第12話
その部屋は2階の正面から見て一番右端にあった。
鉄柵越しの窓からは光と共に何か美味しそうな匂いが漏れ出していた。
「今夜はシチューかな?」
そう言った栗見さんは今まさに呼び鈴に指をかけているところだった。
ピンポーンと呼び鈴が家の中から聞こえる。
その躊躇いのない行動に動揺する暇もなく、玄関のドアが開かれる。
「なんでお前たちが・・・」
ドアノブに手をかけたまま顔を覗かせた島津先生は青ざめた表情でそう問いかけてきた。
そしてハッと我に帰るように瞬きをすると、半分外に出ていた体を部屋の中へ戻し急いで扉を閉めようとした。
しかし栗見さんはそれを許さないガッとドアのヘリを掴むと閉ざされようとする扉野妨害をする。
「無駄な抵抗やめましょ先生。立て篭もったて逃げれないですよ!」
力を入れているせいだろう初めて聞く栗見さんの余裕のない早口に僕も我にかえりすかさず扉を開く手伝いをする。
栗見さん1人では押されていた力も僕が加わったことで扉は徐々に開き始める。
が、それでも島津先生は抵抗はやめずコレは力尽きるまでの根比かと覚悟を決めたところで、栗見さんが突如手を離しドアの隙間から島津先生に向けて蹴りを入れた。
「ぐっ!」
と苦しげな声を漏らし蹴られた腿を押さえる島津先生。
その隙を見逃さず僕らは一気にドアを開いた。
「やっと開いたよ。じゃあ、お邪魔します」
意外なことに栗見さんはしゃがみ込む島津先生をまるで空気のようにスルーして土足のままズカズカと部屋へと上がり込む。
部屋の作りは玄関を潜ると短い廊下があって、その左右と廊下の突き当たりには扉がある。
まず左右の扉を開け中を確認する栗見さん。
「ここじゃないか」
呟きさらに奥の扉へと向かっていく。
走り後を追う僕も開け放たれた扉をチラ見する。
玄関から見て右手の扉はトイレ、左手は浴室のようだ。
人はおらず部屋は薄暗い。
そこでアレと思う。
さっき玄関の窓から漏れていた光はどこのだろ?
位置的にはこの浴室のはずだけど。
不審に思い浴室の前で足を止めると、ドタドタと左右から激しい足音が響いてきた。
「動かないでね!」
栗見さんの声がする方へ反射的に顔を向ける。
その瞬間僕の顔の横を何かが通り抜けていった。
そしてドカという衝撃音と苦悶の声。
振り返ると島津先生が肩を押さえながら苦しみもがいている。
多分家に侵入してきた僕らを急いで追いかけてきたんだろう。
そんな先生を痛めつけた栗見さんの手にはフライパンが握られている。
栗見さんの後方の開け放たれたドアの向こうはキッチンのようでフライパンもそこで拝借したんだろう。
そしてそのフライパンで島津先生を殴りつけた。
肩にフライパンを当て変にポーズを決める栗見さんはうすら笑みを浮かべてる。
あんなもので人を殴ったのに栗見さんはいつもと変わりない。
「大丈夫、千草くん?危なかったね、もう少しで島津先生に殴られてたかも」
間一髪だったねと栗見さんは僕へ笑みを見せその後島津先生へと向き直る。
「手加減して肩を殴りました。このままそこで大人しくしておくならこれ以上手はあげないですけど、邪魔するなら今度は顔にぶち込みますよ」
穏やかな口調だがその笑みのない顔が本気だということを伺わせる。
「お前たちこんなことしてただで済むと思ってるのか?」
痛みで顔を歪めながらこちらを睨む島津先生を栗見さんは鼻で笑う。
「タダで済まないのは先生たちでしょ?警察呼びましたから」
スマホをチラつかせ挑発するような態度に島津先生は青ざめる。
「そんななんで?」
「そんなのこの人が桐子を殺したからに決まってるでしょ」
そう言うと栗見さんは浴室へと入り蓋のされた浴槽を開けた。
「いつまでも隠れてないで出てきてよ、柿下先生」
そこには空の浴槽に身をかがめた保険の柿下先生が身を潜めていた。
なぜここに柿下先生が?
