第4話 空と海

「○○、あの星を見てご覧。綺麗だろ」

「あっ! ホントだ、すごいまぶしいね!」

「あれはね、いっつもおんなじ場所にある星だからね。もし○○が迷子になったときは、あれを見るんだ。今何処にいるのかなんとなく分かる」

「へぇ! じゃあおぼえとく!」

「でも一番は、迷子にならないことなんだけどね」

「あはは、あたしいっつもまいごになっちゃうからね!」

「もう、気をつけてって言ってるんだぞ」


 それは、遠い日の記憶。


 ***


 日が昇った直後のことだ。

 レッドは寝ているクロウをズルズル引きずったあと、声を掛けた。

「クロウ〜? 平気か〜?」

「ん……」

 そこは海岸の洞窟。山賊(この場合は海賊か?)がいるらしいとの噂でやってきたが、いまはもぬけの殻だ。

「どうも奴ら、お前用の罠に幻覚を見せる煙をアジトに充満させてたらしいな。一応煙の少ない入口まで引きずったが、平気か?」

「俺は……まだ立てそうにない。……そういやあんたは煙を吸わなかったのか?」

 レッドは左手を上げた。その手首には一筋の線。真っ赤な血が滴り落ちている。

「吾輩は学習した。薬には痛みだ」

「ば、馬鹿……!」

 クロウはすぐ立ち上がり、レッドの腕を診た。

 懐から手ぬぐいを出し、手首にきつく巻く。

「剣が振れなくなるぞ、いいのか!?」

「吾輩の利き腕は右だ」

「そういうことじゃない! いいかよく聞け!」

「うむ!」

「…………俺を助けてくれたことは感謝するが、無茶しすぎだ。血が出すぎると死ぬかもしれないんだぞ」

「そうだな。だが、死んではいない。お前が治してくれたからな」

「応急手当だバカ」

「それより、ここには誰もいないぞ」

「多分近くで潜んでるんだろう。……ひとまずやられたフリでもしてるか」

 クロウはまた地面に伏せた。

 レッドもそれに従う。

「耳を澄ませてみろ」

「波音が邪魔だ」

「……魔力はあるか」

「一応」

「耳に魔力を集中させろ。波音を取り除くイメージで」

「なるほど」

 レッドは目を閉じ、聴覚に集中する。

 何か、ヒソヒソと話す声が聞こえてきた。


『いやー、親方の作戦はスゴイッス! ゲンソウ草を使って山賊狩りを捕えるなんて』

『だろぉ? でもま、結構使っちまったなぁ、もったいね』

『命より高いもんなんてありませんよー』

『ま、そりゃそうだな。さて、そろそろ一度見てくるか』足音が近付いてくる。


「……油断しているな。不意打ちをするか。レッド、準備しろ」

「よしきた」

 二人は勢いよく立ち上がった。

 きっと、山賊たちの命は風舞う種子より儚く散るだろう。


 ***


 その日の午後。

「なぁ、まだついてくるのか」

「うむ」

 レッドは相変わらず、クロウの背中についてきていた。

「何故だ。戦わないぞ」

「最近気づいたが、戦わなくても強さは学べる。クロウは吾輩に様々なことを教えてくれるからな」

「……クソ、教えてるんじゃなかった」

 悪態をつくクロウに、ハハハとレッドは笑った。

 しかしその後彼女は口を開こうとしたり、逆に閉じたりを繰り返す。

「その、ついでに、教えてほしいことがあるんだが……」「ああ?」

 レッドがふと立ち止まる。

 クロウが振り返り彼女の顔を見ると、なんとなく言いづらそうな雰囲気を出していた。

「……どうした?」

「んん……その……非常に……言い難いのだが……」

「気になるから言えよ」

「うむ……。クロウはあの洞窟で幻覚を見ている間、ずっと……名前を呼んでいた。女の」

 その言葉を聞くと、クロウは目を見開き剣に手を掛けた。恐らく咄嗟に怒りがこみ上げたのだろう。自らの記憶を覗かれて。

「言いたくないなら言わなくていい」

 レッドは珍しく、自身の好奇心に逆らった。

 聞かない方が良いのだろうと思った。

 彼のその顔を、レッドは悲痛に満ちた顔だと感じたから。

 そして二人はそのまま黙って歩き出した。


「あっ」

 雨がポツリと降ってきた。

 気付けば空は黒味の多い灰色だ。

「………そろそろ、テントの準備をするか」



 レッドは大きなテントの中で座りながら、剣を抱いてあくびをした。

「ふあーぁ……」

 携帯食料の干し肉を食べたあとのことだった。

 何故お腹がいっぱいになると眠たくなるのだろう、とレッドは微睡みながら思った。

「俺には娘がいた」

 パチパチ燃えるランタンを見つめながら、クロウはポツリと呟いた。


「嫁は娘を産んだあとに亡くなって、だから男手一つで育てた。お転婆で可愛い子だった。気が付くといっつも迷子になってて、ようやく見つけると身体中ボロボロになりながら笑顔を向ける子だった。 

 ある日……、そう、あの子が十五の時。男を連れてきた。よく一緒に遊ぶ坊や。彼と結婚したいと。俺は複雑な感情の中、了承した。娘は笑顔になった。だから、それでいいと思った。娘の結婚式は今でもよく覚えている。目を閉じれば瞼の裏にその景色がいつでも貼り付いていて。そう、そうだ……、世界で一番美しい女性がそこにいた」


 それは独り言のようだった。

 だが、眠そうなレッドに向けて語り掛けること自体、聞いてもらえるのを期待していない行為だ。


「生きてほしかった。

 生きて、普通に生きて、普通に死んでほしかった。いつまでも楽しげに、心安らかに。

 だけど……

 だけど、山賊に襲われた。俺は丁度住んでた村を離れてて……。他の村と物々交換をして、長話もしていて……。

 ……帰ってきたら何もかも無くなってた。


 俺はただ、呆然とするしかなかった。

 目の前に広がる地獄絵図を、夢だと思おうとした。

 けど、現実は変わらない。死んだ人間は生き返らない。

 俺は泣いた。泣いて、叫んで、暴れて……。

 そして決意した。仇を討とうって。

 でもどこの奴らの仕業か分からない。


 ……だから、全ての山賊を殺そうと思ったんだ」



 朝になると、雨は止んだ。しかしまだまだ空は灰色だった。

 風が強く吹きつけるので、雲の流れはとても早い。

 だけれど、雲の切れ目からあの綺麗な青が見えることはなかった。

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