第4話

武松、施恩と同様に、茂みに身を隠すのは林冲と楽和、それに時遷班の潘という男。


目の先には道士が二人、だがその距離はなかなかに遠い。


潘が言うには、


「あの術者の後ろにいる道士、よく周りを歩いて警戒しております。」

「術者から離れるってこと?」


潘の報告に確認を怠らない楽和。林冲は二人の会話に耳を傾けた。


「はい。ですが、隙があまりないというか時折木の上まで飛んで周囲を見渡しているほどで。」

「だから近づけないのか。」

「はい。」


そういう訳で敵との距離を詰められずにいるのだという。


「楽和、どうする?強行突破か?」


近づけないとしても倒さねばならない。林冲はどうしても気が急いてしまう。


「捕まりますよ。でもってあの結界にぽいです。」


林冲とは反対に慎重、そして時折冷淡な楽和。


歯痒い。純粋に武での戦いならば林冲はそうそう負けはしないのだ。


「頻繁に警戒しているならじきにこっちに来るかも。・・・このまま張っているか、少しずつ距離を詰めて、機を作り出す方が良いか・・・。」


楽和にも若干の焦りが見える。爪を噛み、頭をがりがりと搔いた。


そうこうしている内に、敵が背を向けて歩き出す。


「どうする?」


好機ではなかろうかと林冲は判断するが、


「・・・では、林冲殿にお任せできますか?」


予想外の言葉であった。


「いいのか?」


林冲はそう確認を取る。

楽和は護衛から目を離さずに説明した。


「周囲をしきりに警戒するのは何故かってことですよ。」

「どういうことだ?そういう性格なんだろ?」

「それもあるでしょうが、もう一つ。」


護衛はきょろきょろと、歩きながら周囲を見渡している。宝剣も、すぐに構えらるよう、鞘から抜いていた。

その様子から予想されることは。


「術には何でも詠唱が必須です。その間は隙ができる。術によって詠唱の長短は様々。道士の腕にも依りますがね。彼はきっと、詠唱を始めてから術が発動されるまでの時間が長いのではないかと思うのです。こちらの思惑と同様、先手必勝を狙っているのでしょうね。」

