第五膳 『おでかけとちらし寿司』
朝起きて『おはよう』とあいさつすること。
誰かのために朝ごはんを作ること。
『今日の晩御飯はなに?』なんて聞かれて、『なにが食べたい?』そう聞き返すこと。
そんな一つ一つが久しぶりのことで、色音が来た当初は戸惑いの方が大きかった。
新鮮でもあり、こそばゆくもあり。
でも、いつの間にか俺の生活の一部になり、当たり前になっていたんだ。
そんな日々の中、久しぶりに色音の答えに固まったのは今朝のこと。
夕飯のリクエストを尋ねたら、色音の口から出た料理名。
『ちらし寿司』
お、おう。ちらし寿司ね。
なかなか渋いリクエストで。
まぁ寿司よりはハードルが低いか。いや、むしろ高いか?
どの程度本格的に作るかにもよる。
そもそもちらし寿司っていろいろ種類があり過ぎるし。
とにかく見た目はきれいに仕上げたいところ。
と、そんな俺の胸中を知るはずもなく、期待に目を輝かせて見上げてくる。
その様子からして、何か思い描いている『ちらし寿司』がありそうだな。
そういえば、ちらし寿司を作るなんて何年ぶりだろう?
そもそも具材は何を入れてたんだっけ?
刺身系の具材は大丈夫なのかな?
これだけ頭を使う料理も珍しい。
そうだ。それをいっぺんに解決する方法があった。
「よし、じゃあこれから一緒に買い物に行こうか!」
💐 💐 💐
「はい! 行きましょう!」
高速で準備万端整えた色音。もう玄関で靴を履き出している。
いや、ちょっと待て。俺の方がまだ準備できていないぞ。
ふと、
年頃の女の子だったら、可愛い鞄の一つや二つ持ちたいだろうな。
本当は近所のスーパーで食材だけのつもりだったが、俺は車のキーもポケットに放り込んだ。前回はゆっくり周れなかったショッピングモールにでも連れて行ってあげよう。半袖の服も揃えておいた方が良さそうだしな。
車に乗り込んだ俺を見て、色音が驚きの顔になる。
「花丸スーパーに行くんじゃないんですか?」
「まあ、ついでに服とか鞄も買いに行こうよ」
「……いいです。今ので十分です」
「でも、もうすぐ暑くなるから、半袖を買っておいた方がいい」
「修行が終わったらいらなくなっちゃうからもったいないです」
「でも、まだかかりそうだろう」
情けない顔になって謝ってくる。
「すみません! 師匠。出来が悪いから時間がかかってしまって」
「色音は頑張っていると思うよ。でもまあ、修行ってものは時間がかかるものだからね」
「お料理の修行もそうでしたか?」
「ああ」
その言葉に、ようやく安心したように微笑んだ。
「ついでに、色音のエプロンも買おうか。料理の修行には必需品だからな」
「師匠! 料理の弟子入りも許してもらえるんですか!」
「もちろん」
「ありがとうございます!」
休日のショッピングモールは人で溢れていた。最初はあんなに緊張した二人での外出。でも、なんだろう。今日はそれなりに様になっているような気がする。
年の差カップルに見えるだろうか?
いやいや、俺は何を言っているんだ。どう見たって保護者だろう。
慌てて顔を引き締めた。
最初のうちは遠慮していた色音も、途中からは楽しくなってきたようだ。
あれこれ試着したり、あっちのお店、こっちのお店と覗きまくって、ようやく気にいった商品を見つけてご満悦だ。
「荷物持つぞ」
ぶるんぶるんと首を左右に振ってぎゅっと紐を持ち直す。
「持つのも嬉しいんです」
うん。そうだよな。わかる。
「色音、どんなちらし寿司がいいかな。栄養のことを考えると野菜を混ぜ込んでもいいかな。しいたけ、にんじん、レンコン、タケノコ、こんにゃく、油揚げ」
「うわぁ、美味しそうです!」
「ナマモノは? 鮪、海老、鮭、いくらとかはどうかな?」
「どれも大丈夫です!」
「他には……」
ついっと色音が進路を変えた。
あれ?
