第9話 初めての訓練

「下士官から中途入隊ですね。ベルティア・姫昏兵長」


 軍の人事部、女性少尉はにこやかにそう言った。寮の部屋の鍵や階級章などの細々したものが詰められた行李を受け取り、ベルティアは絶句した。


「俺の名字を、今、なんと」

「え? 姫昏ですけど。ほら」


 ベルティアの横に姫昏とある。それは時雨の筆跡で、適当に考えると言っておきながら何も浮かばなかったのだろう、自分の名字をくっつけていた。


(普通こんな真似しないだろ!)

「最近は中途が多いんですよね。腕自慢がたくさん来るんですけど、あなたはコネかしら?」

「さ、さあ?」


 失礼なことを言われているが、その女性少尉はベルティアを連れて寮まで案内してくれた。

 安っぽいが、やたらと大きい建物が「第八寮」である。部屋は狭い、ティレル式の板張りで八畳ほど、そこに二段ベッドがある。新たな入隊者が来るまでは一人で使えとのことだった。


「それと、あなたは九頭くず軍曹に訓練をつけてもらいます。そこで適性を見ながら編成先を決めるんですけど、多分星組になるでしょうね」

「なぜですか?」

「だって、姫昏さんが星組だから」


 寮の案内が終わると、すぐにその軍曹の元を訪れた。幼年部で指導しているらしく、先ほどの校庭に戻ってきた。


「全体止まれ! 十分間の休憩をとる」


 天まで轟く大声、その持ち主は見上げるような大男だ。


「熊野、また中途か。また吠えるばかりの馬鹿じゃないだろうな」

「大丈夫ですよ多分。兵長、こちらは九頭軍曹です。あなたの教官になりますので、ご挨拶を」


 ベルティアの閉じた目に、九頭はため息をついた。


「役に立つのか?」

「ベルティアと申します。階級は兵長、精一杯尽力いたしますので、ご指導よろしくお願いします」


 騎士のような威風で、残った瞳がぎらりと光る。男として舐められるのは嫌だった。特に威張る大男からは。

 熊野少尉は険悪な空気を察してそそくさと帰っていった。賢明な女である。


「出稼ぎの異国人か。まあなんでもいいか、剣は使えるか」

「はい」

「それじゃああいつらに混ざれ。幼年の子らだ、怪我させるなよ」


 お前がする分には構わないが。と九頭はにこりともせず、休憩中の少年少女らを整列させ、一同にベルティアを紹介した。


「ひよっこども! こいつが今しがた中途で入ってきたベルティア兵長だ。これから木剣での稽古をするから、体格は違うが気合では負けるなよ」


 はいと元気な返事である。見た所十歳から十五歳くらいで、ベルティアにとっては軍人見習いがどれほどの戦闘能力を持っているのかを知るいい機会だった。

 二列の縦陣になり、稽古が始まる。


「よろしくお願いします」


 ベルティアにも木剣が渡された。最初の相手は気の強そうな男子である。


「どうも」


 ぶっきらぼうに頭を下げ、九頭が開始と号令をかけた。

 裂帛の気合い、大上段からの振り下ろし。ベルティアは半身になってやり過ごし、柄で脇腹を打った。

 男子は声もなく倒れた。体を折り曲げ苦悶の表情でいる。その技の速さに反応できた者は九頭以外にはいなかった。


「端に寄せておけ。訓練の邪魔だ」


 九頭の指示はかなり厳しいものだが、ベルティアは従った。騎士の訓練でもそうしていたから異論はなかった。

 他の稽古はどうであろうと見渡すと、それぞれが必死になって文字通りに鎬を削っている。若さと、自分もああだっただろうかという感傷に知らずのうちに微笑んでいた。


「何をにやけている! 訓練中だぞ!」

「は、はい!」


 カミクラに着いてからトントン拍子できてしまったため、当然ながら軍人であるという意識が持てないでいる。いつまでも騎士のつもりでいてはいけないと思いつつも、今朝までは居酒屋で呑んでいたから仕方ない、徐々に慣れていこう、と珍しく自分に甘くなった。若者の熱心さに気が緩んでいる。


「それまで。交代だ」


 次は息を切らせた少女が相手だった。闇雲な剣線を読み、半身になった。ベルティアのよくやる手である。

 交わしたところで腹部に一撃。少女は胃液を吐いて倒れた。


「どかせ」


 九頭の指示も、それに従うところも同じである。周囲を傍観し、微笑むところもまったく同じだった。


(騎士の俺が他国で軍事訓練か。それにしても、ちびっこのくせに腕がいい)


 クリスやユーディを思い出す。彼女たちも昔はこうだったなあと、彼の場合、胃液どころか血反吐まで吐かせていたが、それすらも美しい過去になっている。


「ベルティア、前職は何をしていた」


 九頭は彼が気になりだした。ただの出稼ぎではない、盗賊上がりであればここまで綺麗に剣をさばくことはできないし、何よりも剣の腹を使わないこと、つまりは斬ることをしないことを不思議がった。

 どこかで訓練を積んだ動きである。断定はできないが、ほぼ確信を持って言った。


「兄妹たちとの遊びの中で」

「本当か? 地方で従軍でもしていたんじゃないか」

「従軍なんて、兄姉が教えてくれたんです」


 無論、騎士団の先輩である。これに関しては嘘をつくこともそれほど苦ではなかった。騎士団を孤児院に、騎士を兄妹と言い換えれば簡単である。

 次の相手も、またその次も結果は同じである。すでに四人が列から外れている。


「お前は外周を走ってろ」

「わかりました」

「食堂の場所はわかるか?」

「ええ、基地の奥です」


 なぜそんなことを聞くのか。九頭はいやらしく笑った。


「そうだ。飯の時間になるまで走れ」


 午後三時半である。夕飯は七時からなので、それまで延々と走り続けなければならないのである。考えるだけでもゾッとするような、訓練というよりもしごきである。それは指示を出した九頭もよくわかっている。


「これはしごきだ。これよりも辛い状況なんて山ほどあるんだ、ほら、早く行け」

「拝命します」


 極限状態に日頃から慣れておく為に、こういうしごきは存在する。ティレルでもされたし、してきた。が、それを初日から命令されるとは思いしなかった。


(意味のある理不尽だ。久しくこんな扱いを受けていないな)

「さ、お前らは稽古を続けろ」

「教官、あの人は」

「放っておけ。剣が使えるからって逆上のぼせた山賊だ」


 九頭の口の悪さは有名である。彼をよく理解しているものならば、これが褒め言葉なのだと気がつけるが、まだあどけなさの残る生徒たちはそうではない。あれは悪党かという認識で、ちょっと嫌悪するかのような目つきでベルティアを眺めた。


「なぜ山賊が軍人に?」

「そりゃあ」


 教官として無駄口を許したくない。しかし人としては答えてやりたい。九頭は変なところで律儀な男だった。


「あとで教える。稽古に戻るぞ。徒手空拳での訓練だ、気をぬくなよ」


 先延ばしにすることで、山賊であるという信ぴょう性が増してしまった。九頭自身、生徒が勘違いをしていることには気がついていない。

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