イリーガル探偵事務所①

 ♢♦♢


 銭形家の事件から翌日――。


 賑わう街の中心部から少し離れた場所。人通りも疎らな通りから、更に狭い路地裏へと入って行く。人と人が、すれ違うのがやっとの道幅。人の気配もほぼ無い。聞こえてくるものと言えば、所々に設置された換気扇や、ダクトから響く無機質な音だけだろう。

 明確な理由や目的がない限り、誰もこんな所を通らないであろうという場所を、言葉を交えながら歩いていたのは、象橋と白石の二人であった。


「あの……象橋警視長。今日はまた何処へ向かっているのでしょうか?」


 何も聞かされず、連れて行かれるがままに象橋と同行している白石は、相変わらず不安一杯そうな顔をしている。昨日の様な事があったばかりなのだから無理もない。

 そんな白石の不安に答えるかの如く、前を歩いていた象橋が、とあるビルの前で突如歩みを止めた。


「着いたよ」

「ここは一体……?」


 象橋と白石の前に聳え立つは、廃墟と言わんばかりの古いビルだった。

 一目で分かる程、老朽化が進んでおり、その三階建ての小さなビルが、何年も使われていない事が理解出来る。

 入り口の蛍光灯も、パカパカと安定しない明かりが点いたり消えたりと忙しい。それにビルの入り口の直ぐ側にあった案内板には、以前は一階から三階まで何かしらの会社でも入っていたのだろうか、社名の様な物が書かれていた跡があった。だがこれまた汚れ過ぎており、正確に解読する事は出来なかった。


 白石がその案内板を徐に眺めていると、僅かであったが、下の辺りに“探偵事務所”という掠れた文字が唯一確認出来た。それ以外は、何のビルなのかさえ情報がまるで掴めない。ちゃんと管理されているのかも疑問である。


「全く、アイツは。よくこんな所で生活できるな」

「え? ここ誰か住んでいるんですか?」


 あり得ない、とでも言いたげな白石の表情。

 確かに、この外観だけ見たのなら、誰もここに人が住んでいるとは到底思えないだろう。

 

「ああ、一応ね。まぁ正式な手続きもしていないから、一般的には違法だけど」

「え!? それダメじゃないですか ……! と言うか、こんな廃墟に住んでる人間って誰なんですか? ちょっと普通の神経じゃないですよ。しかも象橋警視庁のお知り合い……ですよね?」

「ハハハ。それはごもっとも。でもね、ここの住人は一応“君も知っている”人だよ、白石君」

「え?」


 象橋の言葉に少し驚く白石。

 彼女はこんな所に住む人間に、心当たりは全く無いと思った矢先……。


「――誰が普通の神経じゃないって?」

「きゃッ、出たッ!」


 ビルの奥へと進んでいた二人の背後から、突如音も無く姿を現した一人の男。

 突然の事に、驚いた白石は腰を抜かして、その場に倒れ込んだ。そして白石が恐る恐る振り返ると、そこにはあまり良くない目つきに、派手な柄シャツ。独特な煙草の匂いと、煙をフーっと吐き出す金無一千万の姿があった。


「あ、あなたは……一千万さん……!?」

 

 驚く白石を他所に、一千万の手には作りたてのカップラーメンと、英語で表記されたウイスキーのボトルが握られていた。


「なんだ? お化けでも見るかの様な目で見やがって」

「お前本当にまだここに住んでいたのか」

「住まいなんて問題じゃねぇだろ。それに、お前らが思っているより“新築”だからな」


 一千万は二人に意味深な事を言うと、そのまま徐に象橋と白石を掻き分け、更に奥へと進んで行く。廊下の一番奥にある扉の目の前で止まった一千万は、ドアノブを回し、勢いよく扉を開けた。

 すると、そこにはビルの外観からは到底想像できない程の、高級感溢れる、ラグジュアリーな空間が広がっていた。


「なにこれ!?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった白石。驚くのも無理はない。一体どうしたらこんな部屋に仕上がるんだ、と言うぐらい清潔且つ、高級感が部屋全体に醸し出されているからだ。

