005 局部ダメージの気絶から覚めたら


「ちょ、ちょっと? ねえ、気絶するならせめて放してからにしてよ、僕が悪いみ」


 自らの不運さを嘆きながら意識が闇に沈んだ直後というか直前だろうか? 闇が訪れる間際に男というかまだ少年くらいあどけなかった彼が地面衝突だけは避けさせてくれたような気がしたのとやっちゃったみたいな声が聞こえたように思ったが溶けていった。


 闇。闇。闇。真っ暗闇の中をレィオは泳いでいるような散歩しているような感じ。


 ――えー、なにがあったんだったっけか?


 意識が蘇ったレィオがふっと考えたのはなぜに自分が闇のお散歩を楽しんで、はいないがそれでも闊歩して闇を蹴飛ばしているんだろう? だった。ただ、不思議な闇だ。


 股間の局部が異常にドクンドクン痛む。なにかあったっけ。とか思ったりしていると暗闇になにかの映像が流れてきた。誰かの見た夢をさらにレィオが見ているかの如く。


 映像は流れていく。流れてすぐ背後に消えていくのだが、妙に既視感のあるというか生々しい夢だ。砂漠の民たちに共通の褐色肌。血の海。肉の塊たちという死体数多。泣いている少年少女。逞しいレィオとそう変わらない歳の青年たち。そして、美しい――。


 ――がばっ! レィオは飛び起きる。先まで見ていた夢、なのかと聞きたくなるくらい凄惨で生々しくて恐ろしい悪夢はなんだったのかを考える。考えても答はでないが。


 だって、レィオに夢診断だなんて精神科分野に該当する異色の才能があれば前事務所長とあそこまで激しい、少なくとも魔攻で応酬しあうほどの喧嘩にはならなかった筈。


 だから、ただの夢。ただの悪夢。ただ、気味の悪さを感じるし覚えるのはそうだ。


 特に今、出張で砂漠の民が住まう地ファヴァーヤ王国を目指しているわけだし。気分悪い。だけども、夢の残滓を手繰ろうにももう欠片さえ指先に引っかかりゃあしない。


 と、スルと音がしてレィオの胸板辺りから上等そうなローブが滑り落ちていったので首を傾げる。はて、誰の? だって、確かめる必要もなくレィオはコートを着ている。


 お陰で寒暖差激しいどころじゃないこの砂礫の国への入り口付近でも体調は良状態を保てている。日中は気温四十から五十度前後。なのに、朝晩は日によってマイナスまで落ち込む時もあるとマドレアヌ出発前に購入していた旅行者用のムックに書いてあった。


 レィオは胸から滑ったローブを手に取ってみる。一目見てかなりの上物だと思ったがそれ以上かもしれない。いや、価格帯が高いというよりは素材がすこぶるいいお品様。


 丁寧な仕事をする職人が一本一本絹糸を織ってつくりあげた生地を裁断し、仕立てたと思われるそいつを探査眼鏡テルストアを通して観察。検索結果があがってくる。ファヴァーヤの伝統工芸でもあり婦女子の嗜みたる機織りの一流派であるコリエル織で玄人な素人の作。


「……織物が珍しいの?」


「うほぉおおおおおおい!?」


 集中してローブを観察していたら急に声をかけられて跳びあがるほど驚いてしまったレィオはドッキンドキン緊張とびっくりで異常心拍を叩きだす心臓が口から飛びださないよう口を引き結び声のした方へ振り向く。青紫色のシフォン布地が美しい衣装の少年。


 あの時、レィオを失神にいたらしめ腐った凶悪凶暴キックをお持ちのあの少年が片手に肉の塊を持っていた。が、彼はレィオが少年を認識すると同時に興味を失った様子。


 そばで焚かれている火のそばに座ってストンウォーリザーの鱗を剝がしたナイフを手に取って豪快すぎる塊肉を一口大に切りわけていき、木を削ってつくったと思しき串に突き刺して焚火であぶりはじめた。少年は黙々作業していく。小分け調味料をボウルに。


「……。なに?」


「え?」


「だから、僕になにか用事でもあるの? ひとのことじーっと見るなんて不躾だよ」


「いや、あの特にな、いやある!」


「どっちさ」


 小分けにされて小さなボトルに入れてあった各種調味料をボウルに落としていっていた少年が急に声をかけてきた。なにか用事か、と。ついでに心底不快そうにチリっ、なんて音がつきそうな視線で射抜いてきたし、じろじろ見るなんて不躾だ、と叱ってきた。


