幕間(1)紫子

「あんたはんに、見合いの話が来ましたえ」


 麗らかな春の午後。

 鹿威しの甲音を聞きつつ、向かい合うように紫子が膝を折ると、おもむろに祖母が切りだした。


 見合い?

 今更?


市場しじょうの家ですか?」

「ちゃうちゃう」

「しかし、おまえは俺の許嫁や、が旭日の口癖で」

「あれは、市場の坊やが勝手にいいよることや。こっちは嫁にやるなんて、一言もゆうてへんで」

「では、どちらから」

「なんと、渦中の人のトワケはんのところから」


 トワケ?


「まさか、捕まった挙句、門を閉じてしまったあの方、ではないですよね?」

「そのまさかや。相手はトワケはんとこのドラ息子」


 ドラ息子……との縁談?


 もう、どこから突っ込んだらよいやら分からない。

 困惑半分、憤り半分、紫子は眉をひそめて聞き返した。


「トワケさんというと、確か七十近い御仁なのでは」

「六十五や」

「なら、息子は四十前後? 父と変わらない歳ではないですか」

「遅くに出来た子かもしれへんで」

「かもしれへん、って、知らないのですか? 釣り書きは?」

「あらへん。奥さんがいきなり訪ねてきはって、うちの息子とどないですかぁいいはるさかい、とりあえず本人に聞いてみますゆうて返事しただけやから」


「そんな、適当な」

 大体、私はまだ学生ですが、と睨めば、

 ほとんど行ってへんけどな、と祖母が厭味で受け流す。


「そもそも、うちには未婚の姉が三人もいるではないですか。なぜ、一番下の私が見合いなどと」

「知らんがな。あんたを指名してきたのは、あちらさんや」


 いなす口ぶりで、祖母は大ぶりの文庫のような桐箱を、紫子の前に滑らせた。


「これ、ご挨拶代わりに、やて」

「なんですか、これ……?」

「よう知らん。お納めくださいゆうから、受け取っただけやし」


 とにかく中を見ておみ、と促され、しぶしぶ紫子は桐箱の蓋を上げ――

 目を瞠った。


「これは」

「面白いやろ」

「呪具ですね」

「しかも、結構なじゃじゃ馬のようや」


 あんたはんくらいしか、扱えなさそうやなぁ。

 箱の中身に興味を示した紫子を、人の悪そうな笑みを浮かべて祖母が見る。

「ゆうとくけど、これ、もろてしもたら、見合いすることになるさかいな」

 紫子は、嘆息しながら箱の蓋を閉めた。



 見合い話は断ったが、結局息子を捜すはめになった。

 

 面倒事を引き受ける代わりに、桐箱の中身を貸し与えられたので、試しに錦絵の中の玉兎を放ってみたが、見つけたのは四十男ではなく、紫子と同年代の青年。

 

 眉目秀麗というタイプではないものの、人好きのする、可愛らしい顔立ちの若者だった。

 

 人違いだと解っているのに、なぜか紫子は青年の名前をたずね。

 興に乗って、呪具の説明までして。

 目を白黒させている様子が可笑しかったので、戯れに紙一重を被せてみれば、驚くほどに相性がよく。


 

 気が付けば、追いかけるように、玉兎に文を届けさせていた。

 


 なぜ、あんなことをしたのか。

 分からない。

 後に店で甘夏を見かけたとき、深月の顔が浮かんだことも不可解だ。

 

 ただ、なんとなく、心の隅がこそばゆくて、落ち着かない――



************

次回更新は 5月23日(月)です

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