第一章 五條橋の月(1 つけられている…?)
ごぉん。
熱風に乗って、かすかに鐘の音が聞こえた。
京都、清水五条から一本北へ上がった、鴨川に架かる松原橋のど真ん中。
欄干の影すら落ちていない橋の上で、頭の天辺をジリジリ焼かれつつ、大学一年生の深月がなにをしているかというと――
追っ手を待っている。
誰かに付けられている気がするのである。
アパートから出たところで、視線を感じた。すわ相手を見極めんと、橋の上で自転車を下り、待ちかまえてみたのだが。
滅茶苦茶、暑い。
盆地の夏は暑いと聞いていたけれど、想像以上だ。
いや、実際は夏ではなく、五月末の初夏なのだけれど。
正午現在、真夏日の気温。熱中症一歩手前。
付けてくる奴どころか、橋の真ん中で立ち止まる人間も、いはしない。「なんの酔狂や」といいたげな視線を向け、皆足早に通り過ぎる。自転車もチリンチリンと不機嫌な音を鳴らして、深月を避けていく。
そのうち、川向うの信号が変わって、車の流れが止まった。
エンジン音が消え、欄干に川のせせらぎが立ち上る。
腹減ったな。
こんな平和なお昼時に、なにキリキリしてんだろ、俺。
己を笑いながら、自転車のサドルに手を伸ばしかけたそのとき、唐突に背中で声がした。
「おんや?」
ぎょっとふり向くと、すぐ後ろに、椰子の木模様の中折れ帽に、着物の男が立っていた。どうも、と帽子を持ち上げ挨拶する。
焦茶色の着流しの、ハの字眉毛の男である。
このオッサン、いつの間に。
警戒しかけたところへ、男がにゅっと首を突きだした。深月の顔を覗き込み、目を細める。
「あんた、女難の相が出てはんで」
「女難の相?」
新手の押し売りか、と身構えるも、
「気ぃつけやぁ」
着物の男は、ぽんぽん深月の肩を叩いて、あっさり去っていく。
「なんなんだ……?」
訝しみつつ見送ったが、男の背が角を曲がった瞬間、深月ははっと気付いた。
見られている。
足元から視線を感じる。
白っぽいなにかが、鼻面を向けて、己を見上げている……?
そろりと見下ろした途端、それは脱兎のごとく逃げだした。
ぴょんぴょん跳ねていく様は、比喩ではなく本当に兎っぽい。だが瞬きした拍子に、陽炎に紛れて見えなくなってしまった。
白い……猫、か?
腹が減りすぎて、幻が見え始めたか。
早く大学へ行って、昼飯を食ったほうがよさそうだ。
改めて、自転車のサドルに手を伸ばしかけたところへ――
不意にその手をつかまれた。
「――見つけた」
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