第4話 祖父の失言

 翌朝、いつもより少しだけ髪型をキメて登校すると、既に叶依は海帆と一緒だった。俺の席とは遠く離れた場所にいたので話しかけるのはやめて、とりあえず荷物を机の中に入れた。さっそく授業が始まるので、少しだけ憂鬱だ。

「おっす伸尋、昨日ほんまにお爺ちゃんの手伝いしてたんやな」

「見に来たん?」

 俺より少し遅れて登校してきた史は、机に鞄を掛けるとすぐに叶依と海帆を呼んだ。叶依は海帆との会話をやめて、史に挨拶すると、なぜか続けてお礼も言っていた。何のお礼かは、敢えて聞いていない。

「あっ、伸尋おはよう!」

「……おはよう」

 俺に話しかけてきたのは、いつの間にか自分の席に戻った叶依だった。相変わらず可愛くて、見つめてしまいたいのを我慢して話題はないかと少し目を逸らした。

「史に聞いたんやけどさぁ、伸尋ってお爺ちゃんとお婆ちゃんと暮らしてんの?」

「あ──うん。あんまり両親の記憶はないな」

「ふぅん。ほんまに、私と似てるなぁ」

 どういうこと? と聞こうとすると、隣に立っていた史が説明してくれた。叶依も幼い頃から両親とは離れて暮らしていて、この高校の寮母に育てられ、今は寮で一人暮らしをしているらしい。

「寮母さんは一緒に住んで良いって言ってくれてたけど、ライブとかで帰り遅くなることもあるし、ひとり暮らしもしてみたかったし……」

 叶依のギターは本当に上手くて、スカウトしに来る芸能事務所も少なくないと聞いた。クラブで大会に出たときは俺も叶依も個人賞をもらうことがあるし、本当に共通点が多くて嬉しいようで焦る。

 叶依とは思った以上にすぐに仲良くなれて良かったが、関係を聞きたがる声がいくつもあがっていた。本当に偶然で、あり得ない話ではない。しかし、ここまで共通点が多い二人が仲良くなるのは珍しいだろう。

 俺と叶依が特に関わらなければ、気にする人は少なかったかもしれない。

 もちろん、気にしたところで血縁関係は絶対にあり得ないので、返事も変わらない。俺と叶依は別々の家庭で生まれ育ち、俺が叶依に片想い中、叶依はまだ俺の気持ちを知らない、それだけだ。

 その日のうちに俺は叶依の連絡先を入手することに成功し、ひとり心の中でガッツポーズをした。もちろん、海帆の連絡先も聞いた。今まで自分から女子に連絡したことはなかったが、この二人にはときどきしようと思った。

 一日、叶依を観察してわかったことは、理系科目が苦手ということだ。文系の国語や英語は一生懸命聞いていたが、理系、特に担任の数学の時間は何度も頭を抱えていた。勉強の好き嫌いは先生にもよると言うが、俺にはそれは当てはまらなかった。しかし目の前の叶依には、大いに当てはまっていたらしい。今日の授業にはなかったが、叶依はもちろん、音楽の授業が大好きで成績も良いと聞いた。それは子供の頃から教師の知原百合子と関わっていて、怒られたことは一度もないかららしい。

 叶依が担任を嫌っているのには、他にも理由があった。俺が最初に気になった、髪色の問題だ。田礼は去年も叶依の担任で、何度も黒くするように注意したらしい。それでも叶依は校則には従わず、茶髪のままワカナとして活動していた。もちろん、他の先生たちも注意していたが、叶依に人気が出てきてからは注意するのをやめた。それでも一応、担任だからか、田礼だけはいつまでも、叶依に注意をし続けているらしい。


 友人たちがクラブに行くのを見送ってから、俺は一人で帰宅した。クラブはある日なので本当は行きたかったが、昨日電話があった山野が家に来ることになっていた。

 俺が帰宅すると、既に山野は居間に通されていた。俺は着替えず制服のまま、彼の前に座った。一人では不安だったので、祖父母にも同席してもらった。

「俺が入ったとしても、試合に要請されても、絶対出れるっていう保証はないです。学校を優先させたいし、これだけでずっとやってくつもりもないし」

「今はまだ高校生だから、それは認めます。ただ本当に──、うちに来てほしい。私も若い頃は選手として戦っていて、強い相手もたくさんいました。君はその誰よりも上だと、私は信じている」

 会長と話した三十分の間に、俺は結論を出さなかった。出ていなかったのではなく、もう少しだけ考えてみたくなった。

 夕飯の席で、やはり祖父にその質問をされた。

「おまえ、どうするんや?」

「俺──一応、やるつもりで考えてる」

「え? ほんまか? 大丈夫なんか?」

「うん……会長も、学校優先させてくれるって言ってたし、俺も、強くなりたいし。クラスに、芸能事務所からスカウトされてる子がいてさ」

「女の子か?」

「……うん。芸能っていうか音楽やけど。その子は拒否してるけど、ほんまに上手いし、ひとりで活動してるし、おまけに一人暮らしやのに、いつも元気やし……。俺も頑張ろうかと思って」

「相当可愛いんやな、その子。そうか、やっと出会えたか、楽しみやな」

 確かに叶依は可愛いが、俺は祖父の話は適当に聞き流した。叶依はZippin’ Soundsからスカウトされていて、始業式の日も寮の前で待たれていたと聞いた。今朝、叶依が史にお礼を言ったのは、捕まって困っているところを見つけて連れ出してくれたかららしい。俺が祖父の手伝いをした少しあとの出来事だと聞いた。

 そんな叶依の相手をするのは覚悟がいるぞ、というのが、昨日のLINEだった。叶依がどんな人を好きなのかは俺も史も知らないが、とりあえず頼れる男だろう、という結論を出した。今の俺には、頼れるところはない。どちらかというと、叶依より知名度は劣る。だから、少しでも叶依に並ぶために、俺は山野の誘いを受けようと思った。

 俺はそんなことを考えながら食事をしていたから、祖父の失言には全く気がつかなかった。もちろん、祖父母がそろって安心していたことも、それが何に対してだったのかも、俺がそのとき気付く由はなかった。

 そして、叶依が俺の気持ちに気付かなかった理由の一つ、忙しすぎると人の気持ちに鈍感になることも、当時の俺は気付いていなかった。もしそれに気付いていたら、叶依の負担を減らしてあげることができただろうか。形よりも本能で、誰よりも大切だと伝えることができただろうか。それとも、誰も知らなかった事実──叶依には既に好きな人がいたことが影響して、クラスメイトの誰も叶依の彼氏になることは出来なかっただろうか。

 俺はベッドに横になり、スマートホンを操作してLINEで叶依とのトーク画面を作った。何を送って良いのか分からず、最初なのもあって適当に挨拶のスタンプを送った。しばらくしてから既読になって、同じようなスタンプが返って来た。

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