第六膳 『初めてのハンバーグ』

 俺の部屋には料理の本がたくさんある。

 昔から料理本を買うのが好きだった。

 写真を見て、材料を見て、作り方を見て、どんな料理が出来上がるんだろう? どんな味がするんだろう? なんて想像するのが楽しかった。


 色音はこの家に来てからというもの、その料理本ばかりを眺めていた。

 それ以外の本がないからと言うのが本当の理由かもしれないが。

 次々にページをめくっては熱心に眺めている。


「なにか食べたいものはあった?」


 瞳をキラキラさせながら小さくうなずくと、一番年季の入った一冊を取り出してきた。まぁ偶然かもしれないが、それは俺が初めて買った一冊で、今も一番のお気に入り本だった。ページをパラッとめくり、両手で開いて見せてくれた。


「お。ハンバーグか! いいね。これは作ったことあるよ。すごくおいしかった」


 そう。この本のレシピはいろいろと作ってみた。どれも写真通りに作れて、すごく優しい味がしたのを覚えている。

 俺が料理の楽しさを知ったのは、まさにこの本からだったのだ。


 そこでひらめいた。


「あのさ、このハンバーグ、自分で作ってみたらどう?」


 あれ? なんか白くなってる。

 どうやら想定外すぎて思考がパンクしているらしい。


「鬼の修行第二段階。お題、ハンバーグ。この本の通りに作ればちゃんと美味しくできるから、チャレンジしてみたらどうかな」

「おお! 修行!」


 どうやらその言葉が効いたらしい。色音はひとつうなづくと、決意の表情も凛々しく自分でブルーストライプのエプロンを巻いたのだった。


 さて、どんなハンバーグを食べさせてくれるのだろう?

 今日はわたしのお腹がぐぅと鳴った。



  💐 💐 💐



 今、色音が泣いているのは、俺の無茶ぶりのせいじゃないぞ。

 犯人は玉ねぎだ。白くて丸くてキューピーと同じくとんがった頭をしているくせに、同族の天使を泣かせるなんてなんて奴だ。

 いや、そんな冗談を言って誤魔化している場合では無い。


 泣いている色音を見ているのは、なんとも……俺の方が落ち着かないのだ。


「し、師匠~。目がパチパチします~」

 包丁を持ったままの手で目をこすりそうになる。


 あ、危ない!


 慌てた俺は咄嗟にタオルで顔を拭いてやった。

 できるだけ優しくぽんぽんと。されるままに揺れている色音。

 やっぱり手元が危なっかしくて仕方ない。


「ありがとうございました。でも、まだ開けられない。師匠、玉ねぎって最強の武器ですね」

「い、いや、それは大げさ過ぎでは」

「だって、目を潰されたらこっちは手も足も出ないですよ~。今だったら簡単にやられちゃいますよ」


 一体なんの戦いを繰り広げるつもりなのだろうか? 

 包丁振りながら力説されてもなぁ。


 んんん……目を瞑ったままこちらを向かれたら……その、俺の方が変な気分になるのだが。可愛く文句を唱える口元が、クローズアップされてしまう。


 いやいやいや。今は料理の修行中。

 だが、俺も何かを試されているような気がしてならない。横で静かに精神統一。


 ようやく目が落ち着いたらしく、その後はふんふんと鼻歌を歌いながら、時々レシピ本を覗きながら、ハンバーグのたねを練り上げていく。

 バターで飴色にいためた玉ねぎ。合いびき肉には塩、コショウとナツメグ。

 牛乳にひたしておいたパン粉と卵を混ぜてふんわりと丸めたら、フライパンに火を入れる。


 オリーブオイルが柔らかくなったら、真ん中を潰したを入れて……とそこでまた色音が声をあげる。


「あっつっつ!」

「大丈夫か!」

 慌てて火を弱めてから、色音の手を掴んで流れる水道水の中へ。 

「師匠、やっぱり料理は命掛けですね」

「いや、だからそれは……」

「今度は熱油攻撃でした。どこにどう飛ぶかわからないから、どんくさい私ではかわしきれません!」

「あ、まあ、顔だけは近づけないように気をつけて」

 

 ふと、初めて料理した時のことを思い出した。

 最初はおっかなびっくりで、特に火を扱う時はドキドキしたな。今ではじゅわっという音は美味しい音に聞こえるが、最初は飛び跳ねる油や、巻きあがる湯気に火傷しそうになったものだ。

 それも、だんだんタイミングがわかってきて、手の皮も厚くなってきて。

 いつの間にか慣れてしまっていたけれど、初めて作る色音には驚く事ばかりなのだろうな。

「今日は命がけ体験、いっぱいだな」

「はい。こんなことを何気なくやっている師匠は、やっぱり凄いです!」

 火傷の跡がうっすらと赤くなっているなと、覗き込んだ俺のすぐ横に、色音の笑顔がある。思わずドキリとして体を離した。


「く、くすり取ってくるから」

「ありがとうございます!」


 ひっくり返す時に崩れたり、肉汁が赤いまま取り出しそうになったり、反対に焦がしたり。色々な初めてで格闘している色音。『ちょうど良い』を見つけるのって、実はとても難しいことなんだよな。


 でも、俺の皿に盛り付けられたハンバーグは、艷やかな肉汁がテラテラとこぼれ落ちてきて、思わずツバを飲み込むくらい美味しそうだ。

 とろりと添えられたデミグラスソースもいい色をしている。

「凄く美味しそうだね」

「うわぁ! 師匠にそう言ってもらえて嬉しいです。早く食べてみてください」


 その言葉に、俺は一欠片パクリと口に入れた。

 柔らかな肉から溢れ出る旨味。コショウとナツメグの香りがふわりと鼻に抜けて、まろやかなソースの甘みと塩味が舌を包む。

 初めてでこの出来は最高だ!


「美味しい! 最高だよ。色音、料理の才能あるよ」

「やった!」

 飛び跳ねて喜ぶ色音。本当に、初めてにしては良くできている。

 弟子の成長を見つめるって、こんなに嬉しいものなんだな。

 思わず目を細めた俺。目をくりくりとさせた色音と目が合った。


「一緒に食べようよ」

「はい」

 俺が横で作っておいたポテトサラダとコーンスープを添えて。

 二人で一緒に「「いただきます」」


「師匠が美味しいって言ってくれた~。本当に嬉しい~」

 何度もそう繰り返しながら、色音も自分で作ったハンバーグをぱくぱくと頬張っている。

「いつも師匠に作ってもらっていて、とっても幸せなんです。でも、自分で作ったハンバーグっていうのも美味しいものですね」


「今日は色音にご馳走してもらったね。ありがとう」

 照れくさそうに満面の笑みを浮かべた色音。


 やっぱり、笑顔が一番似合うと思った。

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