 机、ソファ、テレビに棚に観葉植物から水槽まで。シンプルながらも何処かインパクトもあり、一つ一つの物や家具が、明らかに高級そうな物だと一目で分かった。


 床から机の上、水槽の水も観葉植物の周りもゴミ一つない。まるでリゾートホテルの様な綺麗さだ。

 七十インチはあろうかという大きなテレビは、お洒落な壁と共に埋め込まれ、これまた高価そうな煌びやかな棚には、日本酒やワインやウイスキーといった、様々なお酒が綺麗に並べられていた。


 この圧倒的な部屋の貫禄に、白石が思わず声を出して驚くのも頷ける。外の廃墟を見た後ならば尚更であろう。数年前に何度か訪れた事があった象橋でさえも、その変化に少々驚いている様子だ。


「これはまた……。前よりだいぶ豪華になってないか?」

「古い建物を綺麗にする、リノベーションとかいうやつらしいぜ。どいつもこいつもろくな仕事持ってこねぇからな。割に合わないから報酬金の他に酒と煙草とプラスαを要求してたら、いつの間にかこうなってた」


 笑いながら話す一千万。

 すると、部屋の奥にあったもう扉が突如開き、中から二人の女性が出て来た。


「お帰りなさいませ、一千万さん」

「丁度終わりましたので失礼します」

「おう、ご苦労さん」


 最低限の言葉を交わし、その女性達は部屋を後にした。

 彼女達は何だ? こんな所で何をしているんだ? まさかそういう如何わしいお店? 薬の密売人? いや、それとももっと危険な――?


 白石の頭の中は一瞬で“?”マークが溢れ返ったが、その疑問を聞いていいものなのかと躊躇しているのであった。

 昨日会った時から、早くも白石がどういう若者であるか理解し始めていた一千万は、表情に出やすい白石の顔を見て言った。


「おい、言っておくがあれはただのハウスキーパーだぞ。色々と訳アリでな、行く当ても仕事もねぇって言うから俺が雇ったんだ。ここは風俗でもなけりゃ、薬の売買ももしてねぇ。スッキリしたか? お嬢ちゃん」

「え、あ、アハハ……! そんなッ、別に一千万さんの事を疑ってなんていませんよ……! 象橋警視長のご友人ですし!」


 心をそのまま読まれた白石は必死に誤魔化していたが、子供より下手な嘘に、一千万と象橋は何と声を掛けていいか分からないぐらいであった。


「おい。やっぱあのお嬢ちゃん、警察向いてねぇぞ」

「ハハハ……。まぁ、それも白石君の個性だよね」

「なんだそれ。まぁそんな事はどうでもいい。で? 肝心な要件は」



 談笑から一転、一千万は早く本題に入れと、カップラーメンを啜りながら鋭い視線で象橋を見た。


「ああ、分かってるよ。“私”もそれなりに忙しい立場だからね」

「何を偉そうこいてやがる。その他人行儀な喋り方も癇に障るな。私なんて言う柄じゃねぇだろ」

「お前と話していても一応警視長。それに部下の前でもあるからね」

「アホらしい。じゃあその部下を連れてわざわざ来た理由を早く話せ」

「お前が話を逸らしたんだろ? って、まぁいいか。今回来たのはな、一千万。折り入ってお前に頼みたい事があるんだ」


 いつも穏やかで優しい象橋が、真剣な口調で一千万に言った。その口ぶりと態度を見た白石は、何か特別な理由がありそうだと察した様子。更に、それは古くからの付き合いであった一千万もまた同様であった。しかしそれ故、一千万の直感が真っ先に感じた事。


 それは……“面倒くせぇ”であった――。


「断る」


 象橋の目を真っ直ぐ見て、きっぱり断りを申し出る一千万。


「おいおい、まだ何も言ってないだろ」

「無理だ。面倒くせぇ匂いがプンプンする」

「ハッハッハッ! 流石だな。一千万にその力を、遺憾なく発揮してもらいたい」

「やらねぇっつってんだろ!」

「いや、お前は断れない。何故なら、断ればお前を逮捕するからだ」

「は?」

「お前が行ってきた違法行為の数々。どれか一つでも見つかれば、即死刑ものの罪ばかりだ」

(一千万さん……あなた今まで何をしてきたんですか……)