そんな動揺の中浴槽の先生に目をやる。
島津先生同様青い顔をした柿下先生はTシャツに短パン姿で泡だらけの浴槽に屈んでいる。
どうやらお風呂掃除をしている途中だったようだ。
それで、僕らに驚き電気を消して浴槽に隠れたというわけか。
「さぁ、頭にフライパンぶち込まれたくなかったら出てきてください」
突きつけられたフライパンから逃げるように柿下先生は浴槽から出る。
「聞こえたと思いますけど、警察呼んでるんでもう詰みです。あんた達は逮捕されます」
ガタガタと震え出す2人の先生を逃さないように栗見さんはフライパンを構えて玄関を塞ぐ。
そして僕に命じてキッチンにあったビニール紐で2人の手足を縛らせた。
これでは僕らに方が犯罪者のようだ。
完全に身動きを取れなくなった2人を前に僕は栗見さんに尋ねる。
「柿下先生が山村先輩を殺した犯人だったんですか?」
僕の質問に栗見さんはコクリと頷く。
「そうだよ。実行犯は柿下先生、でも島津先生が何も知らないわけないしそれだと無理も生じるから犯人はこの2人だね」
その2人に顔を向けるが俯いていて表情は見えない。
「なんで柿下先生のことがわかったんですか?」
そう尋ねると栗見さんはその疑問はもっともだと言うようにふむと頷く。
「そうだね。前に君に屋上の鍵の位置と桐子との関係で島津先生が怪しいって話したよね。でも、いくら鍵に近いからって堂々と持ち出してその場を留守にしたら誰かに不審がられる可能性もある。そんな危険なことわざわざするかなって思ったんだ。人殺すなら少しでも安全に済ませたいじゃない?」
そんな同意を求められても困るのだけど、多分そういうものだろう。
何事もリスクなんて少ない方が良いだろうから。
「それで考えたんだ、一人で無理でも二人ならどうだろうって。共犯者が鍵を持ち出し島津先生が周囲を見張れば可能かもってね。じゃあ一体誰が協力者か?殺人の協力なんて余程の理由がないと出来ない、そうでしょ?」
僕もそうだと頷く。
「で、そんな人は誰かなって考えて。千草君は覚えてる?私と初めて会った日のこと?」
僕はまた頷く。
あの日のことを忘れることは多分生涯ないだろう。
この出来事の始まりのあの日を。
そういえば、あの日の帰り島津先生にあったけ?
僕の視線は自然に島津先生へ向く。
「どうやら覚えてるみたいだね」
その視線に栗見さんは満足そうにする。
「そうあの日の帰り私たちは島津先生にあった」
少し懐かしむように栗見さんは遠い目をする。
「帰り道に寄ったコンビニ。島津先生も弁当を買っていた」
「二つ分のね」
まさかそれだけで、柿下先生のことに気づいたのか?
唖然んとして栗見さんを見てしまう。
そんな僕の驚愕顔が面白かったのか栗見さんは口元を押さえてクスリと笑う。
「そんなわかりやすく驚かないで、面白いな。もちろんこれだけで全部見通したわけじゃない、あの時は事件すら起きてなかったしね。ただ弁当も飲み物も2人分だったから誰かと食べるのかな?って思ったくらい」
別にそのぐらい普通でしょ?
そう言いたげだけど僕が驚いてるのはそこじゃ無くてそんな些細な事を不審に思い今まで覚えていたことになんだけれど。
そんなどこかズレてる栗見さんは黙る僕を見て首を傾げるもとりあえず話を続ける。
「それで兎に角確証が欲しいと思ってふたり尾行したら、ビンゴ!このアパートに行き着いた訳。同棲してるのは都合よかったよね、2人の関係に一気に確証が持てたから」
うんうんと頷く栗見さん。
もしかして、保健室で目を覚ました時柿下先生はコンビニ弁当を食べてたけどアレももしかして島津先生が買ってきたものだったのだろうか?
