第10話 同姓のコネ

 軍では夕飯どきになると、鐘が鳴る。時計は個人で携行できるものがあるが、懐を探るより、勝手に聞こえてくる鐘の方をありがたがる者も多かった。


「疲れた」


 ベルティアはよたよたと校庭に倒れこんだ。太ももの筋肉が痙攣し、容易に立ち上がれない。


(もしかしてこれが毎日続くのか? とても調査どころじゃないぞ)


 幼年兵の姿もなく、陽は沈み、急に騎士団での生活を思い出し、泣いた。

 大の男が情けない、俺は騎士だ、早く立って、飯でも食えばすぐに元気になる。そう思うこと自体が心の弱さだと、彼は涙で砂を濡らし、腿を叩いた。

 匍匐して校庭から抜け出した。肩に座するもらったばかりの階級章が白々しく月に輝いて、それが無性に悔しかった。


「甘えるなよ、俺。ストライカーの名まで泣かせる気か」


 渾身の力で膝立ちになった。息を整え、勢いをつけてようやく起立し、倒れないよう一歩ずつ歩く。壁伝いに食堂までたどり着くと、夕餉の匂いと人の賑わい、食器のこすれる音と談笑のやかましさにまた涙ぐんだ。

 今日の日替わり定食は焼き魚。味もよくわからないくらいに疲れていたし、晩酌の余裕もない。寮に戻るのも一苦労で、結局ベルティアは途中の廊下で昏倒した。自分の部屋まであと少しであったのだが、それゆえに気が抜けたようである。


「起きろ! おい、兵長! 部屋に戻れ」


 見回りをしていた少尉が発見し、頬を打った。


「す、すいません。意識が遠くなって」

「中途か、軍曹にしごかれたんだな? あの人は厳しいからな、まあそのうち慣れるさ」


 部屋に戻った途端、また意識が遠のいた。ベッドまであと三歩のところだった。

 翌朝、鐘の音で目が覚めた。昨日の今日ではあるが、疲労はさほど残っていない。行李にしまいっぱなしの予定表を確認し急いで校庭へ向かった。早朝の訓練である。


「薄汚い格好で訓練に来るな」


 九頭はベルティアを見るなり怒鳴った。風呂にも入っていなければ、着替えてすらいない。匍匐した時の汚れがべったりとくっついている。


「馬鹿者が。これからグラウンドを十周しろ。連帯責任だ、お前らもだ、いいな。かかれ」


 はいと返事を絶叫し、取り掛かる。第一歩目から足が引きつった。


「ノロノロするな!」

「はい!」


 これがホツマの軍人か。兵の従順さは騎士団よりはるかに勝る。そう思わずにはいられないほど、幼年兵たちは犬のように校庭を走りきった。

 負けるものかとベルティアも奮起した。足の痛みも忘れ先頭を譲らず、走り終えると九頭が神妙そうに訓示した。


「いいか。戦場では誰かが足を引っ張ると軍全体が総崩れになる。個人が目的を考え行動しなければ、たやすく死ぬ。お前たちはそういう現場に出るんだ、忘れるな」


 九頭は休憩を与え、組手を行った。昨日と同様のものである。


「兵長、お前は走れ。馬車馬のように走れ」

「あの、私だけなぜ走るのでしょうか」

「説明はする。だから走ってこい」


 顎をしゃくり行けと指示された。渋々ながら、それを顔に出さず、組手の気合いを聴きながらまた寂しい気持ちになった。

 朝食は九頭と一緒になった。彼の方から誘ってきたのである。


「早く食え。小休止の後、また訓練だ」

「でも、私がすることは同じなんですよね」


 九頭は「いやか」ときいた。叱るのでも非難するのでもない。かといって、ベルティアの言葉を嘲笑するようでもない。むしろ同情があった。


「いやってほどでもないんですが」

「幼年生では相手にならないだろう」

「だから、走っていろと?」

「焦るな。もう少ししたら、部隊に組み込まれる。もうじき大きな戦があるかもしれないからな」


 焦るなと言われてよかったと思う。それがなければあれこれ問いただしてしまいそうだった。


「編成先はどこでしょう」


 ホツマの料理は味が濃い。国としての特徴なのか、体を酷使する軍の食堂だからなのか、それはわからない。だがベルティアはこの味付けが嫌いではなかった。昨晩は砂を噛むようであったが、改めて味わうと実にうまい。