 サラッととんでもない会話を横で聞いた白石は、心の中で静かにツッコミをいれていた。勿論言葉には出来ない。


「おいおい、警視長様が脅迫か? それこそ立派な重罪だろ」

「ああそうだ。だからこれは“俺”からの提案。お前も面倒くさい事は御免だろ? だったら今までの様に、仕事の一つとして受け入れるか、はたまたお互いに罪を曝け出し、仲良く刑務所にでも行くか。どっちにする? 一千万」


 少しだけ雰囲気が変わった象橋。そんな彼を見て、何故か一千万は嬉しそうにニヤリと笑った。


「ふん、やっと“俺の知ってる”お前に戻ったか。お高く留まってないで、初めからそうしろや。取り敢えず話だけ聞いてやるよ」

「お高く留まっているつもりはないがな。まぁなんだ、色々事情が重なって“こう”なったんだが……。今回、警視庁に新たな部署を作る事になってな」

「え、そうなんですか?」


 初耳であった白石も驚きの表情に。


「ああ。今でもサイバーテロ課や特殊捜査課といった、公になりにくい事件を担当している部署があるが、今回新たに作る部署は更に特殊。

その部署は超トップシークレット扱いで、この話を知っているのは、俺を含めた上の者達数人だけだ」

「何ですかその話……って、ちょっと待って下さい……!  それ今聞いちゃいましたけど私……。いいんでしょうか」


 象橋の口から語られた超機密事項。そして、それを何故か聞いてしまった新米刑事の白石は、当然戸惑いを隠せなかった。だが困惑する白石と対照的な一千万は、少しの動揺もないまま話を進めた。


「お前ら警察の真意なんてどうでもいいが、大丈夫なのか? その超トップシークレットとか言われるものに、このお嬢ちゃんを使って」


 一千万は率直に意見を述べた上、心底呆れた視線で白石を見た。彼の言葉で理解したのか、白石も妙に納得した表情を浮かべながら、何度も頷き象橋に確認する。


「何かの冗談ですよね? 私には理解出来ない、凄い話をしているみたいですけど、まさか私なんかがそんな……「そうだよ白石君! 君には、この新設する部署に配属してもらう」

「えぇ!?」


 白石の動揺を遮る様に象橋が勢いよく言った。


「おい、待て。話がどんどん面倒くせぇ方向に転がってるぞ」

「ちょ、ちょっと待ってください象橋警視庁! 全然頭が追いついていません私……!」

「ハハハ、大丈夫だよ白石君。理解する時間は、これからたっぷりあるからゆっくり受け入れてくれればいいよ」

「いや、あの、私が言いたいのはそうではなくて……!」


 白石が慌てた様子で皆まで言いかけた瞬間、彼女の肩を掴んだ一千万が、同情の声色で言葉を漏らした。


「諦めろ、お嬢ちゃん。もう真吾のペースにハマった時点で詰みだ」

「え? で、でもッ……そんな……!」

「いいか、今のお前が考えるべく“何故”ではなく、その超トップシークレットの“内容”だ。それが何処までお前の命に関わるってるか分からない」

「内容……?」

「だってそうだろ。その内容が、どこまでお前の命に関わっているかまだ分からねぇんだから」

「い、命ッ……!? 私死ぬんですか!?」

「こらこら。そんな脅すなよ一千万。安心してくれ、白石君。命に関わる様な危険は多分ない」

「今多分って言いました?」


 安心させたいのか、不安にさせたいのか。何とも曖昧な感じでそう言った象橋の表情は、どっちつかずな笑みが浮かんでいた。


「その笑顔はどっちなんですか象橋警視長! 私死ぬんでしょうか!?」

「うるせぇな。少し落ち着け。話が進まねぇだろ。……おい真吾、新しい部署だかなんだか知らねぇが、それが何故コイツを選んだ挙句に、俺と関係してくる?」


 徐々に話が逸れていく所を、一千万が核心を突きながら戻した。

 

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