 これに、相手の勢いに若干気圧されそうになったレィオである。が、突然脳裏にひっじょうに痛い思い出が蘇ってきたので特にない、と言いかけて修正した。力いっぱい。


 そして、真っ昼間だったのがいつの間にやらツキン、と冷える氷点下な夜になっていることからしても結構長時間気絶していたらしい。そのことも併せて抗議しておいた。


「お前な、いくらなんでも股間は蹴んなよっ。危うく男の切なさが破裂して息子と完全離別するところだったじゃねえか!? どうしてくれんだよ、俺はまだ不能になんて」


「ごめんね。僕そういう下品な言葉聞く耳持っていないから流すよ。だいたい主だった原因はあなたにあったんじゃなかったっけ? レィオさん? いきなり抱きついたり」


「だからって必殺蹴りはなくね!?」


「ふん。当然の報いさ。だから流すね」


「当然どころかいきすぎた苛烈と気づけ! ってか堂々と流そうとすんなよっ!?」


 憤るレィオ。けど少年は聞く耳を本当に持たないらしくってツン、とそっぽ向きつつも両手は銀製のボウルに調味料を適量入れて軽く木のスプーンで攪拌。ボウルを焚火にかけてからそこでようやく覆面の口布部分をほどいた。儚げ、と思ったが以上に綺麗だ。


 美少年、との称号を授けるに値するであろう彼の容姿は完璧な美だった。淡い琥珀色の肌に長い睫毛。筋の通った綺麗な造形の鼻梁。赤みの乗る整った唇。そして、なによりレィオが驚いたのは彼の瞳。宵の蒼と白銀と黄金が光の加減で色あいを変える不思議。


 惹き込まれそうな、吸い込まれそうな澄んだ瞳は獣の野性味と麗人の詩的な美しさを備えている。昼間の珍事も彼方になってしまいそうな美しさだったが、流すのは無理。


 レィオは聞き入れられない、と思いつつもぶっすーと拗ねて口を尖らせてみせる。


「ところで少年はこの辺のコ?」


「この辺りで活動はしているけど。それがなにかな、変顔おじさん? んーっとそろそろいいかな? ストンウォーリザーの肉ってしっかり焼かないとにおいきついからな」


「誰がおじさんだ? 名前知ってんだから個人認証カード見たんだろ? 歳もチェックしたんじゃないのか少年、って呼び続けるのも失礼だと思うし個人的にはちゃんと名」


「それより腹ごしらえしない? アレから僕の衣手放させるのに苦労したんだから。まったくせっかく僕が織ったシフォンの布が皺くちゃになっちゃったよ。はい、このタレをたっぷりつけて食べるといいよ。僕の特製タレ。異国のひとは馴染みないかもだけど」


「ええぇー……あの蜥蜴食うのぉ?」


「命取っちゃったんだから食べるのが供養。都会の出だろうが関係ないでしょう?」


 そう言ってというか切り捨てて少年はストンウォーリザーの串焼肉を小鉢にわけたタレにくぐらせてかぷり。もうひとつの小鉢をレィオに渡してきたので渋々受け取って視線をちらり。少年はもう二口目に噛みついている。タレは本当にたっぷりとつけている。


 なのに、一滴たりとも零さない上品な食べ方をしている。食べ方に気品と色気すらにおわせる少年の行儀作法よさに脱帽するレィオだ。……なにもかぶっていないのだが。


 レィオは少年観察もほどほどに――なんだか見ていて心臓に悪いので――して自分も少年が調理してくれた巨大蜥蜴の串焼肉を手に取り、タレを滴るほどくぐらせてかぶりついてみるんだが、以外や肉自体は淡白であるも噛み応えもあり、タレの香辛料がいい。


 若干ヒリリとするんだけど香草の爽やかなにおいが立ってくれてそこまで刺激を感じないのでガツガツいける味だ。かなり美味しい。あの見た目からは想像つかんくらい。


 少年はにおいがきつい、と言ったがレィオは感じないというか少し、におうかなくらいだった。よってこの少年、機織りもプロ級でお料理も結構お上手ってことらしいぞ?


 レィオが相手の股間蹴り少年を見る目を変えつつ考え込んでいるうちに少年は食事終了していて、口のまわりにさしてついていないが少しついていたタレをハンカチで軽くふきふきして口布を直している。元通りの怪しい覆面少年に戻ってしまった。……残念。


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