へばりついたのはケーキ屋さんのショーケースだった。
帰りに買って帰るか。そう思っていたら、色音がちょいちょいっと俺を呼ぶ。
「師匠、こんな形のちらし寿司が食べたいです!」
「ケーキのような形のちらし寿司?」
満面の笑みで頷いた。
そういうことか。色音は何かでケーキ型のちらし寿司を見て興味を持ったんだな。
「了解。じゃあケーキの型も一緒に買おうかな」
「やった! 師匠ありがとうございます」
本物のケーキと並べて食べるのも楽しそうだと思った。
家に帰って早速ちらし寿司づくりに取りかかる。
隣には新しいエプロンに身を包んだ色音。
選んだのは爽やかなブルーストライプで、淵にフリルのついた可愛らしいエプロン。
「師匠、師匠どうですか? 似合ってますか?」
「おお、似合っているよ」
照れて小さな声になったからか、色音がじーっと俺を見つめてきた。
「師匠、本当に似合っているって思っていますか? なんだか言いたくないのに無理に言ってるみたいです」
しょぼんとしてしまった。まずい!
慌てて付け加える。
「もちろん。本当に似合っていると思っているよ。か、可愛いよ」
「本当ですか?」
うんうんと頷くと、ようやく笑みを見せた。
「師匠、もう一度言ってください」
「何を?」
「ぷう。可愛いって言葉です!」
「な!」
「その言葉、とっても嬉しかったんです。だから、もう一度言ってください」
こんなおねだりのされ方したら、俺の心臓がもたないだろう。
心拍数が上がりまくって今すぐぽっくり行きそうだ。
もつれる口元を必死で動かす。
「……可愛い」
「うふふ」
大満足な笑みを浮かべた色音。
「じゃあ、張り切って作りましょう!」
それぞれの素材の下準備が終わったら、ケーキ型に詰めていく。
まずは、酢飯を三分の一詰めて、その上に甘じょっぱく似た野菜類。
また酢飯を三分の一詰めて、桜でんぶを敷き詰める。
更にその上に残りの酢飯を詰めてから、錦糸卵で覆う。
黄色い絨毯の上に、イクラと海老を散らす。
「これも飾ったらどうかな?」
くるくると巻いたサーモンを色音に見せると、パアッと顔を輝かせた。
「うわぁ、お花みたいです」
真ん中にたくさん飾ったら、まるで薔薇の花束のような『ちらし寿司ケーキ』の出来上がりだ。
「ケーキが二つ! 今日は特別な日みたいですね」
「特別な日だろう。色音が来て一か月がたったお祝い。後、弟子入り記念」
「師匠~」
うるうるし始めたところへ慌ててナイフを渡す。
「さあ、切ってごらん」
崩れないように静かに切り分けてみると、綺麗な断面が見えた。成功したかなと胸を撫でおろす。
「中も綺麗。食べるのがもったいない」
「でも、食べないともったいない」
「うふふ。そうですよね」
二つのケーキを切り分けて、二人で「「いただきます」」と声を掛け合う。
こんな風に声がハモルのも、今ではすっかり日常となった。
一口パクリとちらし寿司ケーキを入れた色音。ほっぺたを抑えて嬉しそうだ。
「美味しい。幸せ~」
「ちらし寿司の修行、合格だな」
「甘々師匠ですね。でも嬉しいです」
「なんだと、生意気な。どんどん厳しくなるから覚悟していろよ」
「はい」
厳しくすると言ったのに、なんだか楽しそうだ。
「いっぱい、いっぱい修行させてくださいね」
「お、おお」
修行が続いている間は、一緒にいられるんだよな。
ふと、そんなことを思った―――
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