「適正というものがある。中途には座学があるはずなんだが、多分免除だろうな」

「なぜ」

「戦が近いからだ。即戦力を必要に応じたところにぶちこむ、本人の意思は、多分二の次になるかもしれん」


 そしてもうひとつ。箸を止めた。九頭は育ちがいいのか、飯をきれいに食う。ベルティアも騎士生活で他国の作法を仕込まれているので、二人の食事は非常にスムーズで耳障りな音もない。


「姫昏の縁者には必要ないだろう」


 それは俺を助けてくれあの人物か。それがなぜ縁者などと。一瞬の困惑のあとで思い出した。


「あ、ああ! 縁者、はい、確かに」


 俺はベルティア・姫昏として入隊した、早く慣れなければ、とひきつる笑みでごまかす。


「熊野からもらった書類には姫昏とあったが、違うのか」

「いや、あの、時雨さんとはあまり繋がりが」

「私がどうかしたのか」

「うわぁ!」


 ポニーテールを揺らす短身の女、険しい目つきで朝食のトレイを置いた。ベルティアの隣に腰を下ろし、私を賛美していたのかと、憎々しげに吐き捨てる。


「していませんよ、少尉殿。被害妄想ばかりじゃ生き辛いでしょう、もう少し穏やかになさってください」

「余計なお世話だ、軍曹。中途いびりはお前の悪い癖だ」

「あれはしごきです。いびる時は、いびると前もって通達しますからね」

「変わらんな、私も数ヶ月とはいえ、堪えたよ。お前を頭の中でなんべんも殺した」

「過去を振り返るのは悪くない。心の平穏に繋がります」


 時雨はベルティアを肘で突いた。


「こいつはこういう事ばかり言う。うるさいったらない」

「は、ははは」


 愛想笑いも薄ら寒く、時雨の突然の親しさに困惑するだけしかできない。


「そういえばこの兵長はあなたのご親戚でしたね」

「馬鹿を言うな。昨日こいつが押しかけて来ただけで、なんの面識もないぞ」

「は? 兵長、お前、姫昏じゃないのか?」


 時雨にしてみれば、昨日知り合ったばかりの男のことなどしるはずもない。名字は即興だし、ただ、おや昨日の中途と軍曹がいるじゃないかと近寄って来たにすぎないのだ。


「少尉、私はてっきりあんたの親戚かと」

「こいつと? なぜそう思う」

「だって同じ姓じゃないですか。ありふれたもんじゃないし」

「お前も姫昏なのか? ん、ああ、なるほど。そういうことか」


 ようやく自分がそう名付けたことを思い出したらしい。


「そうだとも。遠い親戚だ。祖先の某かがあっちに移り住み、そこで分かれた分家だ」

「へえ。で、今になって出稼ぎとして本家を頼ったと」


 うまくいったと満足げな時雨。ベルティアはこの仕草に懐かしさのような、本当に孤児院出身でありもしそこに弟妹がいればこんな気持ちなのだろうかと、顔には出さないものの暖かい偽りの郷里を愛おしんだ。


「編成については心配するな。私の小姓にするから」


 先に食事をしていた二人よりも早くに時雨は箸を置いた。とんでもない早食いである。


「それはそれは。コネ万歳ですな」

「見所があるやつだ。そうは思わないか?」

「さあ。で、いつから?」

「この時をもって、だ。行くぞ、姫昏の、なんだっけ」


 何をかわれたのか見当もつかないが、ベルティアは着々と任務達成へと近づいている。

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