「なるほど。」


先に仕掛けた方が有利、と楽和は判断したということだ。朴刀を握りしめる林冲。


「なので、相手が林冲殿に気付いたらすぐに攻撃を仕掛けてください。間合いを十分詰められれば、気付かれる前でも構いませんが、それは林冲殿の感覚で。」

「分かった。」


遠目であろうと、相手の動きは見える。背中を向けた瞬間を狙って、前方の木の陰に身を隠す。


キョロキョロと周囲を警戒する護衛の道士。術者の視線は動いていないことも確認する。


背を向けている隙にもう一度前進。隠れながら楽和の方を見る。


進めの合図。


術者が次第に近くなる。護衛の道士よりも近いくらいだが、楽和を見れば首を横に振っている。


手は出すな。あくまで護衛の道士狙い。ということらしい。


道士を見ればこちらに歩き始めていた。


もう一度朴刀を握りしめる。機は近い。


一瞬、道士が足を止める。その後すぐ、辺りを見回しながら歩き出した。


かと思ったら、背中の宝剣を抜いているのが見える。


目を凝らして見れば、口元も動き出すのが見えた。


詠唱を始めたに違いない。


そう考えるより先に、林冲の脚が地面を蹴る。


道士の宝剣の切っ先が林冲に向く。咄嗟に屈むと、宝剣から飛んだ炎が頭上を通過した。


低い体勢のまま、道士一直線に駆ける。

次の詠唱を待たず、林冲は朴刀を振り上げた。敵は宝剣で防ぎ、あたりに響く金属音。


腕力では林冲が遥か上。力で相手の体勢を崩すとすぐさま林冲は刀を翻し、道士の顎を狙う。素早い攻撃の切り返しを道士は防げず、顎に一撃を食らい気を失った。


術者を見ればそちらは楽和と潘が腕を縛り上げている。


「林冲殿、流石ですね。お見事です。お怪我はありませんか。」

「ああ。」


楽和に言われて焦げ臭い匂いがしているのに気づいた。帽子の房飾りを見ればわずかに焼かれた跡。しかし炎はついておらず安心する。


ともかく、これで一人。


「これで北に進めばいいんだな?」

「はい、この人達は潘君が見張っていて下さい。」


潘は恭しく拱手する。


「ご武運を。」


潘に笑顔で返すと、楽和と林冲も北へと向かった。






武松と施恩は茂みの陰に身を潜め、遠くからじっと敵と思しき相手を睨みつける。ここに機密伝令員はいない。というより、いたのだろう。


ここに来るまでの間に倒れている男を見かけた。

顔に見覚えはないが、所持品を検めると呂の言っていた物がそろっていたからおそらく彼も時遷の部下だろう。

どんな手かは知らぬが、注意深く見れば胸が上下していることから眠らされているだけのようだった。


死んではいないことに安堵する。


しかし戦闘不能になるのは事実。

先ほどの道士よりも手練れであることを考えて動かねばならない。


のは分かっているが、武松はせっかちだ。

敵を目の前にして動けぬというのは性に合わない。


「なあ、施恩。さっきと同じ手を使うわけにはいかねえのか?」


武器を囮にして武松が攻撃を仕掛ける、その案を施恩はすぐさま却下した。


「駄目だね。気配を絶って身を隠してた忍を倒してる。ってことは、こっそり何か仕掛けようとしても察知されるってことだ。」

「けどこのままじゃよ。」


攻撃せねば倒すこともできない。武松はそう考えているのだろう。

術者は一心不乱に術を唱え、護衛は動かずに立っているのを施恩はじっと見つめた。


「だから、林冲達を待つ。監視役がやられてるんだ。俺達で今はその役割をする。」


そう言いつつも、施恩の心にも迷いはある。


動く、動かないのも情報の一つだが武松の言う通り、攻撃を仕掛ければほかの情報を得られるかもしれないのも事実。


施恩は慎重に考えを巡らせる。

判断を間違える訳にはいかない。


一つでも多く情報は欲しいが、二人で近づけば共倒れは必至。


敵が動かないからこそ、もう一度圈を囮に使ってみる手はあるが、殺意や殺気を感じさせるような探り方は危険。


ならば。


「よし。武松、ここで林冲達と合流するまで待機してくれ。」

「施恩はどうする気だ?」

「仕掛けてみる。」

「それなら俺が。」

「駄目だ。仕掛けるのは攻撃じゃない。」

「じゃ、なんだ?」


施恩は背後を指差した。


ここは梁山泊の北、寨経営の居酒屋が二人の見える所にある。


そこに本来いるはずの頭領も含め、店内に人はいなかったのは確認済みのこと。


「街道からは外れちゃいるが、あそこも旅人の休憩所だ。」

「旅人を装って接触するのか。」

「俺が何か言うまで出て来るなよ。何も言えない状態になったとしても、林冲達が来るまで動くな。」

「はぁ?!」


武松の性格からして納得しかねるのも無理はない。しかし、少数で竜虎山の道士に対抗しなければならない以上、聞いてもらわねば困る。


「いいか。お前まで何かあったら、今度は林冲達が戦いにくくなる。目的は何か、もう一度思い出せ。梁山泊の頭領連中を助けることだろ?」

「・・・・分かったよ。」


渋々ではあるが、納得した武松。


それを確認して施恩は茂みを抜け出した。




施恩は敢えて声を張って


「おーい!誰かいねえのかい!」


と言いながら道士達のいるほうへと歩く。


それに気づいた護衛がほんのわずかに術者から離れたものの、不機嫌そうな顔を見せて低い声を発した。


「 ・・・お前は誰だ?」


殺気立たぬように注意しながら、施恩は護衛の男に声をかけた。


「なんでい、人がいるじゃねえか。なあ、そこの酒屋はあんたの店かい?」


そう朗らかな声と調子で会話をしようと試みる施恩。

しかし、相手の反応はきわめて冷たかった。


「・・・・・・お前は誰だときいている。」

「あ?わりぃな。孟州から来た洪恩ってもんだ。そこの酒屋の」

「知らん。」

「誰もいねえんだが」

「知らん。」


とりつくしまもない。面倒事を嫌うのか、役目に忠実なのか。

どちらなのか分からないが、施恩はとりあえず探りを終わりにする。


「そうかい。道に迷ったんで、休憩でもさせてもらいたかったが。まぁ、仕方ねえ。」


そう言って護衛に背を向けて歩き出した。


すると。


「・・・・・・・・・」


敵がぶつぶつと呟いているのが聞こえた。

ちらりと振り返れば懐から白い紙と筆を取り出している護衛の男。


バレたか?


