第三膳 『シチューと苦手料理』

 次の夜からは、色音と交代。俺がベッドで色音には床に寝てもらうことにした。

 毎日落ちてこられても困るし、ストッパーになるようなものもないしな。

 色音の寝相の悪さは筋金入りだ。コロコロとどこまでも転がっていく。

 ちょっとした隙間にも足や頭を突っ込んで寝ている。まあ、器用に掛布団ごと転がっていくから、もう心配するのは止めにした。


 それよりも更に心配だったのは、俺が会社に行っている間の様子。

 今のところは何のトラブルにも巻き込まれること無く、平穏に小さな善行を積み重ねているようだ。おばあさんの荷物を持って階段を登ったとか、公園で子ども達の遊び相手をしたとか。それが天使の国の貯金箱にとって、どれほどの足しになっているかはわらないけれど。


 反対に俺の日常は大きく変わった。今までは仕事に振り回されていたが、夕飯を作らなければと考えたら、このままではいけないと思った。なるべく要領よく仕事をこなして、残業を減らす努力をしている。帰ったら一緒に色音と食卓を囲む生活。

 一人暮らしで忘れていた健康的で規則正しい生活が戻ってきた。


 やっぱり……一緒に食べる人がいるっていいな。


 今日のメニューはホワイトシチュー。


 だが珍しいことに、色音はスプーンにも手を付けず、その両手は膝の上に乗ったまま。しかもなんだか泣きそうな顔をしてじっとシチューを見つめている。


 これまで一緒にご飯を食べてきたけれど、色音が好き嫌いを言ったことは無かった。どれも嬉しそうに、楽しそうに食べていた。だからてっきり嫌いな食べ物は無いと思い込んでいたんだよな。

 今日は花冷えで寒かったから、体の温まるものをと考えて用意したホワイトシチュー。

 なのに、なんだか微妙な空気が俺たちの間に流れている。

 ボタンを掛け違えたような、しっくりこない違和感だ。


 もしかして……牛乳が苦手だったのか。


 まぁ誰にだって苦手な食べ物はあるものだ。

 だからこそ食べたくない気持ちもよくわかる。


「……俺もさ、昔は牛乳が苦手だったんだ。ついで言うとセロリとグリンピースは今も苦手なんだよね」


 その言葉にキョトンとした顔で俺の顔を見つめてきた。


「まぁ苦手なものなんて誰にだってあるよ。無理する必要はないんだ。でもね、ちょっと食べてみたらどうかな?」


 口ではそう言いながらも、食べてみてほしいという気持ちが沸き上がる。

 味覚は食べたものによって変化していくことができるから。

 昔は苦手だったものでも、食べた料理によって好物に変わることだってあるのだから。これをきっかけに牛乳を使ったたくさんの料理が大好物になるかもしれないじゃないか。


「元牛乳嫌いの俺が開発したとっておきレシピなんだ。味見だけしてごらんよ」


 ニッと笑ってそう言うと、覚悟を決めたのか色音は神妙な面持ちでうなずいた。


「い、いただきます」


 それから慎重に、おっかなびっくり、スプーンの先をシチューにひたした……。



  💐 💐 💐


 突然、目の前の光景に既視感を感じた。


 そういえば。前にもこんなことがあった。

 心の奥底に封印していた記憶が顔を出す。


 ……桜子。


 目の前の色音と、六年前の桜子の姿が重なった。彼女もホワイトシチューが苦手だった。でも、俺の言葉に応えて、がんばって一口食べてみてくれたんだ。

 あの時の彼女は―――


「あ、美味しい!」

 色音の目が驚きと喜びで輝いた。

「私、牛乳だけは苦手だったんです。でも師匠のシチューは甘くて優しい味」


 ―――そう、桜子も同じことを言った。

『美味しい! 牛乳苦手だったけど、あんたのシチューは甘くて優しい味がするね』 



 俺のホワイトシチューはちょっと特別だ。なぜなら、牛乳嫌いの俺自身が食べられるように工夫したから。


 少し大きめに切った野菜と鶏肉をバターで炒めて、白ワインをかけて蒸し煮にする。弱火でじっくりと火を通したら、野菜の旨味が溶け出して風味豊かなスープになるんだ。とろみをつける小麦粉をなじませてから、ひたひたの水を加えてひと煮たち。

 そこへ色づく程度の牛乳を加える。牛乳少なめなのがコツさ。

 それでも野菜の滋味が溢れているから、決して薄い味にはならない。野菜の甘みも最大限に引き出された、栄養満点のホワイトシチューだ。


 一口食べて安心した色音。舌の上を転がしながら、味わっている。


「師匠、これなら食べられます! 実はこの間冷蔵庫で牛乳見つけて飲もうとしたら、匂いがオエーって感じだったんですよ。だから嫌だなって。でも本当は牛乳って美味しかったんですね」


 色音の味覚が広がって良かった……そう思うと同時に、苦い思い出も蘇った。


 そう、かつて俺は大きな勘違いをしていたんだ。

 料理で、誰かの人生を変えられるんじゃないかなんて。大それたことを夢見てしまった。


 そう思わせてくれた桜子に、それが間違いだったと突きつけられた。

 そして、桜子は消えてしまった―――売上金と共に。


 だから、俺は店を閉めた。

 己の料理が、酷く欺瞞に満ちていて恐ろしくなったから。

 誰かのために作っているなんて綺麗な言葉で誤魔化して、実際は自分の自己満足のために作っていただけじゃないか!



 目の前でハフハフと美味しそうに食べている色音を見て思う。

 俺はまた同じ過ちを繰り返すところだった。

 俺にできることなんて、せいぜい一食の喜びを与えてあげることだけ。

 それなのに、色音に新しい世界を開いてあげたかのように、おごり高ぶった気分になるなよな。


 黙り込んだ俺を心配そうに見つめてきた色音。徐に食レポを始めた。


「このシチュー、口に入れた途端ジュワーってお野菜の甘みが広がるんです。で、牛乳がそれをくるんでトロトロって柔らかくしてくれて、次に塩の味がして舌がしゃきーんって引き締まるんですよ。そうすると頭にピコーンって『お・い・し・い』って言葉が浮かんでくるんです!」


 瞳をくるくるさせながら一生懸命説明してくれる。擬音語が多くて、何を言っているのか分かりづらいけれど、なんとなく、気持ちが伝わってきて思わず涙が出そうになった。


「そうか。ありがとう」

 絞り出すように、俺は礼の言葉を口にした。

 パァっと嬉しそうに笑った色音。


 その笑顔が、心にじわじわと広がっていく。


 そうか。そう言うことだったんだ!

 例え俺の自己満足だったとしても、今色音が感じてくれた『美味しい』は、色音を幸せな気持ちにさせたんだよな。

 別にそれでも、いいんだよな……。


「え~、師匠、お礼は私が言う番ですよ! 牛乳が美味しいって教えてくれてありがとうございます! これからじゃんじゃん牛乳料理チャレンジしますー」 


 その言葉が、俺を救ってくれた!


 牛乳の味を知って広がった世界。色音にとっても迷惑では無かったんだな。

 

 そう思えたら、かつての俺のことも、少しだけ許せるような気がしたんだ―――


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