちの間では俺の活躍が話題になっていた。女子たちも同じ三種目で戦っているが、早くにすべて敗退したらしい。

 俺は史やさいと机を並べて、祖母が作ってくれた弁当を食べていた。采は他のクラスだが、昼休みはよく弁当を持って十組にやってくる。ちなみに奴は俺以上に成績優秀で、入試もトップの成績だったという噂だ。サッカー部に入っていて、史を通して友人になった。

「おまえ、なんでそんな体力あるん? どこで鍛えてんのか教えてくれよ」

「別に何も鍛えてないで。クラブ行ってバスケやって、家帰って飯食って、風呂入って寝るだけ」

 言ってから俺は弁当の卵焼きを口に放り込んだ。弁当と言えば卵焼き、隣のおかずの色が若干移ってしまっているが、ダシが効いてて美味い。

「おまえのおっちゃんって、どんな人やったっけ?」

「俺、小さい頃から爺ちゃんと婆ちゃんに育てられたからお父さん見たことないけど、すごい人やったって聞いたで」

 本当に、両親の記憶は綺麗なほどにない。子供の頃に祖父に聞くと、スポーツ万能で負けず嫌いだった、と言っていた。俺にはそれが遺伝したらしい。

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