つとめて冷静かつ自然に、施恩は駆け出す姿勢を取った。


敵が紙にさらさら筆を滑らせ、息を吹き掛けると、瞬く間に通常の三倍はあろうかという大虎が出現する。


体の大きさにそぐわぬ俊敏さで、大虎は施恩に襲いかかった。


施恩はギリギリのところで大虎の攻撃をかわす。


「居合わせたのが不運だったな。俺は面倒事が嫌いなんだ。」


男はそう言って背を向けて元の位置にもどると、どかっと座り込んだ。


「ついでに退屈も嫌いだ。」


つまり見世物かよ、とその意図を知って施恩は舌打ちする。

施恩が梁山泊の頭領だとは分かっていないらしいのが幸いか。


一瞬の隙を、大虎は突いてきた。

施恩の体に覆い被さるように、前脚で施恩の両肩を押さえつける。


肩に鋭い爪を喰い込ませ、牙を剥く大虎。


どくどくと、血が溢れるのが分かる。


かろうじて動く脚を動かし、食らいつこうとした大虎の腹を蹴りあげた。

体の柔軟性と脚力を活かした体術は梁山泊でも群を抜く。常人なら力の入らない体勢であろうと、施恩の蹴りは相当の威力を発揮する。


虎が宙に浮いた隙に施恩はするりと身を翻し、すぐさま虎の顔面に拳を叩き付けた。


「ムダだ。」


敵の言う通り、体の大きな虎にはわずかの衝撃しか与えられていない様子。


それでも引くわけにはいかない。


施恩は圈を構え、ゆっくり息を吸った。







出て来るなと言われたので忠実にそれを守っていた武松だが、もうそろそろ限界だ。


戒刀を握り、踏み出そうとした瞬間に小さく林冲の声がした。


「武松。」


人差し指を口に当て、利き腕には林冲も朴刀を握っている。


武松は小さな声で林冲に尋ねた。


「楽和は?」


人差し指で上を指す林冲。真上を見れば不自然に流れのおかしな雲が見える。

おそらくそこに乗っているのだろうことは多くを語られずとも知れた。


林冲は続けて呟く。


「敵の注意が施恩に行っている間が好機だ。二人で挟み討ちにするぞ。俺が向こうに回る。合図は楽和が出すから、よく見てろよ。」

「おう。気を付けろよ。」


林冲は頷いて立ち去って行った。上を見れば、雲の端から楽和の顔が覗く。


敵はその場から動かず、にたりと嗤って施恩と大虎の戦いを眺めていた。

胸糞の悪さに、武松のこめかみに血の筋が浮く。


急げ、林冲。


施恩は大虎を相手に立ち回る。護衛の気を引き付けているため楽和も今術を解くわけにはいかないのだろうが、このままでは施恩が持たない。


まだかまだか、と急く武松にようやく楽和はそれらしい合図を出した。

手のひらを護衛に向け、口元は『行け』と形を作る。


その瞬間に踏み出すと、向こう側からは林冲が現れた。


さらに同時に、施恩が戦っていた大虎が煙となって霧散するのを目の端で捉える。


虎が消えたからであろう、護衛の道士は宝剣を掲げ再び詠唱し始めた。


林冲の朴刀が脚を、武松の戒刀が脳天を討つ。


間違いなく、その手応えがあったのに。


「ムダなんだよ!馬鹿め!」


敵がそう叫んだ瞬間、辺りが真っ暗闇に染まった。


続けて聞こえたのは嘲笑う道士の声。


「斬れるもんなら斬ってみろ!」


怒りで支配される武松の脳裏だが、道士が立っていた場所に佇む人物を見て声を失う。


身の丈低く、顔立ちは整っているのに左半面には広範囲の痛々しい火傷の跡。


忘れもしないその人物は。


「・・・・あ、兄貴っ!」


実兄の武大ぶだいなのであった。

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