第3話 決意の理由

 史が叶依と出会ったのは、一年前の入学式らしい。偶然、式場での席が隣になって、しかしそのとき、史は叶依とは気付かず、話をしたのは翌日だった。叶依と海帆が話している近くに史がいて、話しかけたらしい。

 叶依がよく歌を歌っていた広場は、コンビニの前だった。史はよく行く場所なのもあって入学前からそのコンビニでバイトをしていて、叶依もよくライブ帰りに利用していた。二人が話すことは全くなかったが、史はいつも気にしていたらしい。

 俺と同じように史も、叶依を好きになってしまったらしい。

 もちろん、俺みたいに逃げたりせず、もちろん緊張することもなく、正面から叶依に近付いた。友人・鷲田采と海帆も一緒に、遊びにも誘った。しかし──、二人が付き合う話にはならなかったらしい。

「あのとき、おまえも誘ったんやけどな。クラブとかで来んかったやろ」

「あー……あのときか」

 史に遊びに誘われて、クラブがあるからと断った記憶はある。あの日もし断っていなかったら今頃は叶依と仲良くしていたか──、と悔やんでしまうが、今さらもう遅い。

「俺、ほんまは、海帆も好きやってさ……。あいつらも、一緒で──。それから一ヶ月くらいして、叶依は駅ビルに行かんようになった」

 そこに行くとコンビニがあるから歌に集中出来ないのだろう、と史は言った。大学のイベントに呼ばれることもその頃増えたらしいが、本当の理由が何かはわからない。それでも叶依も海帆も、今まで通り史とは仲良くした。それはそれで嬉しいと、史は笑っていた。

「優しいよなぁ。ふられたら喋ってもくれんようになる人もいるらしいけど。今年も同じクラスになれたし、チャンスあるんかな」

 史が喜んでいる隣で、俺は何も言葉に出なかった。ただ笑えずに顔が引きつって、眉間にしわが寄っていくのを感じた。

「あー、でも、安心して。譲るから」

「はい? 何を?」

 何かはわかっているからか、俺の目つきは悪くなっただろう。

「あっ、もう一時半や、はよ帰ろ」

 史は歩くのをやめて自転車に乗った。既に正門にたどり着いていたので、そのまま漕ぎだした。

「おい史、待てよ、待てって──」

 俺が走りながら史を追うと、

「反対やで、叶依の家、あっち。行くなら」

「は? 何……」

「あっ、叶依、出てきた。待ってたら来るで」

 思わず玄関のほうを見ると、友人たちと歩いている叶依の姿があった。本当はこのまま待って、声をかけて、一緒に帰りたいが──。

「俺、じーちゃんの手伝いあるし」

 じゃあな、と史に言ってから、俺は家に向かって走り出した。

 本当に、帰宅してから祖父に手伝いを頼まれていたからだ。


 帰宅して昼食をとってから、俺は庭で祖父の手伝いをした。庭仕事はずっと祖父母がしていたが、そろそろ力が落ちてきたので俺の助けが必要になったらしい。

 もともと両親とは離れて暮らしていたので、祖父母との生活に違和感はなかった。幼稚園の遠足に付いてきてくれたのも、宿題を教えてもらったのも、毎日の弁当を作ってくれるのも、すべてが祖父母だった。だから祖父母というよりも、両親と思ってずっと接してきた。

「伸尋、新しいクラスは良さそうか?」

「あー……うん。友達も同じクラスになったし、大丈夫」

「そうか、それは良かったな。女の子は?」

「え?」

 今まで祖父母には、女の子の話をしたことはない。クラスの奴が、というのはあっても、友達としてだとか、彼女ができてとか、そういう話は皆無だった。もちろん、出来たとしても家に連れて来るまでは話すつもりはないが──、気のせいだろうか、祖父母は今年になってから、そんな話をしてくることが増えた。

「友達も多いみたいやのに、女の子の話は聞いたことないからな。そろそろしても良いんとちがうか? もう高校二年やろう、彼女くらい作れよ」

 そう簡単に言われても、と呟きながら、俺は大きい植木鉢を持ち上げた。祖父に言われた場所に移動させて、パンパン、と手についた土を払った。

「ここで良い?」

「うん、ありがとう。助かったわ」

 またいつでも手伝うよ、と言ってから、俺はそのまま部屋に引きあげた。

 そしてとりあえず椅子に座り、スマートホンを見た。ダウンロードしているアプリからの通知がある以外、誰からも連絡はなかった。今日は特に授業があったわけではないし、新たに連絡先を聞いたクラスメイトもいない。

 そういえば、連絡先を聞くべき人が二人増えたな、と思い出して、学校でもらったクラスメイト一覧の紙を見た。俺の前の若咲叶依と、その友人の天岸海帆だ。小学校、中学校と同じ学校だった女子は何人か連絡先を知っているが、俺から連絡したことは一度もなかった。そんな俺が、あの二人から連絡先を聞くことは出来るのだろうか、いや、しなければ何も始まらない。もしかすると向こうから聞いてくるかもしれないが、男としては自分から切りだしたいところだ。

 しばらくすると家の電話が鳴って、それには祖母が出た。誰からだろう、と聞き耳を立てていると、祖母は電話を保留にして階下から俺を呼んだ。

「電話よー。山野さんから」

 その名前を聞いて少し身構えたのは、出来れば避けて通りたい相手だったからだ。山野芳明はJBL(日本バスケットボール連盟)の会長で、いつかの試合での俺の活躍を見てから、ずっと追いかけられていた。山野は俺が住んでいる大阪を拠点とする地元チームの会長でもあった。俺はそのチームに、スカウトされていた。

 今までも何回も電話がかかってきては、俺は面会を断り続けていた。学校生活を楽しみたかったし、クラブで満足していたし、そもそもそれで稼ぐつもりはなかった。特に今年は学校で良いことがありそうで、いろいろと期待していた。

 それでも俺が会長と会うことに決めたのは──。電話の最中に届いた史からのLINEを見たからかもしれない。

『おまえがどう考えてんのか知らんけど、いろんな意味で強くならんと叶依の相手は無理やぞ。今のあいつ、マジで大変や』

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