そんな事が思い起こされた。
帰りがけに買ったご飯を2人で食べてテレビを見てお風呂に入り寝る。
そんなごく当たり前の幸せをここで過ごしてきたのだろう。
部屋をゆっくりと見渡すとそんな幸せを思わせる形跡があった。
お揃いのクッションに、ダブルベッド。
人の命を奪いながらこんな幸せを謳歌してたのか?
再び怒りが込み上げてくる。
「二人が恋人同士なら共犯となりうる可能性は十分オマケに職場が同じで事件現場もそことなればほぼほぼ犯人の確信はついた」
むしろこの二人以外注目できる存在がいないだろう。
「動機は単純に考えて、恋愛のもつれかな?元々恋愛関係にあった島津先生と柿下先生。そこにどういう経緯かは知らないけど島津先生と桐子が浮気の関係になった。多分桐子はそんなつもりはなかっただろうね。本当に幸せそうだったから」
その時のことを思い出しているのだろうか?
栗見さんは少しだけ遠い目をする。
「まぁ何にせよ、あくまでお遊びだったつもりが本気になった桐子を島津先生はだんだんと煩わしく思ってきたんじゃないかな?そして経緯は知らないけどことを知った柿下先生も事件に共謀した」
「柿下先生からしたら山村先輩は邪魔者殺す動機にはなるわけか」
僕がそう言うと栗見さんはコクリと頷く。
「直接殺したのは柿下先生ですよね?じゃないと島津先生が鍵の証人になり得ないから」
柿下先生の目の前に座り込む栗見さん。
俯いていた柿下先生は驚き退く。
「どう?当たりですか?教えて下さいよ柿下先生、桐子はその最後の瞬間どんな顔をしたんですか?驚き?苦しみ?それとも憎しみ?貴女はどんな感情をぶつけられた?」
クスクス笑いながら栗見さんは柿下先生を問い詰める。
「やめろ!栗見!」
見かねた島津先生が止めようと身を捩るが僕が締め付けた紐はそんなことでは解けない。
そんな姿を見て栗見さんは更に嗤う。
「惨めですね島津先生。全てうまくいくと思っていたでしょ?残念そうはいきません。貴女たちはこれから警察に捕まって刑務所で離れ離れで過ごす。平凡な生活なんてもうさよならです。当然ですよねそれだけのことをしたのだから」
そう伝えられて島津先生は恨めしそうに栗見さんを睨む。
なんなんだこの人は?
まだ自分が悪いと思っていないのか?
人を殺しておいて、自分の恋人を巻き込んで、それでいて今は栗見さんを恨みを持った目で睨みつけている。
信じられない。
こんなヤツたとえ捕まっても絶対に反省なんかしやしない。
何か相応の罰を誰かが与えないと。
殺人という罪にふさわしい罰を。
ふと足元を見る。
するとそこには縛り上げられた島津先生の手がちょうどつま先にある。
今なら触れられる。
ゾワリとそんな感情が込み上がる。
そうだ触れてしまえ。
それでこの男に相応の罰が降る。
そうたったそれだけのことでこの男の結末は決定される。
ドクリと胸が高鳴る。
やってしまうか?
今ならまだそれができる。
ゆっくりと屈み島津先生の手へ左手を伸ばし、その手は栗見さんに手首を掴まれることで動きを止められた。
「危ないよ近づいたら」
ハッと我にかえる。
そして僕の左手首にある栗見さんの手を振り払う。
「触らないで!」
左手を隠すように胸に押さえ込み転がるように栗見さんから離れる。
触れた!?
触れてしまったのか?
マズイどうしよう?
体が震える。
どうしよう?
気がまた遠くなりそうだ。
そんな怯える僕に栗見さんはそっと近づき囁きかける。
「大丈夫握手はしていないから」
「えっ!?」
信じられなかったこの人は今なんと言った?
僕が茫然自失に栗見さんを見ていると彼女は「話はとりあえず後でね」と立ち上がり僕から離れた。
それから5分後のことだった警察がこの場所に訪れたのは。
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